18. HAPPY BIRTHDAY to you!

 誕生日の夜。

 明日も学校なので、早めに寝床につく。香月もベッドの下の布団に横になり、明かりを常夜灯にした。


「香月、ありがとな。すごく嬉しかったし美味しかった。オムライス。」


 喜んでくれて良かった、と返事が帰ってくる。


「あと、プレゼントなんだけどさ。この前の話を受けて、だよな。」


 うん、と声が聞こえ、ボイトレの篠田先生との沼をどうしていくのか考えた。


「そういえば、例の先輩とは最近どうなの?」


 香月が何気なく聞いてくる。


「クリスマスに会ったっきりかな。電話はよく掛かってくるけど。」


「そっか。」と言う声が聞こえてすぐに、寝息が聞こえてきた。寝たんか。続きを話したいんだけど。


 天井を見つめて、自分の弱さと向き合う。俺は、求められると応えてしまう。それが自分の意図しないことであっても、自分のせいで相手が悲しむ顔を見たくないし、喜んでくれるのであれば、少し我慢することぐらいは大したことないと思っていた。

 告白されても、気持ちは嬉しいと言って、三分だけの恋人になっていた。でも、その行動は、自分が大切に思っている人を傷つけてしまう。もっと、強くならなくてはいけない。

 

 翌日。なんだかよく眠れず、早朝に目を覚ます。喉の乾きを覚え、キッチンに行くと父さんが簡単な朝食を作っていた。


「おはよう。今から出勤?」


 何気無いいつもの会話。しかし、父さんはちょっとした俺の変化に気付く。


「おはよう。こんな早くに起きてくるなんて、珍しいな。顔色も少し優れない様だし、何か悩みでもあるのか?」


 ビックリした。父さんは、本当にあまり家にいない。俺の顔色なんて、いつも見てないのに何で分かるのか。医者だから?父だから?素直に後者だと思った。


 ダイニングテーブルで、朝食を食べる父さんを眺める。特に「悩みはなんだ?」と話しかけてくる訳ではないが、こっちが話すタイミングを静かに待っているようだった。


「誰も傷つけずに生きる方法ってないのかな。」


 ぼそっと呟く。父さんはコーヒーを飲むと、ゆっくりと話してくれた。


「傷つくか傷つかないかは、相手にしか分からない。どんなに傷つけないようにしたつもりでも、結果として傷つけてしまうことはあるし、傷つけられたいって思っている人だっている。」


 え?「傷つけられたい」という考え方がわからなかった。


「中途半端に優しくされるより、はっきり傷つけられた方が諦めがついて次に進みやすい。

 それに、ちゃんと自分の考えを伝えれば、相手だって分かってくれるはずだよ。たいてい傷つくときは、相手に期待していたことを裏切られた反動だ。

 どうして期待に応えられないかを伝えれば、相手も『期待に応えられないことを分かって欲しい』という期待に応えたくなる。なんか、説明するの、難しいな。」


 ちょっと理屈っぽい話し方になっていたけど、言いたいことはだいたい分かった。父さんが出勤するため玄関へ見送る。


「悩むときは脳が成長している。大いに悩め。朔が傷つくときは父さんも一緒に傷つくから、ちゃんと言えよ。それに、傷つくとその分強くなれる。

 あと、誕生日おめでとう。当日に祝ってやれなくてごめんな。」


 父さんは俺の頭をガシガシ撫でて玄関を出た。もう十六歳なのに、と思う反面、ちょっと嬉しかった。


 朝食を作っていると、咲樹が起きてきて騒ぐ。


「どうしたの?何で早起きして朝食作ってるの?なんか、調子狂うんだけど。」


 香月も起きてきて、ダイニングを囲む。それぞれのプレートに、トースト、スクランブルエッグ、ウィンナー、ヨーグルトが乗っている。


「何これ。卵そぼろ?」


 香月が笑いながら、味は美味しいと言って食べている。スクランブルエッグに火を通しすぎた。食べ終えて食器を食洗機に突っ込む。支度をして三人で家を出た。


「なんか新鮮。香月と一緒に登校するの。」


 咲樹は嬉しそうだった。羨ましい気持ちで二人を眺めながら学校へ向かった。

 


 その日は、部活を早めに切り上げた。ボイストレーニングに行くためだ。去年の夏の集中レッスン以降、定期的にトレーニングをしている。トレーニングは先生の自宅で行われる。体力的なところはクリアしたため、今は声の出し方を集中的に指導を受けている。


 レッスンが終わり、篠田先生がはちみつ入りのハーブティーを出してくれた。いつものように旦那さんの愚痴を聞かされる。曖昧に相槌を打っていると、篠田先生が後ろから抱きついてきた。


「今日の朔くん、ちょっと素っ気ない。」


 キスを迫られ、ギリギリのところで顔を背ける。先生は悲しそうな表情で腕に絡み付く。彼女は女の武器を最大限に使ってくる。上目遣い、豊かな胸、甘い香り。

 俺は、ポケットの中の防犯ブザーを握った。音を出すためではない。今の俺には御守りだった。


「先生、もうこういうことは・・・。」


 彼女を腕から引き離す。


「私、寂しいの。お願い、少しで良いから。」


 腕を捕まれそうになり、席を立ち、鞄を持って先生に向き直った。


「先生は旦那さんにかまってもらえなくて寂しいんです。俺は本当は、旦那さんの代わりはやりたくないです。本人に言えば良いじゃないですか、かまって欲しいって。」


 先生は傷付いた顔をする。その表情に胸が痛んだけど、父さんの言葉を思い出した。

『傷つけられたい人だっている』

 先生もこんなことは不毛だと感じているはずだ。前に進むには、傷つくとこも必要なんだと自覚した。

 


 先生の家を出て駅に向かう。ポケットに入っている防犯ブザーを取り出し、鞄につける。気分転換に駅の近くの小さな楽器店に寄ってみると、店の人に声をかけられた。


「あれ、君。東高の軽音部のボーカルの子だよね!俺、甲斐と昔バンド組んでたんだ。顧問だよね、甲斐誠。」


 はい、と言って全身を見ると、確かにロックな出立ちをしている。握手を求められ、応じる。


「動画見たよ。良い声してるよね。トレーニングとかやってるの?」


 篠田先生に教わっていることを伝えると、衝撃の事実が判明する。


「え!それ俺の嫁だわ。そういえば、最近高校生に教えてるって言ってたな。そっかー、プロになって有名になってよー。俺らも箔がつくじゃん。」


 背徳感が押し寄せる。気まずいこちらの事情は露知らず、人の良さそうな篠田さんは、どんどん話しかけてくる。バンドのメンバーの話や、甲斐先生の熱血の話、等々。


「アイツさ、大学出てから少しだけ音楽活動してたんだけど、やっぱ食べていけなくてさ。渋々教師になった感じでしょっぱくなってたんだけど、最近ものすごく生き生きしてるんだよね。君たちのお陰だよ。俺もなんか、元気出ちゃうよ。」


 篠田さんはさらに話を続ける。話の内容は面白いが、長い。誕生日の話にまで発展し、数日前に誕生日だったことを伝えると、歌をプレゼントしてやると言ってスタジオに案内された。奥にこんなスペースが!と驚く。


 篠田さんはエレキギターを構えて歌い出す。


「♪HAPPY BIRTHDAY to you!」


 初めて聴くHAPPY BIRTHDAY to you。斉藤和義の歌だと後から知った。


「♪きっといいこと待ってるから 胸に刺さったトゲさえ飛んでいってしまうぐらい・・・」


 すごく元気が出た。そのあとも二曲歌ってくれて、プレゼントと言ってリストバンドをもらった。


 お店を出て電車に乗り、流れていく街の景色を見ながら、さっきのHAPPY BIRTHDAY to you!を頭の中で再生すると、少しだけ成長したような気がした。



 この勢いで、竹下先輩との関係も何とかしようと、彼の家を訪ねた。


「あら、佐倉くん!久しぶりね!元気だった?すっかりイケメンになっちゃって!」


「はい、元気です。お母さんも、変わらずお綺麗ですね!ありがとうございます。」


 笑顔で挨拶をすると、「お世辞でも嬉しいわ!」と喜んでくれた。いや、竹下先輩のお母さんは本当に美魔女で綺麗なんだよな。


ゆずるに会いに来たのよね?今お風呂に入ってるから、部屋で待ってて。」


 言葉に甘えて部屋の中に入れて貰う。先輩にはお兄さんがいて、お兄さんは大学進学と同時に下宿して家にはいないらしい。お父さんは単身赴任って聞いている。


 先輩の部屋の中で、そわそわしながら戻ってくるのを待つ。壁に掛かっているカレンダーを見ると、俺の誕生日に桜のマークが描かれていた。なんだよこれ、キュンとしちゃうじゃん。


「弦!佐倉くん、来てるわよ。部屋で待って貰ってるけど、何か飲み物とか持っていったら?」


 お母さんの声が聞こえる。先輩の「えっ!?」と驚いている声も聞こえる。

 部屋から顔を出して、「あ、お構い無く!」と叫ぶと、お母さんは「あら、可愛らしいわね!」と笑っていた。


「急に来るなよ。」


「あ、じゃあ帰るわ。」


「いやいやいやいや、折角来たんだからゆっくりしていけば良いだろ。」


 慌てる先輩が可愛い。


「どうしたの?何かあった?」


 来る前は意気込んでいたのに、カレンダーの桜マークとか、先輩の笑顔を見ると言葉が出てこない。


「本当は、もう連絡とか取らない方が良いんじゃないかって言いに来たんだけど、先輩の顔見たら、言いたくなくなっちゃって・・・。」


 ぎゅっと抱き締められる。お風呂上がりの濡れた髪からシャンプーの香りがする。


「そういう可愛いことを言うんじゃない。離れられなくなるだろ?」


 体を離すと、机の引き出しから小さな包みを取り出した。


「これ、誕生日おめでとう。気に入るか分からないけど。」


 お洒落なブルーのリボンでラッピングしてある。


「え、良いの?俺は先輩に何もあげてないのに。クリスマスも手袋を貰っちゃったし、恐縮です。開けても良い?」


 笑顔で頷く先輩の顔を見て、ラッピングを解く。小さな箱の中にはネックレスが入っていた。


「どお?似合う?ジェンダーレス男子としては、良い具合にコーディネート出来そう。」


「あぁ、確かにジェンダーレス。ピッタリな言葉だな。」


 もう一度お礼を言うと、満面の笑みで「どういたしまして。」と返ってきた。


「俺も、何かプレゼントしたいな。貰ってばっかだと申し訳ないし。誕生日は確か、十月でしたよね。その前にクリスマスのお返しを・・・。」


「へぇ、覚えてたんだ。いいよ、クリスマスのお返しとか。バレンタインじゃないんだから。」


 まぁ、確かに。じゃあ、バレンタインにあげれば良いのかな。そしてらホワイトデーに返ってくるじゃん。


「あのさ。俺も、佐倉に言わなきゃいけないことがあるんだ。」


「何ですか?」


 彼女が出来たから、もう会うのはやめようとか、そういうやつかな。


「大学なんだけど。地方の大学に進もうと思ってる。そうすれば強制的にお前と離れ離れになるし、気持ちも諦めがつくんじゃないかと思って。いつまでもお前に迷惑かけられないし。」


 具体的に場所を聞くと、北海道という回答が返ってきた。


「言葉にされると、けっこう寂しいですね。でも、良い選択かもしれません。先輩に甘えてばかりいられないし。お母さんは一人になっちゃうんですか?」


「ううん。親父の単身赴任が来年の春に終わるみたいなんだ。俺と入れ違いになるけど、母は一人にはならないよ。」


 ほっとする。俺のせいでお母さんが寂しい想いをするのは嫌だ。


「それで、ここからは提案なんだけど。来年のお前の誕生日まで、恋人になってくれないかな。その日にはきっぱり想いを卒業する。」


 自分の気持ちと向き合ってみると、俺も、先輩の事を好きになってしまっている。だらだらと甘えてしまうのを断ち切る良い機会かもしれない。


「・・・分かりました。俺も、一緒に卒業します。先輩への甘えを。」


 先輩は断られると思っていたらしく、盛大にビックリしていて面白い。


「じゃあ、今から佐倉じゃなくて朔で良いですから。」


「じゃ、じゃあ、お前も先輩じゃなくて弦って呼べよ。敬語は禁止。」


 急に出来るかな。ちゃんと卒業できるかな。


「分かり・・・、分かった。弦じゃなくてユズでも良い?可愛いし。

 あと、体の関係にはなりたくないから、そこは自制して下さいね。

 まぁ、キスまでなら許してあげようかな。」


「うん、大事にする。どうしよう。急に心拍数が上がってきた。」


 顔が真っ赤だし。まさか、自分の初めての恋人が同性だなんて、人生何があるか分からないな。


「とりあえず、方向転換したけど話は終わったから帰るね。おやすみ。」


 だいぶ長居してしまったな。それに、これで良かったのかと少し不安も残る。


「朔・・・。」


 部屋から出ようとドアの前に行くと名前で呼び止められた。またぎゅっと抱き締められる。今は恋人なんだと思うと、俺の腕も自然に背中に回った。


「大好き。ありがとう。」


 ゆっくりと唇が重なる。キスをするのは中学の時以来だけど、熱い思いは変わらず伝わってきた。

 受け入れる決断をしただけで、感じ方がこんなに違うんだな。他の誰としたキスよりも心地良い。深くなる前に体を離す。


「続きはまた今度で。おやすみなさい。」


 部屋を出るとお母さんが見送ってくれた。


「すみません、お邪魔しました。」


「何話してたの?」


「進路の事とか、友達の事とか。あとは、ボーイズトークですかね。長居しちゃってすみません。」


 ユズは友達を家に連れてこないらしい。


「そんなこと気にしないで!いつでも来て良いからね。帰り道気を付けるのよ?おやすみなさい。」


 お母さんの優しい笑顔に背徳感。今日、二度目の背徳感。笑顔で挨拶をして玄関のドアを閉める。

 はぁ、申し訳ないけど、自分で選んでしまった道だ。一年間はこの背徳感と一緒に過ごしていこうと思った。

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