第32話 明日香と結月

 さやかに見つからないように明日香を見送り、西川は事務所に戻ってくると、そこにはさやかと木村の姿があった。

「ちょっと、君は何を考えてるんだ!」

 木村は興奮気味に上ずった声を出していたが、さやかは下を向いたまま動かずにいた。木村は事務所に戻ってきた西川に気付き冷静を装うようにしていたが、誰が聞いても決して冷静では無い様な声で言ってきた。

「店長! ちょっと店長からも言ってくださいよ。」

 西川は立てかけてあったパイプ椅子を手に取ると、さやかのすぐ横に来て腰かけた。

「そうだね。さっきの態度はよくなかったですね。でもあのお客様とお友達だったんですよね。そうですよね?」

 西川はさやかに尋ねると、さやかは下を向いたままでいたが、小さく首を縦に振っていた。

「というわけで、ねえ木村さん。これぐらいでもういかがですか。私から話をしておきますから。」

 木村はそう西川に言われると不満げな顔をしていたが仕方なく思ったようだ。

「わかりました。あとは店長にお任せします。」

 木村は頭をかきながらしぶしぶ事務所を出て行ってしまった。

 西川はゆっくりと立ち上がると、さやかの肩に両腕をのせて顔を覗き込んできた。さやかはびっくりして顔を上げた。

「よかった。やっと顔を見れた。」

 そして事務所に誰もいないのを確認すると、優しくさやかに語り掛けていた。

「さやかちゃん、今度ゆっくり話そう。」

 



「はい次サード。いくよ!」

 気合の入ったノッカーの声がグラウンドに響いていた。

「カーン。」

 鋭い打球がサードを襲い、打球は差し出したグローブを弾いて外野へ転々と転がっていってしまった。 

「そんなボール取れないんじゃ、試合にならないよ。もう1球いくよ! サード!」

「カーン。」

 再びノッカーが大きな声を出しボールを鋭いスイングで打ち込むと、またもボールはグローブにおさまることなく外野へ転がっていった。

「みんな集合!」

 ノッカーの大きな声で、それぞれの守備位置についていた者達は勢いよく走ってきてノッカーの前に整列した。

「みんなしっかり聞いて。」

 声を出していたのは山上明日香であった。

 明日香は3年生が抜けた新チームのキャプテンに任命されていて、名実ともにこのチームの中心選手となっていた。

「こんなんじゃ。今年も優勝は狙えないよ! みんな勝ちたくないの?」

 整列していたチームメイトに厳しい言葉を掛けると全員下を向いてしまっていたが、ひとりだけ前を向いたまま明日香のことを睨みつけるような目で見ている少女がいた。明日香が次の言葉を言おうとしたとき、その少女が声を発した。

「明日香、ちょっといい。」

「何? ユズキ!」

 明日香はすぐにその声に反応した。

 声を発したのは山本結月やまもとゆづきであった。結月は明日香とは1年生のころからこのチームのレギュラーを務めていた中心選手のひとりであった。

「そんな風に言ってたら、みんな委縮しちゃって余計うまくできないよ。もう少し何とかならないかな?」

 結月が数歩明日香に近づき言うと、負けずに明日香も言い返していた。

「でも私たちは練習するしかないでしょ。それとも勝つ方法が他に何かあるって言うの?」

「そうなんだけど、でも今のこの環境は良くないと私は思う。明日香が一生懸命なのはわかるけど、優勝目指すって言っても私がピッチャーじゃ無理だよ。」

 自信なさそうな顔をして結月が言った。

「何弱気なこと言ってるの、エースは結月なんだから、結月しかいないんだから、何が言いたいの?」

 本当は結月が何が言いたいのは、明日香にはわかっていた。

 結月もその明日香の気持ちを痛いほどわかっていた。

 ふたりはしばらく無言でお互いの目から視線をそらさずにいたが、やがて明日香の方が目をそらして怯えるように整列していた部員達に向かって声を掛けた。

「今日は練習終了。後片付けして!」

 明日香が言うと整列が崩れて、部員たちは勢いよく走り出し、散らばっていた道具の片付けを始めていた。

「結月ごめんね・・・。」

 明日香はうっすら涙を浮かべていた。

「こっちこそごめん、明日香はキャプテンなんだからしょうがないよね。」

 明日香に寄り添うようにして結月はさっきまでの口調とは別人のような優しい口調で言っていた。


「失礼します。」

「はい、お疲れ様。」

「じゃ先に帰るね。」

「お疲れ。」

 後輩部員が全員帰り同学年の部員も帰って行き、部室には明日香と結月のふたりだけが残っていた。結月は部内ではキャプテンのサポートをする副キャプテンという立場であったが、なかなか明日香のサポートができていない自分を腹立たしく思っていた。

「やっぱり、私がピッチャーじゃだめなんだよ。私もピッチャーやってると余裕がなくて、自分のこと中心に考えちゃってるから、本当は明日香をサポートしてチームの為に頑張りたいんだけど・・・。」

 結月は日頃から心の中で思っていた事を全て明日香に話していた。

 「ありがとう。私がしっかりしてないから、心配かけちゃってるんだね。」

 明日香は結月の言葉を聞いて静かに言うと、悲しい表情を浮かべていた。

「違うって、そうじゃなくて・・・。」

 結月はなんとかフォローしようとしたが、言葉が続かなかった。

 しばらくは無言でふたりとも帰り支度をしていたが、着替えが終わると明日香がいきなり言ってきた。

「結月! カラオケでも行こうか!」

「えっ! 今から。」

 結月は少し驚いていたが、明日香はキャプテンという立場上、部員をまとめる為しっかりした者を演じてたが、本当は今どきの女子高校生で、どちらかと言うと可愛い系の女の子であった。結月はもちろんそのことはわかっていたので、今の明日香の気持ちも考えて素直に誘いにのっていた。

「よし、行こう!」

 

   

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