第26話 続けることができるのなら・・・

「花本さん、ちょっと 無理しちゃったかな。」

 白衣を着た男が言った。

 ここはさやかの診察券にあった"朝日スポーツ整形外科“の診察室で、そこにさやかと西川はいた。

「先生、大丈夫なんですか!?」

 西川が興奮気味に大きな声を出した。

「そんな大きな声出さないで下さい。まー、結論から言うと大丈夫ですよ。花本さん最近本格的にボール投げたことは?」

 医師がさやかに聞くと、さやかはうつむいたまま無言で首を横に振っていた。

「じゃあ、本格的にボール投げなくなってどのくらいたった?」

 医師が続けて聞いた。

「えーと・・・?」

 さやかはしばらく考えてから冷静に答えた。

「多分、あの夏の日から投げてませんから、大体1年と少しだと思います。」

「そうか、もうそんなになるか。」

 医師は言うとカルテに目をやり、しばらく考えてから再びさやかの方を見て続けた。

「でもひじの怪我はもう治ってるし、ちゃんとリハビリも通院で継続してるよね。だからトレーニングして徐々に慣らしていけばもう普通に投げられるよ。」

 医師が言ってもさやかは反応しなかった。

「今日は準備運動もせずに急に強く腕を振ったんでしょ。今まで使ってなかったもんだから体がびっくりして痛みが出ただけで、靭帯の方はもう完治してるからさっきも言ったけど徐々にやっていってね。」

 西川はそれを聞いてホッと安心した一方、さやかはなんでこの病院に通うことになったんだろう? 靭帯がどうしたんだろう? あの夏って? いったい何があったんだろう? 様々な疑問が頭の中に湧いてきたが、それを全てさやかに聞いていいものなのかどうか迷っていた。


 診察室を出るとさやかは丁寧に西川に言い頭を下げていた。

「コウちゃん、ありがとうございました。心配させてごめんなさい。」

「そんなことないよ。お礼を言うのはこっちの方だから・・・。」

 西川もそう返していたが、その先の言葉が続かないでいた。

(聞いてみようかな・・・? どうしよう・・・。)


 病院を出て車に乗り込むと西川は迷っていたが、思い切って切り出した。

「さやかちゃん、なんでここに通院していたの?」

 さやかは下を向いて黙ってしいた。

「ごめん。余計なことだったね。俺また変なこと聞いちゃったね。今の聞かなかったことにして・・・ははは。」

 西川はさやかの反応を見て作り笑いで誤魔化そうとしたが、さやかはそれでも全く反応しなかった。車内を沈黙が支配した。


「じゃあ、帰ろうか。」

 西川が耐えられず車のエンジンを掛けようとしたとき、さやかが急に顔を上げ口を開いた。

「私野球やってたんだ。ずっと野球続けてたんだよ。ずっとコウちゃんに憧れてたから・・・。」

 さやかはまっすぐな目で西川を見ていた。

「そ、そうだったんだ。そうだよね、さやかちゃん小さいころからよく言ってたもんね。ははは、そうかそうか。」

 西川はさやかの迫力に押され気味に、何か当り障りのない言葉で相槌を打って、さっき聞いてしまったことを無かったことにして話を終わらせようとしていたが、さやかは続けた。

「それで今の高校入ってからは1年生でエースだったんだよ。1年生でエースだよ、凄いでしょ。コウちゃん褒めてよ、凄いねーって。それから三振だっていっぱい取ってたんだから。全然点なんか取られなかったんだから、あー、これは嘘か、点はちょくちょく取られてたかな。ははは。」

 さやかのその話しぶりは、一見自慢気に言っているように見えてだが、何か無理をしているように西川には感じていた。

「そ、それはすごいね。さすが優紀さんの娘さんだね。俺も見たかったな、さやかちゃんのユニフォーム姿。」

 ここでも西川は無難な言葉を並べて、核心に触れてしまわないよう誤魔化そうとしていたが、さやかはさっきから西川が言っている言葉に対して怒りを覚えていた。

「パパもそうだけど、私はコウちゃんに憧れてピッチャーになったの! 小さい時見ていたコウちゃんに!」

 さやかは語気を強めて目に涙を浮かべて西川にせまった。

「いや俺なんか。優紀さんの足元にも及ばないし、前にも言ったけど今はこんな感じだし・・・。」

 西川が言い終わる前にさやかはさらに大きな声を出した。

「違うよ! 違うんだよ! なんでわかってくれないの! コウちゃんは私の憧れなんだよ。だから二度とそんな風に言わないで!」

 ふたりの何かかみ合っていない会話をさやかのその言葉が終わらせていた。

「ごめん。」

 西川にはこの言葉しか見つからなかった。

「でも去年ひじケガしちゃって・・・。それでもう野球辞めちゃったんだ。なんかいち度辞めたらもうあの場所には戻れないような気がして・・・。」

 さやかは大粒の涙をこぼしながら言うと、言葉を詰まらせてうつむいてしまった。

 西川にはさやかにかける言葉が見つからなかった、あの時の自分自身もそうであったから・・・

(俺にはさやかちゃんにどうのこうのいう資格はないな、俺も・・・)

 西川は自分の右ひじを呆然ぼうぜんと眺めていた。

 さやかは西川が無言になっていた為、ふと顔を上げると偶然西川のその悲しそうな顔と、視線の先に右腕があったのを見てしまい、思わずハッとしてしまった。

(コウちゃんも、もしかして、コウちゃんが野球辞めたのは・・・? あずまやの店長になったのは・・・? そう言えばそのことは聞いていなかった。)

「でも野球やめたからまたこうしてコウちゃんに会えたんだから、これも運命だよね。」

 急にさやか前向きなこと口にしながら、西川の顔色をうかがっていたが、西川は無表情のままで、今度は西川がさやかの言葉に反応しないでいた。

(私自分のことばかり考えていた、コウちゃんに悲しい思いさせちゃった。コウちゃんだって何か抱えてるんだきっと・・・。)

 さやかは自分を責めていると、西川がうつむいたまま声を発してきた。

「ひじの具合はどうなの?」

「先生が言ってたの聞いてたでしょ。ひじはもう治ってるみたいなんだけど・・・。」

「治ってるならまた野球始めればいいのに、治せたのなら・・・、続けることができるのなら・・・。」

 西川はさやかが今までに見たことの無い表情で冷たく言っていた。

 その問いにさやかは答えなかった。いや答えられなかった。

(ごめんなさい、コウちゃん。本当は声に出して謝りたい。でもそうしたらなんかコウちゃんをもっと傷つけちゃう気がする。)

 再び沈黙が続くと、しばらくして西川はエンジンをかけ車を出した。


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