第17話 今何時?

(眠れない・・・。)

 さやかがベッドに入ってから何時間たったのだろう。

(なんではっきり言えなかったんだ。意気地なし・・・。でもママもいたから・・・。)

 そんな自分に腹を立てながら、さやかは眠れない夜を布団を頭からかぶって過ごしていた。

(今度こそ、はっきり言おう。絶対に!)

 自分に言い聞かせるように心の中で何度も何度もつぶやいていたが、いっこうに眠れないでいた。

「もういいや、起きちゃおう。」

 まだ眠ってもいないのに起きちゃおうというのも変であったが、ベッドから出て机の前の椅子に腰かけた。そして引き出しにしまっていたあの古いアルバムを出してきて、付箋のついているページを開いて嬉しそうな顔で眺め始めていた。何度も何度もアルバムをめくり返していると少しずつ睡魔が襲ってきたようで、いつの間にかさやかは机に伏したまま眠ってしまっていた。もう空は白みかかった頃だった。


「おはよう。」

 さやかが眠い目をこすりながら部屋から出てくると、リビングの京子に声を掛けられた。今日は祝日で仕事が休みの京子も自宅にいて、くつろぎながらテレビを見ていた。

「あら、ずいぶん遅い”おはよう”ね。もうお昼よ。」

 京子はあきれた声で言うと立ち上がり続けて声を掛けた。

「何か食べる?」

 さやかはまだ頭がボーっとしていて、京子の声が耳に入ってきていなかったようで反応しないでいた。

「さやか聞いてる?」

 声を大きくして京子が尋ねると、ようやく京子が何かを自分向かって言ってるのがさやかにも分かったようだったが、何を言ったかまではわからなかったので、京子に聞き返していた。

「えっ、何?」

「だから何か食べるって聞いてるんでしょ。」

 京子は少し語気を強めていた。

「あー、ご飯ね。でも朝ごはんはいいや。まだ起きたばっかりで食欲無いし、今日バイトだから少し早く出て、バイト入る前に何か食べるから大丈夫。」

 さやかは答えると、いっそうあきれた感じで京子が言った。

「あなた何言ってるの、朝ごはんじゃなくてお昼ご飯よ。お昼! 今何時だと思てるの?」

 さやかはその京子の言葉の意味がわからず、しばらくポカンとしていると、京子は更に声を大きくして言ってきた。

「だ! か! ら! もうお昼だっていってるでしょ!。」

「えっ! お昼?」

「そうよ、もうすぐ12時半よ!」

 京子は部屋の掛け時計を見て答えた。

 それを聞いたさやかは、大慌てでリビングを出て行き洗面所に向かって行った。

 「ちょっとさやかどうしたの? さやか!」

 慌てたさやかの様子を見て京子は声を掛けるもさやかの反応は無く、しばらくするとさやかは着替えてリビングに戻って来たが、すぐに玄関に向かって行ってしまった。

「やばいよ。今日1時からバイトなの。」

 慌てながら靴を履こうとしていたが、なかなかうまく履けずにいたさやかに心配そうに京子が声を掛けた。

「大丈夫なの?」

「大丈夫、大丈夫、走って行けば! あー、もういいや、じゃあ行ってきます。」

 しっかり靴を履くのをあきらめたようで、靴をつっかけたままさやかは勢いよく家を飛び出して行ってしまった。

「ちょっと、さやか。靴ちゃんと履いた方がいいわよ。それじゃ走れないでしょ。」

 何かを手に持って玄関先まで来ていた京子は、大きな声で言うとそれを聞いてさやかは、いち度立ち止まりしっかり靴を履き直し、さらに勢いよく駆けて行ってしまった。

「まだまだ子供ね。それなのに・・・。」

 温かい眼差しで京子はさやかの走っていく後ろ姿を見つめていたが、自分が手に持っていたものに気付き、大きな声でさやかに向かって呼びかけた。

「あっ! さやか、忘れ物!」

 さやかの姿はもう見えなくなっていて、さやかのバッグを手にしていた京子は途方に暮れていた。

「どうしよう。お財布とかきっと入ってるわよね・・・。さやか、ちょっとごめんね。」

 さやかのバッグの中を見てみると、そこには1枚の写真が入っていた。京子はそれを手に取って微笑んでいると、遠くからさやかがものすごい勢いで戻ってきているのが見え、慌てて手に持っていた写真を戻し、さやかに向かって走り出して行った。

「ママ! バッグ、バッグ忘れちゃった!」

 息を切らしながらさやかが大きな声を出していた。

「はい、これね。」

「ありがとう。」

 さやかは短く礼を言い、すぐにまた駆け出して行くと、京子はその後ろ姿が見えなくなるまでさやかの走って行った方を見ていた。


 さやかはあずまやまでの道を一生懸命走っていたが、途中膝に手をついて立ち止まってしまっていた。

「ハー、ハー、ハー、やばい完全に運動不足だ。ハー、ハー、ハー、これぐらいで息が上がってる。」

 しばらく休むとまた前を向き走り出して行った。



「おはようございます。」

 あずまやのような業界では、朝でも昼でも夜でも挨拶は決まって”おはようございます”という言葉を使用しているのだ。さやかは教育の時に木村がそのことについて何か言ってたような気はしていたが何故なのかまでは覚えていなかった。

 事務所にはその木村と木村の同僚のさかきが座ってパソコンに向かっていた。

「おはよう。」

 木村がさやかを見つけて挨拶すると、榊もさやかに声を掛けて来た。

「おはようございます。どうしたの髪の毛ぼさぼさだよ。」

 さやかは慌てて自分の髪の毛に手をやっていると、西川が事務所に戻ってきた。

「花本さん、おはようございます・・・。えっ?」

 西川は驚いた表情を浮かべてさやかのことを見ていた。

「花本さん、もう一度更衣室戻って身だしなみちゃんとしてから売り場に出てくださいね。教育の時も言ったでしょ!」

 木村が冷たい感じで言う途中で、さやかはぼさぼさの髪を西川に見られたくない一心で下を向いたまま返事をして事務所を出て行こうとした。

「はい。」

「あとね。」

 続けて木村がさやかにきつい言い方で何か言おうとすると、西川が木村の声を遮るように言葉を発した。

「花本さん、ちょっといいかな。」

 さやかが恥ずかしそうにしながらも足を止めて西川の方を振り返った。

「あっ、後でいいから、休憩の時にでも事務所に来て声掛けてもらえるかな。」

 手短に西川は言うと、さやかはうなずいて事務所を出て行った。

(コウちゃん何かな・・・?)

 「おはよう!」

 いつもの元気な声で園子が後ろから抱き着いてきた。

「おはよう。」

 さやかも園子の方を振り返ると、園子はさやかの姿を見て大笑いしていた。

「何その髪、ぼさぼさじゃん。あははは!」

(もう朝からついてない。でも今日は・・・。)


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