第9話 今日も・・・

「店長、お疲れ様です。」

「お疲れ様です。」

 いつもの挨拶が交わされていたのはスーパーあずまやの事務所であった。店が閉店してレジ打ちや売り場の整理、商品の補充をしていたパートタイマー、学生アルバイトが勤務を終え事務所で仕事をしていた西川に挨拶していた。

「お疲れ様、気をつけて帰って下さい。」

 西川はそれらの人達を見送ると、伸びをしながら辺りを見回しポツリと独り言を言った。

「俺も帰ろう。」

 そして机の上のパソコンの電源を落とそうとしていると、木村の元気な声が聞こえてきた。

「店長、終わりました。」

(あれ? 早いな・・・。)

「あ、お疲れ様です。でも木村さん今日はずいぶん早いですね。」

 西川は不思議に思い尋ねた。

「ええ、今日はお客様少なくてラッキーでした、早めにレジドンドンしめちゃったんで、それに閉店間際に買い物に来るお客様もいなかったんで、閉店作業も残務処理も早く終わらせられました。本当に今日はラッキーでした。」

 木村は鼻の穴を膨らませて閉店業務を素早く済ませたことをアピールしていた。

(おいおい、お客様少なくてラッキーって何言ってるんだよ。今日の売上確認してるのかな・・・。)

 西川はそう思っていたのだが、いつものようにその言葉を呑み込んだ。

「そうでしたか。それじゃ私達も帰りましょう。」

 疲れた表情をして言っていた。



「店長、お疲れ様でした。失礼します。」

「お疲れ様です。」

 西川は木村と別れて最寄り駅に向かって歩いていた。

(代わり映えしない今日という1日が終わっていく。今日も何もなく終わってしまったな・・・。)

 何もなく無事1日が終わったといえば、なんとなくいい意味にも聞こえてくるようだが、何の達成感もなく、何の変化も無くただ1日が終わってしまっているという言い方が今の西川にはピッタリ当てはまっている様だった。

「さあ、早く帰ろう!」

 西川は自分を鼓舞するようにすこし大きな声を出すと、帰宅の足を早めていた。


「ただいま!・・・。」

 西川は誰もいるはずのない電気もついていない部屋に向かって声を掛けると、当然返事など帰ってくるはずもないのに、何かを期待してなのか玄関に立ったまま少しの間耳を澄ましていた。

「・・・。誰もいないんだから、返事なんかあるわけないか。ははは。まー、返事があってもそれはそれで怖いしな。ははは。」

 自虐的に笑いながら当たり前のことを口にしていたが、これは西川の毎日の帰宅時の悲しい習慣みたいになっていた。西川は学生時代から運動部に所属していて体育会系の環境でずっと青春時代を過ごしていた。なので仲間と力を合わせてテームで成果を上げたり、全員で目標に向かって努力し前に突き進んで行くといった仲間を大切に思う体育会系の人間だった。それ故に本来はチームメイトに囲まれて大人数でワイワイやっていることが好きで、今の西川の姿からは想像できないが社交的な人間であった。しかし今の職場に来てからは自分の殻に閉じこもってしまいがちで、まるで別人のような無口で、事務的に仕事以外の話はほとんどしない今の職場の誰もが知っている西川になってしまっていたのであった。

 西川は電気をつけて当然誰もいない部屋に入ると、着替えもせずにそのまま台所へ行き冷蔵庫から缶ビールをとり出しテーブルの前に腰かけた。置いてあったリモコンを手に持ち部屋にある小さなテレビをつけた。何となくチャンネルをいくつか変えると、ちょうど贔屓ひいきのプロ野球チームの試合が映し出されていた。西川はそのチームの勝ち負けに一喜一憂するような熱狂的なファンというわけでもなかく、父親の影響で子供のころから何となくそのチームを贔屓にしていたぐらいなライトなファンのひとりであった。缶ビールを一口飲んでテレビの画面をよく見ると試合経過が映し出された。

「おお! ちょうどいいところだ。よし、ゆっくり観よう。」

 いつもは閉店後の事務処理が長引いてしまうことが多く、仕事が終わって家に着く頃にはとっくにプロ野球の試合は終わってしまっている時間であったのだが、今日の試合は運よく、両チームに得点がかなり入っている大乱打戦になっていたということもあってか、試合時間が平均的な試合よりも大幅に長引いていたことと、いつも時間がかかってしまっていた閉店後の事務処理が何のトラブルも無く木村のおかげで?早く終わったことが重なって、ラッキーにも今自室で試合を観ることができていた。

 試合は大詰めの9回裏に入っていた。後ひとりバッターを抑えれば贔屓のチームが9対8で勝利といった状況であったのだが、ランナーは2塁、相手チームのバッターは4番という緊迫した場面で、まさにプロ野球の醍醐味を味わうにはもってこいの展開となってた。

「あっ、そうだ。」

 西川はつまみを持ってくることを忘れたことに気付き、立ち上がって冷蔵庫に取りに行ったその時、甲高い乾いた音が聞こえた。

「カーン!」

 それとほぼ同時に観客の大歓声がテレビのスピーカーから聞こえてきた。西川は慌てて部屋に戻りテレビの画面に目をやると、真っ暗な夜空をバックに白球がきれいな放物線を描いて飛んで行ったのが見えた。

「あーあ、あとひとりなのに・・・。」

 西川は残念そうな顔をした後、缶ビールのふたを開け自分の右ひじを見つめながら同じ言葉をつぶやいていた。

「あーあ、あとひとりなのに・・・。」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る