第93話
ふと思ったのは、この建物がこんな風に継ぎ接ぎだらけなのは、手入れが入った際に時間を稼ぐ為なのかもしれないという事だった。
実際、それなりの効果はあっただろう。壁を壊して進むにしても、ペコ達が騒ぎを起こさなければ、そこにたどり着くのはもっと遅くなっていたはずである。
もしかすると、本来なら隠し通路で行くような場所だったのかもしれない。建物の中央に位置しているかは知らないが、していたとしてもおかしくはなさそうな一室である。
魔王論者――特に、邪神を崇拝するような連中にとっては、最重要になりそうな一室。
つまりは、邪神を祀る神殿のような部屋である。
適当な壁をぶち抜いて進んだら、そのような一室の側面と繋がったわけだが。
黒塗りの広間は窓もなく――建物の只中にあるのだから当然だが――壁際に並べられた安物の燭台の蝋燭が唯一の明かりだった。精一杯それらしさを出そうと苦労した様子は見受けられる。なにもかもが黒塗りである事を除けば、大体の所はその辺の神殿と大差ない。祭壇があり、神像があり、説法を聞く信者の為の長椅子が並んでいる。
どれもこれも安っぽく、手作り感は否めなかったが。
邪神の神像というものを、ライズは初めて見た。
すらりとした長身痩躯の人型で、黒い肌を、黒い長衣で覆っている。質素に見えるのは、単にこの神殿の主が貧乏だっただけかもしれないが。
その像は二つの特徴を持っていた。一つは頭がない事で、細い首の先がなにかを受け止めようとする掌のような形をしている。もう一つは、頭もないのに王冠を身に着けている事だった。もし頭があったなら丁度よさそうな位置に、炭を削ったような黒い王冠が釣り糸で吊ってあった。
それが邪神の像だと言われればまぁそうだろうなとは思っただろうが、どこか物足りないような気もする。
室内にはペコがやったのか、数人の魔王論者が折られた手足を抱えて痛そうにしていた。そういうわけなので、その部屋にはペコ達がいて、本来の入口らしい扉の前に立っていた。
だからと言えばだからなのか、逆側にはこの部屋の主がいて、こちらは神像よりももっともらしい邪神官の姿をしている。
漆黒の法衣を纏った悪人面の痩せた男。手にはこの部屋の中で一番金がかかっていそうな錫杖を持ち、焦燥で血走った眼をこちらに向けている。その前には、彼を守るように二体の魔物が立ちはだかっていた。
顔のない二メートル程の筋肉質の大男に、コウモリの羽を生やして頭から墨をぶちまけたような――そんな魔物である。
ライズも何度か、戦った事がある。
邪神官が神秘術で召喚する邪神の眷属――
まぁ、純粋な魔力を扱う術はライズの得手であり、ペコにも勇者の剣がある。それ以前に、こちらにはラビーニャという凄腕の神官がついていたが。
「手こずってるか?」
気楽に聞いてみると、ペコが意地を張るような顔で鼻血を拭った。
夜を纏う者に殴り飛ばされでもしたのだろう。
「平気っす!」
と、口だけは威勢よく答えてくる。
ラビーニャは肩をすくめていたが。
「そこの彼、自分の命を削って邪神の眷属を呼び出したみたいですわ」
呆れているらしい。言いたいのは、それだけ強いという事だろう。
「無茶しやがる」
同じく呆れて肩をすくめると、邪神官に向き直った。
「なんにしろ、悪だくみはここまでだ。俺はそこのチビ助の百倍つええし、少しすればマルタンも追いついてくる。地元の人間なら、誰の事かは分かるよな?」
「イスミールの懐刀か」
本人は吐き捨てたつもりらしいが、実際は穴の開いた皮袋から毀れたような声だった。
「ユーティア神殿の犬どもが! なにが法と秩序の神だ! 貴様らのやっている事の方が、余程邪悪ではないか!」
「知らねぇよ。俺達はただの雇われだ。文句なら当事者に言ってくれ」
言ってから、ふと気になって尋ねる。
「あんたらこそ、どういうつもりで邪神なんか呼び出そうとしてるんだ?」
「我らの神は邪神などではない!」
逆鱗に触れたらしい。考えてみれば、相手も邪神だと思って信仰しているわけではないのだろうが――だからこそタチが悪い。
ともかく、相手は夜を纏う者をけしかけてきた。
こちらとペコ達と、二手に分かれて襲い掛かって来る。
「そっちは任せるぞ!」
「うっす!」
返事だけは勇ましいが、三人もいればどうにかなるだろう。
音もなく駆け寄って、夜を纏う者が鋭い爪の生えた右手を突き出してくる。
(――早いな)
命を削ってまで呼び出しただけはあるという事なのだろうが。
捌けない程ではない。左手で弾くと、逸れた右腕が壁を突き通す。あっさり密着すると、ライズは邪神の眷属の腹に触れた。
肌触りはモモニャンの肌に近く、分厚いゴムのような弾力がある。
だからどうしたというわけでもないが。
王打を放つと同時に、手の中に練り上げた魔弾を炸裂される。
王打による魔弾打ちは、本当の意味でのライズの必殺技だった。
魔物相手なら加減もいらない。まぁ、全力を出す程の相手でもないが。
大砲でも放ったような轟音と共に、あっさりと巨体が吹き飛ぶ。
「――ってぇ!?」
久々に使ったので鈍っていたのだろう。タイミングがズレたのか、反動で肩が外れかける。
「俺も真面目に鍛え直すかな」
と、それこそ真面目に検討しつつペコの様子を伺う。向こうは程々に苦戦していた。ラビーニャの加護を受けた剣で斬り結んでいるが、後ろの二人を守る事を意識しすぎてか、動きが堅い。ペコは一人で突っ込み足でかき回す遊撃タイプである。守る戦いは勝手が違うのだろう――が、そこはキッシュが援護した。
「モモニャン! 足を掴んで動けなくするのである!」
キッシュが指さすと、足元の影が夜を纏う者の足元まで伸び、生えだした二本の腕が夜を纏う者の足首を掴んだ。
「貰ったっす!」
生まれた隙を見逃さず、女神の加護を宿したナマクラが深々と夜を纏う者の胸に突き刺さる。
「――っしゃぁ!」
「まだだ!」
ガッツポーズを取るペコに叫ぶ。
この手の得体の知れない魔物は、生き物のような形をしていても生き物ではない。頭の中に脳はなく、胸の奥に心臓はない。生物でいう所の弱点が存在せず、与えられた魔力が尽きるまで動き続ける。だからこそ、純粋魔力をぶつけて消耗させる攻撃が有効になるのだが。
そんな事を教えている暇もない。
夜を纏う者が拳を振り上げる。ペコは慌てて剣を引き抜こうとするが、簡単には抜けそうにない事を悟ると、ライズの教えに従ってあっさり手放した。そのまま股下を潜り抜け、空の両手を構える。
「勇者の剣!」
唱えると、逆手の形で光のナイフを二本生み出し――
「どりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃああああ!」
夜を纏う者の背中に交互に突き立てながら、壁でも登るように駆けあがっていく。
勇者の剣というだけあって、この術はこの手の魔物と相性がいいらしい。超密度の純粋魔力の刃を突き立てられ、夜を纏う者が仰け反って暴れる。口もないのに、無貌の顔が耳をつんざくような悲鳴をあげた。
離れていても思わず耳を塞ぐ。魔力を伴う断末魔は、鼓膜ではなく精神に直接響く。
負の情念の宿った
ライズはこの手の精神攻撃に対して訓練を受けているが、他の三人は分かったものではない。
止めを刺すべく魔力を練り上げるが――その必要もなかった。
「うるせぇっす!?」
と、死の絶叫を塗りつぶすような大声で叫ぶと、夜を纏う者の背に張り付いたペコは両手の勇者の剣を交差させ、ハサミのように首を斬り落とした。
それで力尽きたのか、夜を纏う者の身体が崩れ、黒い霧のように散る。
「今度こそやったっす!」
「煩くて死ぬかと思ったのである!?」
Vサインを向けてペコ。キッシュは頭痛でも堪えるような顔で呻いていた。
ラビーニャは明後日の方向に視線を向けている。
「ライズこそ、安心するのはまだ早いんじゃありません?」
そちらを見れば、腹に風穴の開いた夜を纏う者が立ち上がっていた。
仕留めそこなったという事らしい。
「かっこわりぃな」
呻いて、魔力を練り上げる。
それより先に夜を纏う者が死の絶叫を放とうとするが――その身体は唐突に崩れて消えた。
魔力の気配に振り返れば、ラビーニャが聖印を握って祈りを捧げていた。邪神やアンデッドといった偽りの生命は、神官の浄化の奇跡によって弱体化、あるいは消滅させる事が出来る。それを使ったという事なのだろう。
「貸し一ですわね」
ニヤリとして言ってくる。
ライズの攻撃で既に消滅寸前まで弱り切っていたのだが、仕留めそこなったのは事実なので、言い返すのもはばかられる。
負け惜しみにしかならないが、ライズは鼻を鳴らしておいた。
邪神官はと言えば、大した力もないのに、夜を纏う者を二体も召喚したせいで消耗しすぎたのだろう。青い顔で床に倒れている。
「死んじゃったのであるか?」
心配そうにキッシュが聞いた。
ライズはしゃがみ込んで脈を見た。
「いいや、まだ生きてる。かなり弱ってるがな。ラビーニャ、癒せるか?」
「わたくしの所は別に、邪神コロスベシという程ではありませんから」
そのままの意味で聞いたのだが、ラビーニャは宗教的な理由だと受け取たらしい。確かに、真っ当な神官なら邪神官を癒す事に抵抗を覚えるものかもしれない。思えばクレッセンもそんな葛藤を見せた事はあったが、それでも見殺しにするような事はしなかった。まぁ、当人の気分次第といった所なのだろう。なんだってそうだろうが。
「大丈夫!?」
遅れてマルタンがたどり着いた。
「丁度終わった所だ」
残りの部屋を虱潰しに探せと言われそうな気がしたので、そんなつもりはないという空気を出して言っておく。それよりもマルタンは、ラビーニャが邪神官を癒している事の方が気になるようだったが。
「なにしてるのよ」
「見れば分かるでしょう。気に入らないなら、あなたがその手で殺しなさいな」
ラビーニャは相手にするつもりもないという感じである。
言い返すには言葉通りに殺すしかなく、マルタンもそこまでするつもりはないらしい。
「言う程大した連中じゃなかったな。弱い物いじめでもしてるみたいでいい気分じゃない」
よくわからない連中を一方的にいたぶって、良い事をしたと胸を張れる程気楽な性格ではなかった。だからまぁ、皮肉の一つも飛び出したのだが。
「馬鹿言わないで! こいつらは魔王論者なのよ! 攫われた人たちはきっと殺されてる! 今殺さないのは、情報を引き出さないといけないからってだけよ!」
言葉通りの理由が半分、もう半分はラビーニャに言い負けた腹いせだろう。ともかくマルタンは怒鳴ってきた。
「――れわれは……んな――事は――して、いなぃ……」
ラビーニャの癒しが効いたのか、邪神官が息切れの隙間に呟いた。
「――貴様らが――消そうと――したのではないか――ただ己の神に祈っていただけの我々を――一方的に!」
相変わらず衰弱して死にかけてはいたが。
邪神官の血走った眼には、燃えるような復讐の殺意が揺らめいていた。
マルタンはそれを同じような目で見返すと、腹につま先を蹴り入れて黙らせた。
「マルタン」
叫ぶほどではないが、それでも咎めないわけにはいかない。
マルタンに胸倉を掴まれる。
「出まかせに決まってるでしょう!? こいつらは魔王論者なのよ! わけわかんない目的の為に平気で他人を犠牲にする、狂った連中なのよ!」
彼女との身長差を考えれば滑稽な姿ではあったが。
笑える状況でもない。
とりあえず、殺気立つペコを手で宥めつつ。
「君の言う事が正しいんだろうと思うよ。けどな、俺達は部外者なんだ。知った気になって、当事者の君達と同じように怒る事を期待しないでくれ」
あるいは、そうできたら楽なのだろうが。
「――あんただって大事な人を殺されれば、そんな口は聞けなくなるわ」
その話は既にした。
その通りである事も確認した。
だからライズは何も言わなかった。
数日後、彼女のたった一人の肉親が魔王論者によって殺された。
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