第90話

 イスミールがその場所を選んだのは、たんに内緒話をするのに都合がよかったという程度なのだろう。


 ユーティア神殿の地下牢にぶち込まれた時以来の、殺風景な祈りの間である。恐らくは、イスミールの個人的な、と注釈がつくような部屋なのだろう。


 言われた通り朝一で訪ねて、通されたのがこの部屋だった。

 いつかと同じように、イスミールとマルタンが待ち構えていた。

 予想通りの話だという事は、マルタンから漂うヒリついた魔力の気配で察した。


「用件ってのは例の魔王論者狩りとやらか?」


 イスミールは体型の変わったキッシュが気になるようではあったが。

 世間話をするような気分にもなれず、単刀直入にライズは切り出した。


 マルタンとは違い、イスミールは落ち着いたものだった。

 これが茶会の席だとでもいうように、朗らかな笑みを浮かべて言ってくる。


「前哨戦のようなものですが」


 つまりはまぁ、この後に大掛かりな抗争が控えているという事なのだろう。それこそ、中立を守るスザン神殿の神官戦士達を引っ張り出さねば手も足りないような。

 その先は、マルタンが引き継いだ。


「市内の魔王論者達は幾つかのグループに分かれて潜伏してるわ。その中の一つにこれから奇襲を仕掛けるの。あんた達にも手伝ってもらうわよ」


 仲間達がざわつく。


「随分急だな」


 代弁するつもりでライズは言った。


「午後から決起集会をやるって情報が入ったのよ。そこに乗り込んで一網打尽にするつもり。決起集会ってくらいだから、戦える人間が集まってるはずだし」

「――つまり、それだけ危険って事だろ」


 皮肉るような口調で言えば、当然マルタンも睨み返してくる。


「なによ、不満なの?」

「そりゃそうだろ。危ないのが好きな奴なんかいるか?」


 さっ! と挙手するペコを拳骨で黙らせる。

 不満はあるようだが、シリアスな空気を一応読んでか、むくれるだけで文句は言ってこない。

 咳払いで仕切り直す。


「大体、人間が相手ってのがな。魔物退治とはわけが違う」

「あたしだって、本当なら部外者なんか雇いたくないわよ」


 忌々しそうに言われても、知った事かという話だが。


「ならそうすりゃいいだろ」

「ライズさん!?」


 断るとは思っていなかったのだろう。堪えきれずペコが口を挟むが――


「いいから。ここはライズに任せておきなさい」


 事の重大さを察してくれたのか、人差し指を立ててラビーニャがとりなした。


(……後で小遣いをせびられるな)


 まぁ、それで済むなら安い気もするが。


 しがらみもないような仕事ならラビーニャに任せるが、それ程気楽な物でもない。

 つまりはまぁ、リーダーの出番という事なのだろうが。

 苛立ったマルタンの視線を適当に受け止めていると、イスミールが口を開いた。


「お恥ずかしい話ですが、こちら側に魔王論者と繋がる者がいるようなのです。情報が漏れれば奇襲になりませんし、この情報自体、こちらの戦力をおびき出す為の罠という可能性もあります。その場合は、こちら側の重要施設が狙われる事もあり得ます。そちらの警備と並行して、市街の見回りも強化しなければなりませんので。こちらとしては、是非とも皆さんのお力をお借りしたいのです」


 まぁ、そんな事だろうとは思っていたが。

 ライズとしても、本気で断るつもりではない。場合にもよるが、その場合に当てはまるのかどうか、とりあえず揺さぶって手触りを確かめたかったのだ。


(なんにしろ、きな臭い話だからな)


 ラオイエのよくわからない仄めかしも気になったが。どう転んだ所で、人間同士の争いというのはきな臭いものである。


 と言っても、揺さぶった所で目に見える埃が落ちるわけでもなかった。

 どのみち、勇者とやらを目指すには、避けては通れぬ道なのかもしれない。

 分かっていても、悩ましさが消えるわけではない。

 なんだかなぁという気持ちで耳などほじりつつ、蛇のいる藪の中に手を突っ込むような心地でライズは言った。


「請けてもいいが、条件がある。俺達は冒険者で殺し屋じゃない。勿論、拷問官でもない。魔王論者共を無力化するのには手を貸すが、皆殺しにしたいのなら他をあたってくれ」


 我ながら、馬鹿な事を言っていると自覚しつつも。

 さりとて、そう馬鹿げた話でもないだろう。


 ライズを除けば、日の出の一団のメンバーに人殺しの経験を持つ者はいない。まぁ、確かめたわけではないが、その必要もないだろう。


 不可抗力はともかく、ライズとしては、他のメンバーにそんな事を強いるつもりはなかった。加えて言えば、その気があっても禁じるつもりだが。


 キッシュは心配ないだろう。人殺しなど思いもよらない、善良な娘――という歳でもないらしいが――である。ラビーニャもまぁ、性悪ではあるが、中々どうして、神官らしい倫理観は備えている。


 問題はペコだった。恐らくペコは、危なくなれば躊躇せず殺すだろう。多少は迷い、傷つきもするだろうが――すぐに慣れる。そういったタフさを備えているように思える。良い意味でも、悪い意味でも、あの村娘には天性の戦士の素質があるのだ。

 それがどう転ぶかは、導く者次第と言った所だろうか。そこまで気にするのは過保護なのかもしれないが――


(――あいつが俺に鍛えてくれと頼んだんだ。なら俺には、師匠としての責任があるだろうよ)


 そんな理由が半分程。もう半分はライズのエゴだ。

 誰にだって苦手な物の一つや二つはある。ピーマンが食べられないとか、虫が怖いとか、高い所が駄目だとか。


 同じように、ライズは殺しが嫌いだった。出来なくはないし、恐らくは、その辺の盗賊などより余程殺してもいるのだろうが。

 だからこそ、嫌なのである。


(――甘ちゃんだからな。そんな男をリーダーに持ったのが不運だと諦めてくれ)


 と、誰にともなく言い訳のような事を思いつつ。


「なによそれ! 冒険者なんかやっておいて、自分達だけは手を汚さないつもり? あんた達が殺さなきゃ、代わりに別の誰かが手を汚すのよ! そんなのって、卑怯じゃない!」


 マルタンの目には、はっきりと軽蔑が浮かんでいた。

 まぁ、一理はあるが。


「汚す必要のない手をわざわざ汚す気はないって話だ。人一人殺すにはそれなりの理由がいると俺は思ってる。少なくとも、他人の理由でやるような事じゃねぇ。というか、本気で皆殺しにするつもりなら断るぞ」


 それこそ部外者が小銭欲しさに人殺しをすると思われても困るのだが。

 それよりも、魔王論者を皆殺しにするつもりらしい事に驚く。

 どうやらそれは、マルタンの買い言葉だったらしいが。


「誤解しないで下さい。魔王論者狩りというのは言葉のあやのようなもので、全員を問答無用で処刑するわけではありません。そんな蛮行は、ユーティア神もお許しにはならないでしょう。勿論、罪を犯した者には相応の報いを与えはしますが。あくまでも今回の作戦は、正当な裁きを与える為の捕縛です。殺さずに済ませるのは難しいとは思いますが、それが可能だと仰るのであれば、こちらとしても望む所です」


 後ろのラビーニャが鼻を鳴らした。マルタンの不興を買わないギリギリの音色だが、確かに皮肉が混じっている。


 皮肉を言われたからやり返したのだろうが。

 むしろライズは、笑いそうになってしまった。


 殺したくないのなら好きにすればいいが、言う程簡単ではないぞと言っているのである。というか、やれるものならやってみろという感じだろう。


 仰る通りという感じである。ぐうの音も出ない。笑ってしまう程の正論だ。


(当たり前だな。殺しちまうのは、簡単な事だ。そんな事は誰でもできるし、誰だって思いつく。俺に言わせれば、馬鹿にだって出来る事なんだよ)


 甘い男の意地でそんな事を思うが、思うだけにしておいた。

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