第17話 激動

「だからここは……」


 今は如月先生の英語の授業中だ。如月はすっかりクラスの人気者となり、授業中は私語一つなくみんな真面目に授業を聞いている。


 あの事件以来、不知火は任務によく連れて行ってもらえるようになった。と言っても、基本的にはほぼ危険の少ない後詰めの仕事がほとんどだ。しかし、あの事件で末課の信頼を勝ち得たのは間違いない。


 不知火はふっと外を見る。暑さも陰りを見せ、だんだんと秋の気配を感じるようになった。今日もいつもと変わらない平和な日常だ。



「あーここかぁ」


 学校の正門前に一人の男がふらりと現れる。逆立てた金色の髪にサングラス、服装は胸元を開けた柄シャツと、見る者が見れば明らかにその筋の者だと分かるほどの異質な格好をしていた。


「えーと、2-4、2-4っと」


 男はくしゃくしゃになった紙を広げて何かを探している。紙を指でなぞり、にたりと笑った。


「みぃつけたぁ」


 その場に紙を放り捨て、男は右手を伸ばす。その手にはいつの間にか巨大なはさみが握られていた。

 男は鋏を広げて空を切る。すると、何もないところがすぱりと切られ、真っ黒な穴が現れた。

 男はその中にすっと入る。男が入った後は穴がなくなり、まるで何事もなかったかのようにその場には何も残らなかった。



「はいごめんなさいよっと」


 その男は突然現れた。教室の廊下側の空間がスパッと割れ、中から風体の悪い男が現れたのだ。完全に虚を付かれ、如月は僅かの間思考を忘れていた。


「空間断裂」


 男は右手に持っていた巨大なはさみをぐるぐると振り回し投げる。鋏は教室をぐるりと一周して飛び回り、男の手の中に戻った。

 その後の教室の中は完全に一変していた。まるで真夜中のような黒一色の世界。しかし光源はあるのか、暗闇のように目が見えなくなる事はなかった。


 如月はあの鋏が飛び回る瞬間、ポケットの中に入れておいたスイッチを押していた。これは九十九に緊急事態である事を知らせるものだ。あの末期の一振りの技名のように空間を切り離されていたら届かなかったかもしれないが、おそらく間一髪のところで間に合っただろう。

 問題は、自分達の空間が隔絶されてしまっている事だ。おそらく、外からの干渉を防がれている。これでは九十九が来ても、効果時間が切れるまでどうしようもない。この場は如月がなんとかするしかないのだ。


「おら、ガキ達は隅っこの方で固まってろ」

『キャアアアァァァァ!』


 ようやく生徒達も事態が把握できたのか叫び声を上げた。しかしこれでは完全にパニックだ。各々が外に出ようとあがくが、やはり外には出られないようだった。


 男はうざったそうに頭をかいた。


「うるせえなあ。どれ、見せしめに一人殺してやるか」


 そう言って男は生徒達に歩を進めようとする。しかし、その間を如月が遮った。


「やめなさい! みんな、彼の言う通りにして。落ち着いて。絶対にあなた達には手を出させないから」


 如月は落ち着いた口調で諭すように生徒達に語りかける。最初は生徒達はざわざわと騒いでいたが、一人また一人と少しだけ落ち着きを取り戻し、壁際に縮こまるように集まっていった。


「いいねえ、先生。生徒に信頼されてるじゃないか」

「一体何が目的です!」


 毅然きぜんとした態度で如月は男に接する。男は気に入ったようににっと口元を歪ませると、鋏を肩に担いだ。


「目的、か。まああってないようなもんだが、退屈なんでちょっと遊びに来てみた。こんな答えで満足か? 先生」

「ふざけないで!」

「別にふざけてねえよ」


 男は鋏の刃を如月の首筋に当てた。ひやりとした感触に、如月の頬から一筋の汗が流れる。


「先生、あんたの命をくれよ。それで後ろの奴らは助けてやる」

「……分かりました。その約束、必ず守ってください」

「先生!」


 生徒達の悲痛な叫びが聞こえる。

 如月は覚悟した。如月に末期の一振りと戦う術はない。ならばせめて生徒達だけでも助けてみせると。


「いい覚悟だ。感動的だな。それじゃ、さよならだ」



「くそ! どうなってやがる!」


 九十九は如月からの緊急連絡をうけて如月達のいる2-4に向かって全力で走っていた。

 九十九は表向きは用務員の作業をしながら、不審者が構内に入ってこないか監視していた。間違いなく、校門を通って入ってきた不審者はいなかったはずだ。しかし、現に如月の緊急連絡が鳴っている。どういう訳かは分からないが、確実に何かがあったのだ。


「なんだ、こりゃ……」


 校舎の階段を駆け上がり、廊下を走って九十九は2-4の前に到着して言葉を失った。廊下の窓は真っ暗になっていて中をうかがい知る事はできない。

 九十九はすぐにドアを開くと中に入ろうとする。しかし、押し返される感触はないのに中に入れないという奇妙な感触だけが残った。ならばと悪食を取り出し、空間に向けて斬ってみる。しかし全く手応えはなく、状況は変わらなかった。


 九十九はすぐにスマホを取り出すと電話をかける。


「課長ですか!? 緊急事態です! すぐに不知火の高校へ応援をよこしてください! ……はい、現状は完全に不明。最悪の事態も考慮してお願いします!」


 九十九は電話を切った後立ち尽くした。


「ちくしょう……」


 拳を握りしめて己が無力を嘆く。九十九は、ただ待っているしかできなかった。



 如月はその時を覚悟して目を瞑った。その直後、金属同士が打ち合う激しい音が聞こえ、如月ははっと目を開ける。そこには翆月を握り、如月の喉元に届こうとしていた相手の鋏を防ぐ不知火の姿があった。


「不知火!」


 いけない、という言葉が喉元から出かけて如月はぐっと飲み込んだ。如月と不知火に何らかの関係があると悟られては絶対にいけない。生徒達はもちろん、何よりこの男に対してだ。


「誰も、殺させはしない!」


 不知火の叫び声に男はこれ以上ないくらい満面の笑みを湛えた。まるで、それこそが何よりの望みだったかのように。


「へぇ。ならちゃんと守ってみせろよ! おらぁ!」


 鋏が不知火に向かって何度も叩きつけられる。重量でめちゃめちゃに打ち付けるように見えて洗練さを感じさせる太刀筋。不知火はそれを受け流すかのように防いでいたが、明らかに劣勢だった。


「……ねえ、不知火さんが持ってるのってもしかして……末期の、一振り?」


 ふと、生徒の中からぽつりとそんな一言が聞こえた。それを皮切りに全体にどよめきが広がる。


「俺達の中に末期の一振りを持ってるやつがいたのかよ!」

「信じられない! 平気な顔して私達の中に潜り込んでたの!?」

「ちょっと待って! ユッキーは先生を助けるために戦ってるんだよ!? 今はそんなこと……」

「ふざけんな! 何かあったら俺達が不知火に殺されてたかもしれないんだぞ!」


 もう喧々囂々けんけんごうごうだった。何とか空閑と綾瀬、碧波は不知火を庇おうとするが、そんな声は生徒達には届かない。疑惑と怨嗟の声が、不知火に向かって放たれていた。

 この時、完全に如月の思考はパニックに陥っていた。無理もない。考えうる限り最悪の状況だ。謎の敵が襲来し、不知火の末期の一振りがばれ、しかし如月が動く事はできない。完全に無力だったのだ。


「匕ハハハハハハハハハハ! いいねえ、サイッッッッコーーーーーーだ! 持たざる者の無様な嘆きこそ愉悦よ!」


 歓喜に満ちた男の叫びで如月はわずかに我を取り戻した。

 いつの間にか剣戟けんげきの音は止んでいて、両腕を大きく開きながら高笑いをする男と、力なくだらりと腕を垂らす不知火の背中がそこにはあった。

 不知火の表情は見えない。しかし、それを想像する事は容易だった。


 男が顔を不知火の耳元に近づけて何かを話した気がした。その瞬間、不知火は膝から崩れ落ちてぺたりと床に座ってしまう。一体、何を言われたのか?


「おっと。もうちょっと派手にやりたかったんだが残念、そろそろ時間切れだ。この辺で俺はおさらばとさせてもらう。感謝しろよガキども。本当は皆殺しにするつもりだったんだからな。アデュー」


 そう残された者達に告げると、男は鋏で空間を切り裂き、二本指を振りながら中に入って消えてしまった。そして僅かな静寂の後、教室を覆っていた黒い空間が突然消え、元の教室へと戻る。


「不知火!」


 間髪入れず九十九が教室の中に飛び込んでくる。混じり合う九十九と如月の視線。それだけで九十九には現状が伝わったようだった。九十九は不知火に駆け寄り腕を取って引っ張る。


「立て! 走れ!」

「不知火が逃げるぞ! 裏切り者だ!」


 生徒達の中からそんな声が響いた。曝されていた恐怖が消え、生徒達は次の標的に向かって敵意を向ける。しかし、そこに如月が動いた。


「やめなさい! 不知火さんは身を挺して私達を助けてくれたのよ! どうしてそんな物言いができるの!」

「そうだよ! ユッキーは何もできなかった私達に代わって先生を助けてくれたじゃん! 裏切り者なんて言わないでよ!」

「うるせえ! 末期の一振りを隠し持ってるやつなんて信用できるか!」


 状況についていけず泣き出す者、扇動しようとする者、不知火を庇おうとする者が入り乱れ、教室内は大混乱だった。しかしこれこそ好機。隙を見た九十九が引き摺るようにして不知火を教室の外に連れ出した。

 後に残った如月は、生徒達が落ち着くように何とかなだめながら、不知火の心情を心配するのだった。



 その後、九十九の連絡によって事前に学校周りを張っていた警察であったが襲撃犯を捕らえる事はできず、混乱を避けるために報道規制を引いた。幸いにも不知火の名前は外に出る事はなかったが、事件は大々的に取り上げられ、より一般人と末期の一振り所有者の溝が深まる事態となった。

 被害にあった生徒の大半はメンタルケアが必要になり、2-4は実質閉鎖された状況となった。


 そして不知火は、如月のマンションに匿われていた。傍目からは明らかに憔悴しきっていた。しかし、


「何か仕事をください」


 そう言って不知火は虚ろな目で如月にせがむのだった。最初は断っていた如月もついに根負けし、末課のスケジュール管理の仕事の一部を任せるようになった。何かに打ち込む事で少しでも不知火の気を紛らわせようという如月の判断だった。

 そして不知火はずっと一人で部屋に閉じこもり、真っ暗な部屋の中でパソコンと向き合って仕事をするのだった。

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