第16話 初陣
自動ドアが開き、不知火はXYZホテルに入った。入り口からすぐに受け付けになっていて、フロントに男性と女性がそれぞれ一人立っていた。客はいない。
不知火は男性の方に歩み寄る。
「いらっしゃいませ。チェックインでしょうか。お名前を伺っても……」
「いえ、私は警察の者です」
そう言って不知火はポケットから警察手帳を取り出し、開いて男に見せた。もちろん本物だ。
男性は訝しむように手帳と不知火の顔を交互に見た。
「ここの責任者の方にお会いできますか?」
「はあ……では連絡しますのでこちらへ」
まだ半信半疑といった顔だが、何とか信用してもらえたようだ。不知火はカウンターの裏に入り、スタッフ専用と書かれたドアの奥に通された。
華やかなフロントとは違い、配管がむき出しの殺風景な廊下だ。そこでしばらく待っていると、奥から一人の男性が歩いてやってきた。
一部のスキもないきっちりした装いと滑るようになめらかに歩く姿から、彼のホテルマンとしての力量が分かる。この人が支配人だろう。
「初めまして、支配人の工藤と申します。申し訳ありませんが、もう一度警察手帳を拝見しても?」
「はい、どうぞ」
不知火は警察手帳を工藤に渡す。工藤は警察手帳を開き、何度か不知火と手帳を見比べた。そして納得したように手帳を閉じると、不知火に返す。
「不知火特別捜査官。今回はどのような件でこちらに?」
「このホテルのどこかが犯罪に使われている可能性があります。今日の宿泊客の中で、奇妙な要望をした客はいませんか?」
「……少々お待ちを。今、社内SNSで確認します」
そう言って工藤はスマホを取り出すと操作を始めた。
しばらくして、彼の眉間にほんの少しだけシワがよった。
「本日のお客様の中に、窓からテラホールが見える部屋を希望した、という報告がありました」
「!? それです! 部屋の番号とキーカードをもらえますか?」
「部屋番号は1204。キーカードは私のマスターキーをお貸ししましょう。ですが、なるべく穏便にお願いします」
「分かりました」
不知火は工藤からカードを受け取ると、外に出てエレベーターのボタンを押した。
(よし、一発で引き当てた!)
鼓動が早まる。それを不知火は必死に抑えて冷静になろうとした。
精神の動揺は全てを鈍らせる。それを常日頃から身を以て知っている不知火は、深呼吸して自分の心を落ち着かせた。
チン、と音がしてエレベーターが到着する。不知火は乗ると、一二階のボタンを押して扉を閉めた。
エレベーターが上る間、不知火はつくもに連絡を取る。
「こちら不知火。九十九先輩、犯人の潜伏先が分かりました。場所はXYZホテルの1204号室です。どうぞ」
『こちら九十九。あと五分もあれば着けそうだ。焦ってぬかるなよ。どうぞ』
「はい。九十九先輩が来るまでに何とか無力化してみます。以上」
通信を切ったと同時にエレベーターのドアが開く。不知火はしん、としたホテル独特の通路に立った。壁の部屋番号案内を確認して1204号室を探す。
すぐにその部屋は見つかった。この時、不知火の頭の中はどうやって犯人を確保するかで目まぐるしく働いていた。
(侵入して即時制圧する? いや、動揺した犯人が何をするか分からない。それに九十九先輩が来た時のためにドアを開けておく必要がある。あ、それはドアを開けた後にマスターキーを通路に置いておけばきっと気づいてくれるか。後は……)
様々な方法を検討した結果、犯人の出方によって柔軟に対応する事に決定した。
不知火はカードポケットにマスターキーを入れる。ピーッという音とともに、カチャリと小さな音を立ててドアが開いた。この音はまず中の犯人に聞かれただろう。不知火はマスターキーを抜くと地面に置き、そっと扉を開ける。
犯人の不意打ちを警戒していたが、目の前には誰もいない。狭く短い通路の奥にベッドルームが見える。犯人がいるならきっとそこだ。
不知火は翆月を取り出して聞き取れないほどの小声で正謳を唱えながら忍び寄る。
「月が隠れたその夜の闇は全てを吸い込む。光も、音も、何もかも……」
不知火が立てたプランは、暗月の正謳による五感を奪ってからの拘束。暗月の効果範囲はとても狭いため、この狭い部屋は好都合だ。
不知火は準備を整えると部屋に飛び込んだ。
「暗げ……!」
しかし、そこには誰もいなかった。いや、不知火の視界には誰も目に映らなかったという方が正しかった。
「
ベッドの影から男の声が聞こえる。気づけば桃色をした刀が不知火の方に向けられていた。
突如襲い来るめまい。平衡感覚が乱れて世界が回る。同時に胃から中身がこみ上げてきて思わず両手で口を押さえた。
「う……ぐぅ!」
「なんだ、誰が入ってきたのかと思えばまだ子供か」
そう言って男が隠れていたベッドの脇から顔を出した。一見、どこにでもいるスーツ姿のサラリーマン。しかし、その手には桃色に光る末期の一振りが握られていた。男は不知火の様子を見て面白そうに目尻を歪めた。
「辛いだろう? しばらくはまともに立てないだろうさ。なに、ちょっと早く大人を体験したと思えばいい。さて、と……」
男はカバンをごそごそと漁ると、そこから大きな双眼鏡を取り出した。そして小さな窓から双眼鏡を目に当てて覗き込む。
「後少しだ。後少しで愚鈍な愚か者を一人始末できる」
それを聞いて不知火ははっとした。どういった手段かは知らないが、男はすでに何らかの手段を使って人を殺そうとしている。こんなところで倒れている訳にはいかない。
不知火は気合を入れると、その場からふらつきながら立ち上がる。まだ視界と気分は良くならない。それでも、今不知火がやらなければならなかった。
「何を……勝ち誇ってるんです?」
そう言って、不知火は無理やり笑顔を作り出した。
話しかけられた男は双眼鏡を下ろすと、明らかに不機嫌そうな顔をして不知火の方に向き直った。
「なぜ無理をして立ち上がる? もう手遅れだ。諦めろ」
「手遅れなんかじゃない。私が絶対に止めてみせる」
「……不愉快だ。子供だから見逃してやろうと思ったが気が変わった」
男は末期の一振りを不知火に向けた。そして不知火に斬りかかる。不知火はその刃を翆月で受け止めた。こらえきれずに一歩後ろに下がる。
「そらそら、さっきの勢いはどうした? 受けるだけで精一杯じゃないか」
次々と男の斬撃が飛んでくる。それを受けるたびに不知火はジリジリと下がっていく。そしてついに寝室の外の通路まで後退させられてしまった。耐えかねたように不知火は片膝をつく。
「さあ、終わりだ。恨んでくれるなよ」
男は残忍に笑うと、振りかぶって刀を不知火に振り下ろした。その時、ガツッという音が室内に響き渡る。見れば、刃が天上に引っかかっている。
不知火はこの瞬間を待っていた。この狭い室内では満足に刀を振るうことは難しい。さらに、部屋の外の通路はいよいよ狭い上に一段天上が低くなっている。不知火に止めを刺そうとすれば刀の長さが邪魔をする。それを把握しきれなかった男は、少なくないスキを作ってしまっていた。
「現われろ、我が
「やめろ……やめろ!」
「朧重!」
不知火の短刀はこの狭い中でもギリギリ使える。そして正謳による朧重の一点集中。鈴森には届かなかったが、今は相手が動揺している。
果たして、翆月は相手の末期の一振りを叩き折った。男は腰を抜かしたようにその場にへたり込み、不知火も力が抜けて床に倒れ込み突っ伏した。
しばらく訪れる静寂。その静寂を切り裂いて、カチャリと鍵が開く音が聞こえ、同時にドアが開いた。九十九が来てくれたのだ。
「不知火! 大丈夫か!」
九十九は倒れている不知火を抱き起こした。
「……すみません、不覚を取りました。でも、相手の末期の一振りは叩き折りました。これで事件は解決です」
「……は、ははははは! 終わらんよ! もう遅い! 奴はもうすぐ殺されるんだ!」
「ハッタリです。何をしたかは知りませんが……」
「不知火、お前こいつに何をされた?」
「酩酊、という能力を使われました。気分と平衡感覚をやられました」
「やっぱり精神操作系か。不知火、こいつの言ってる事は多分ハッタリじゃない。精神操作系は末期の一振りを無効化しても効果は残るんだ。現にお前、まだ気分が悪いだろ?」
「そんな! それじゃ……!」
「……いや、ちょっと待て」
九十九はポケットからスケジュール表を取り出すとそれを真剣な表情で見つめた。そしてはっと何かに気づいたかのような顔をすると、通信機にがなり立てた。
「こちら九十九班! 結城班へ、犯人の狙いが分かった! 講演後の花束贈呈だ! 繰り返す! 花束贈呈を阻止しろ!」
◇
「ふむ、これはどういう事かな?」
「先生、繭を解いて!」
「ああ、分かった」
結城が糸を爪弾くような仕草をする。これで会場を覆っていた繭が解除された。
「柊、お願い」
「分かった。見通すは万里。森羅万象を私は理解する。千里眼」
柊の正謳と同時に、柊の視界が鷹野に共有される。それは現在の会場の様子だった。公演は終了し、護衛対象の後ろには花束を持った三人の女性が立っている。そして、柊の千里眼のおかげで隠されたそれを鷹野は捉えていた。
「我が放つは鮮烈なる
正謳を唱え終わった瞬間に鷹野は引き金を引く。焔から放たれた弾丸は炎を纏い、不規則な軌道を描きながら会場へと飛んでいくのだった。
◇
(ふん、なんだ。結局何も起こらなかったではないか。所詮は下劣な者の戯言だったと言うことよ)
天城隆三は公演を終え、満足気に笑みを浮かべると、花束を受け取るために振り向いた。そこには三人の女性が花束を持って立っている。
天城は右から順に花束を受け取っていく。そして最後の一人から受け取ろうとした。しかし、なぜか花束は横ではなく縦に自分に向けられている。その奥から、キラッと何かが太陽の光を反射したものが見えた。
その時、花束が突然目の前で弾け散った。中から現れたのは粉々になった刃物。天城は驚きのあまり、ひっと声を上げて腰を抜かし、その場に座り込んでしまった。
会場内は一瞬しん、となったが事態に気づいたのか途端に騒然となる。天城はそれをただ見ているしかできなかった。
◇
「以上が報告になります」
そこは薄暗い部屋の中。男が二人きりで話し合っている。片方はいかにもチンピラといった風体の痩せぎすの男。対して、もう一人の方は大柄でスキンヘッド。頭には蛇のような入れ墨が彫られている。高そうな椅子によりかかり、机に両足を投げ出している。
「分かった。まあ進んでるのは分かる。だがちと気が長すぎるよなあ。これじゃ事を起こすのがいつになるのか分かったもんじゃねえ。よし、ちょっと俺達が手助けしてやろうじゃねえか。おい」
男は誰もいない空間に向かって声をかける。するとその空間が縦に割れて、別の男が現れた。手には人丈ほどもある巨大なハサミが握られている。
「お呼びで」
「ああ。ちょっと暴れてこい。あいつが動きやすくなるようにな。騒ぎは大きければ大きいほどいい」
「そりゃあいい。前夜祭ってわけだ。少し先に楽しんできますよ。お任せあれ」
そう言うと、ハサミを持った男は裂けた空間の中に戻っていった。
スキンヘッドの男は満足そうに頷いて、にぃっと笑う。
「もう少しで楽しい祭りの幕開けだ。せいぜい足掻いてくれよ、末課の野郎ども」
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