1
やっと町の中心地まで辿り着くことが出きた。
『着きましたよ。伸介さん。これからどうします。すぐにお祖母さんを探しますか。それとも、ひと休みしてからにしますか…』
『休むと言ったって、ぼくはそんなに疲れてもいないしなぁ。うーん、どうしようか…、まあ、ちょっと休憩しようか。モクさん』
『はい、そうしましょう。ドッコイショっと』
山羊のモクさんは、両足を折ると地べたに寝そべった。伸介も両膝を折って、その場にしゃがみ込んだ。
『どこに行って誰に聞けば、お祖母さんの居場所がわかるのかなぁ。まさか、ここには警察なんかないだろうし…』
『そうですねぇ。わたしも人間のことは、よく判らないんですよ。すみませんねぇ。でも、行きあたりばったりに、その辺を歩いている人に、聞いて回ってはどうでしょう。そのほうがわりと早く判るかも知れませんよ』
『そうだなぁ…。それしかないのなら、そうするよりないか…。よし、そうと決まれば、さっそく聞いて回ろう』
伸介は立ち上がると、前方からこちらに向かって歩いてきた、中年の女性を呼び止めて訊ねた。
『あのう…、すみません。ぼくの祖母なんですが、浅丘信子という人は知りませんか…。八十歳くらいなんですが』
『さあ…、あたしは判りませんね。でも、ちょっと待ってください。友達にも聞いてあげますから』
中年の女は、その場で方々に向けて自分の想念を送った。
『あなたお名前は何とおっしゃるの』
『あ、すみません。浅丘伸介と言います』
『浅丘伸介さんですね。しばらくお待ちになってくださいね』
女は「浅丘伸介さんという方が、お祖母さまの浅丘信子さんの、消息を訪ねていらっしゃいます。どなたかお心当たりの方はおりませんか」という想念を送った。
すると、想念を送った女の表情がパッと明るくなった。
『お喜びください。浅丘さん、たった今、あなたのお祖母さま、ご本人から直接ご連絡がありました』
『え、本当ですか…。それで、今どこにいるんですか…』
『すぐ、この近くに住んでいらっしゃるそうです。これからあたしが案内しますから、ご一緒に来てください』
『よかったですねぇ、伸介さん。これでわたしも安心して帰れますよ。それでは、わたしはこの辺で失礼しますよ。はい、さようなら』
『いろいろどうもありがとう。ラインの親父さんによろしく言っといてください。モクさんもお元気でねー』
遠ざかっていく山羊を見送りながら、伸介は必死に手を振りながら見送った。
『それでは、あたしらもまいりましょうか、こちらです。どうぞ』
『すっかりお世話になってすみません。失礼ですが、おばさんもこちらに来られて長いんですか…』
『あたしですか。どれくらい経ちますかね…。ここではあまり時間は関係ないですから、どれくらい経つかなんて、数えてみたこともないですね』
『そうですか…。ここでは時間という概念そのものが、ないのに等しいのかも知れませんね。もしかすると、時間なんか気にしているのは、人間だけかも知れないなぁ…』
『あ、ここみたいですよ。浅丘さん、あたし先に行って確かめてきますから、ここで少し待っていてくださいな』
女はそう言い残して、一軒の家に向かって歩いて行った。
ものの二分も経つか絶たないうちに、女は足早に伸介のところへ戻ってきた。
『どうでしたか…』
『ええ、ここにお住まいの方は間違いなく、浅丘さんのお祖母さまの信子さんでした』
『あれ、お祖母ちゃんなら、真っ先に飛び出してくると思っただけど、変だなぁ。どうしたんだろう』
『ああ、それなら、ちょっとした理由がありまして、いきなり出て行ったのでは、伸介さんがびっくりなさるといけないので、とのことでした』
『え、でも、なぜぼくがびっくりするんですか…』
『それはお逢いになれば分かりますよ。どうぞ、こちらへ』
女に伴われて伸介もついて行った。
『信子さん、伸介さんを連れてまいりました』
入口の扉を開けると、すぐに祖母の声が聞こえてきた。
『まあ、まあ、伸介。よく来たわね』
祖母の姿を見た途端、伸介は頭から冷水を浴びせられたような思いがした。なんと伸介の目の前に立っていたのは、伸介よりも五・六歳は若いと思われる女性だったからだ。
『こ、これがお祖母ちゃん…、確かぼくのお祖母ちゃんは、八十何歳かで亡くなったはずなのに、こんなに若いはずがないんだ。あなたは一体誰なんですか…』
『まあ、伸介が驚くのも無理はないわね。あたしは正真正銘のあなたの父親、伸太郎を生んだ浅丘信子ですよ。安心なさい。伸介』
『だけど、どうしてそんなに若いんですか。ぼくにはまだ信じられません』
『伸介が信じられないのは無理もないわ。あら、あら、いつまでもそんなところに立ってないで、中にお入りなさい。中でゆっくり話しましょう』
信子はふたりを室内に招き入れた。
『信子さん、あたしはこの辺で失礼しますわ。でも、本当によかったですわね。伸介さん、お祖母さまにお逢いできて…』
『あら、あなた、まだいいじゃありませんか。せっかく伸介を案内してきていただいたのに、どうぞゆっくりして行ってくださいな』
『そうですか…。それではせっかくですから、ほんの少しだけお邪魔しようかしら』
案内してくれた女も交えて、三人は席について信子が話し出した。
『ずいぶんになるわね。伸介の顔を見るのも…、何年になるのかしらね。あたしがこちらに来てから…、もっとも、ここではそんなに時間なんて、気にする必要もないんだけどね。それでもやっぱり懐かしいわ。何といっても伸介はあたしの孫だものね』
『うん、ぼくも判ってきたよ。姿形は若く見えるけど、やっぱりあなたはぼくのお祖母ちゃんなんだってことが……、でも、どうしてそんなに若返ったの…』
『それはね…。あたしたちが元いた世界では、母親が受精して赤ちゃんが生まれてきて、だんだん成長して大人になって、やがて年老いて死んでしまうでしょう。ところが、ここ迷界ではまったく逆なの…』
『逆…、逆ってどういうことですか…』
『逆っていうのはね。もちろん個人差はあるらしいんだけど、時間が経つに連れてどんどん若くなっていくのよ。あたしの場合は特に若返る時間が早いらしくてね。見てのとおり、いまではこんなに若くなってしまったわ』
『そ、それじゃ、もっと若くなって最後には赤ちゃんになってしまったら、その先は一体どうなるんですか…』
『さあ、どうなるのかしらね…。あたしにも判らないわ。たぶん、また卵子と精子に分かれて、宇宙の真っただ中を漂っていくのかも知れないわね…。
だけど、伸介さん。あなたは少しばかり、こちらに来るのか早すぎたのではありませんか…。あなたの年齢ならあと六十年くらいは、人間界に存在できてもおかしくないたはずなのに、一体どうしたのですか』
『それがね。お祖母ちゃん、突然だったんだよ。さっき、このおばさんには話さなかったんだけど、ぼくが昼飯を食いに行こうとした時に、ついうっかりしてて車に跳ね飛ばされたらしいんだ…。それできがついたら、この迷界の中を彷徨っていたんだよ。でも、お祖母ちゃんに逢えてとても嬉しかったよ』
『そう…、そうだったの…。でも、あたしもうれしいよ。伸介に逢えたんだものね』
『でもさ、お祖母ちゃん…。このお祖母ちゃんって呼ぶのも、ぼくよりも若いのになんだか気が引けるよなぁ。どうしようか…』
『そんなこと、気にしなくてもいいわよ、伸介。間違いなくあたしは、あなたのお祖母ちゃんですもの、かわいやしないわよ』
『だけどさ、実年齢はともかくとしても、見かけはぼくよりも若い女性なんだから、何となく気が引けるんだよなぁ…』
『あなたもしつこいわね。あたしがいいって言っているんだから、それでいいでしょう』
『だってさ、知らない人が見たら絶対変に思われるよ』
『しょうがないわね…。だったら信子さんとか信ちゃんって呼びなさいよ。それでいいでしょう』
『信ちゃんか。それいいね。それで行こう。ねえ、信ちゃん』
『なんだか、あなたに言われると気持ちも悪いわねえ…』
『ちえ、何言ってんだよ。自分で言い出したくせに…』
『でね、いいわ。あたしもあなたのことを、伸介くんって呼んじゃうから』
『ちえ、勝手に呼びなよ。信子ちゃん』
『あら、いいわね。本当に若くなった気分だわ』
『充分若いだろう。どう見たってぼくより、ずっと若く見えるじゃないか』
『うふふ、そうぉ、ありがとう。伸介くん』
『これで本当に八十四歳かよ。とても信じられないね』
『あら、失礼ね。あたしはまだ八十二歳よ。バカにしないでちょうだい』
『二歳だろうが、四歳だろうがあんまり変わり映えないだろう』
『何を言ってるの、伸介くん。その二歳や四歳の差が大きいんじゃないの。特に女性にはね。冗談じゃないわよ』
『はい、はい、解かりました。どうもすみませんでした』
伸介の祖母の信子は、もうすっかり若い娘に徹しているように言い切った。
『それより、これからどうしようかな…。お祖母…じゃない、信子ちゃん』
『どうしようかなって、何がよ』
『だって、ぼくはここに来たばかりだし泊るところもないしさ、どうしようかと思って考えてたんだ…』
『なーんだ、そんなことで迷ってたの。伸介くんは、それなら安心なさい。あたしのところに泊めてあげるから、だいじょうぶよ』
『え、だって、いくら孫と言ったって若い娘さんのところに、ぼくみたいな男が泊ったら、世間の目がうるさいんじゃないの…』
『バカねえ。あなたは、まだそんな人間界の習わしとかに、こだわって生きているの。もうおやめなさい。そんな人間界の生き方にこだわるのは、ここは迷界なのよ、迷界には迷迷界なりの生き方があるわ。あなたもそれに早く慣れることね』
『迷界の生き方…、それはどういうことですか…』
『例えば、人間界では生きていると、さまざまな縛りがあるわよね。生きていく上で、あれをやっちゃいけないとか、これをやっちゃいけないとかいう縛りが、他人の物を盗めば罰せられるし、もちろん殺人を犯せば即罰せられるわ。
この迷界には、人間界でいうような罪と罰は一切存在しないの。
なぜなら、罪を犯す人がいないから、罰せられたりしないのよ。わかる、伸介くん』
『うん…、わかったような、わからないような…。あれ、さっきぼくをここへ連れてきてくれた人は帰ったの…』
『ええ、あの人なら少し前にもどったわ。どうかしたの、伸介くん』
『うん、お礼を言おうと思っていたのに、帰っちゃったのか…』
『まあ、そんなこと、それなら心の中でお礼の言葉を念じなさい。
そうすれば、きっとあの方の心にも通じるわ。ここは迷界で、あたしたちは精神体なのよ。心で念じさえすれば、どんなことだって通じるわ。あなたは、まだここに来たばかりだから、慣れていないだけなんですよ。さあ、あなたも今日はあちこちと、歩き続けてきたみたいだから、だいぶ疲れたでしょうから、そろそろ休むことにしましょうか』
『休むったって、外はまだ明るいよ。真昼間から寝れるのかい…。信子ちゃん』
『だいじょうぶよ。ここには昼も夜も存在しないところよ。明るいのがいやだったら、いくらでも暗くしてあげますよ』
信子がそういうと、辺りは一気に帳を下ろしたような闇に覆われ、次の瞬間にはふたりのいる部屋だけが、灯りを点したように明るくなった。
『どう、これなら安心して寝れるでしょう。さあ、いらっしゃい。伸介くん』
信子は立ち上がって伸介を促した。
『どこへ行くの…』
『決まっているでしょう、あたしの寝室よ。何十年ぶりになるかしらね。伸介くんと寝るのって、懐かしいわ』
『え、ぼくも一緒に寝るのかい…。信子ちゃんと…』
『当たり前でしょう。だって、ベッドはひとつしかないもの。さあ、行きましょう』
『しかし、ぼくは…』
『何をそんなに恥ずかしがっているの。あなたは、いやだわ。あたしがあまり若返りすぎたから、それで恥ずかしがっているんでしょう』
『そんなんじゃないけど、しかし…』
『だったらいいじゃない。早く来なさい』
信子は伸介の手を引くと、自分の寝室へ連れて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます