第68話 追証

 翌営業日、寄り付き前の気配で昨日のマクシミリアンの指示通り、現物に10万トンの売り注文が出た。

 それに気づいた先物の建玉を持つ投資家達は、慌てて売り注文を出した。

 また、マクシミリアンに提灯をつけようとして、新規の売りを出す者もいた。

 なので、先物の気配もどんどん下がっていった。


 そしていよいよオープニングベルが鳴ると、板寄せができずに売り気配のまま下がっていった。

 先物の取引開始価格はマクシミリアンの狙いよりも低い40,500マルクとなった。

 現物は41,000に巨大な売りが出たままとなっている。


 先物の買い方は慌てて我先にと売りを出していくので、一瞬で40,000の大台を割ってしまった。

 そうすると今度は逆指値の注文が発動して、さらに売りが膨らんで価格が下に突っ込む。

 が、それも一瞬であり、売り圧力が消失したことによって一気に40,000まで価格が戻った。

 勿論、それを買ったのはゲオルグである。

 行き過ぎた売りを拾ったのだ。

 しかし、現物の注文が重石となって先物価格はそれ以上上がらなかった。


 ゲオルグは渋い顔をして値動きを見ていた。

 そしてヨーナス・M・七世に訊ねる。


「やはり現物を買うしかないか」


「そうですね。あれが無くなれば違いますかね」


 ゲオルグはヨーナスのアドバイスがもらいたかった訳ではない。

 実際にこの程度の事しか言えないので、ゲオルグが意見を求めるほどの能力はなかった。

 それでも、4兆マルクを超える現物の買い注文をするべきなのか悩んでいたので、誰かと話をしたかっただけなのだ。

 それがたまたま横にいたヨーナスというだけだ。


 以前ならば躊躇せずに買っていただろうが、マクシミリアンが仕掛けたマルガレータ・ローエンシュタイン銀行の仕手戦で、思わぬ出費があったために手元の資金が苦しいのだ。

 そもそも、今マクシミリアンが売っている現物と先物も、もとはといえばゲオルグが持っていた資金である。

 全てはこの売り板の為に仕組まれていたと気づいた時には遅かった。

 マクシミリアンの所有する株を買い戻したりしなければ、フィエルテ王国の小麦相場は今でも自分の支配下にあったのだ。

 ゲオルグは後悔から奥歯を強く噛み締めた。


「買うか」


 とゲオルグが言うと、ヨーナスが申し訳なさそうに


「先物の証拠金が無くなりますが」


 と進言した。

 仲買人であるヨーナス商会に預けている証拠金は、現物先物の区別なく扱われている。

 それを金融商品取引所に注文を出すときに、ヨーナス商会が証拠金として預けなおすのであって、本日の取引終了時にまとめて持っていくことになっている。

 今預かっている証拠金で現物を購入してしまうと、本日発注した先物の証拠金が足りなくなってしまうのだ。

 それでも先物価格が建値よりも上昇してくれれば、値洗いの時点で余裕ができるので、場合によっては追加の証拠金は不要となる。

 が、それは確実ではない。

 証拠金が足りなければ追証が発生して、期日までに追加の証拠金を納付しなければならない。

 それが出来なければ、ポジションの強制決済となってしまう。


「なに、提灯がついて価格が上昇すれば全てが解決だ。現物を買えないとでも高をくくっているのだろうな。だが、度肝を抜く買い方を見せつければ、マクシミリアンや他の売り方は恐れをなして踏むはずだ」


 ゲオルグは自分に言い聞かせるようにそう言った。

 彼の資産からすれば問題ない金額だが、資産が全て現金ではないのが問題だ。

 不動産などは換金するには時間がかかる。

 なので、この買い注文はゲオルグにとっても勝負であった。

 追証ともなれば、急いで現金を集める必要が出てくるため、売却を急ぐから足元を見られてしまう可能性がある。


「では注文いたしますね」


 ヨーナス・M・七世が念のためもう一度確認をした。

 ゲオルグは無言で首肯する。




 こうして現物は一気に売りが食われて、先物も少し買いの勢いがついた。

 しかし、当然その状況をマクシミリアンも見ていた。


「ここで追加で5万トンの現物売りを追加。先物も併せて追加の売り注文。これを食われたらこっちも苦しくなるね」


 嬉しそうにいうマクシミリアンに、ヨーナスとクリストフは不安になった。


「いいんですか、負けたら一生男娼の身になるんですよ」


「それくらいのリスクがあったほうが面白いじゃない。相手の本尊の資金力がどれほどかわからないからこそ、全力売りをした時の危険を察知する感覚が研ぎ澄まされるんだよ。金に守られているとそれが鈍る」


 これも大父マクシミリアンの教えであった。

 損をしても痛くも痒くもない金額であれば、それは緊張感に欠けて危険を察知する能力が鈍る。

 常に破綻と隣り合わせであるからこそ見えてくる事もあると言うものだった。

 もっとも、毎回そうしろという訳ではなく危険を察知できる程度に緊張感をもてという事ではあるが。


「ほんと、どうなっても知りませんからね」


 そう言ってヨーナスは注文を出した。

 この時マクシミリアンたちはゲオルグの証拠金が尽きたことなど知らなかった。

 当然他の投資家たちもそれを知らない。

 なので、しばらくは様子見が続いた。

 先程10万トンを一気に食ったので、その半分の5万トンであればすぐに買いが入るだろうと思っていたのだ。

 しかし、いつまで経っても買い注文が入らない。


 結局しびれを切らした投資家たちの先物売りが始まった。

 そうなると売りは徐々に大きくなり、最後は雪崩を打って40,000マルクの買い板を突き破り、はるか下まで下げていった。

 今度の40,000割れは戻ってこない。

 マクシミリアンはそれでも指値を動かすことは無かった。

 突っ込み売りを買うゲオルグの罠の可能性を考慮していたのだ。

 それに、何も慌てて売る必要もないので、じっくりと値動きを観察していた。


 逆に焦っていたのはゲオルグの方であった。

 次々と湧いてくる売りを受け止めて価格を支える事も出来ずに、提灯筋の投げをただただ見ているだけであった。

 ここで自分も投げてしまえば更に下げが加速してしまう。

 とはいえ、このままでは追証は確実であり、尚且つ追証を期日までに差し入れられる保証はなかった。

 なので、別の策を準備する。


「ヨーナス、チェストに釘を入れろ」


「何故でございますか?」


 ヨーナス・M・七世はゲオルグの指示が理解できずに聞き返した。


「追証の金貨を入れたチェストだといって金融商品取引所に差し出せ。中身は俺が保証するといえば大丈夫だ。なにせ金融商品取引所の連中も俺に提灯をつけていて、小麦相場が暴落したら痛い目をみるからな。そこはこちらの意図をくみ取ってくれるだろう」


「しかし、ばれた時に私も同罪になってしまいますが」


「心配するな。俺に指示された通りに中身を見なかったと言えばよい。それにここで支え切れば問題ない。マクシミリアンの奴を踏ませれば直ぐに証拠金のチェストは引き上げるさ」


 これは明治時代の日本の取引所でもあったことだ。

 千両箱に釘を入れて追証の代わりに差し入れしたのだ。

 取引所の人間も手張りで相場を張っていた時代なので、当然有名な本尊には提灯をつけていた。

 なので一蓮托生なのである。

 そして、見事に劣勢を挽回して勝利を収めている。

 ゲオルグがそれを知っているわけではないが、大父マクシミリアンの秘伝の書に追証の偽装に注意せよという記述があり、自分がそれを実行しようと考えたのだ。


 ヨーナス・M・七世はゲオルグに言われた言い訳を使えばよいかと考えて、結局チェストに金貨の代わりに釘を入れたものを準備した。

 なお、金貨と言っても10万マルク金貨ではなく、額面1億マルクのオリハルコンと金の合金で作られた特殊な金貨である。

 本来ならば、この特殊な金貨を使う筈であった。

 勿論普通の金貨も使えるが、ゲオルグ規模の注文を出す投資家ともなれば、多くの金貨を用意して運搬するのが大変なので、1億マルクという高額な金貨を作ったのであった。


 そしてこの日、ゲオルグには追証が発生した。

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