第44話 買い一色
翌日からヨーナスはマクシミリアンの依頼で材木の現物を買いまくった。
ヨーナスとハーバーも手張りで現物を買う。
そして、目ざとい投機家の間でそのことが話題になると、次第に提灯が付き始める。
先物にも買いが入り、スルスルと値を上げていった。
なお、材木の先物は建玉1枚が100本分であり、証拠金は1枚500万マルクとなっていた。
ユルゲンの建玉はおよそ1000枚程ある。
が、それでも現在の利益は100億マルク程度だろう。
高値で買い増しすることになったので、利益の伸びが悪いのだ。
なにせ売り注文は提灯筋が買ってしまう。
日本では提灯筋をイナゴ投資家と呼んでいたが、売り板を食い尽くす様は正しくイナゴである。
そして、王都の金融商品取引所では、ブリュンヒルデ、ヨーナス、ハーバーの姿が今日もあった。
ここでは仲買商と、彼らが招待した客が中に入ってトレードをする事ができる。
勿論、マジックアイテムを使って自分の商会から注文も出来るのだが、あえて他の投機家や投資家に見せるように、金融商品取引所で派手に買いを入れていた。
「ヨーナス、材木の現物を5万本買い増しですわ」
「かしこまりました、お嬢様」
こんなやり取りを見せつけられては、他の投資家は公爵家の令嬢が材木の値上がりを見越して買い占めを行っていると勘違いしてしまう。
材木の先物取引の清算日まであと55日というところで、参加者が一斉に買いに走ったのである。
材木の高値に目をつけて、売り玉を建てていた投機家は一斉に敗走を始めた。
高値で踏まされての買い戻しである。
更に翌日も翌々日も値上がりは止まらず、ユルゲンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべることとなった。
彼は髪の毛も顎髭も加齢により真っ白となった、老齢の商人であった。
その白い顎髭を手で触りながら、値動きの表示されているマジックアイテムのスクリーンを見て考え事をしている。
彼の横にいる大番頭は、主人の機嫌が悪いのを察知して、いかに怒られるのを避けるかに脳のリソースを割く。
「まったく、あのご令嬢は相場というものがわかってない。こんな雑な買い方をしたら値がどんどん上がってしまうではないか。だから、ローエンシュタイン家に負けるのだ」
「まったくでございます」
大番頭は恭しく頭を下げて相槌を打った。
さらにユルゲンは続ける。
「おまけに、あの時の塩の取引で破産したものが多く、国内の金融商品取引所は値動きが大きくなると、すぐに証拠金を上げるようになってしまった。レバレッジがかけられないではないか」
彼の言うように、マクシミリアンが派手にやりすぎたせいで、証拠金の改定が頻繁に行われるようになったのだ。
片手では収まりきらない貴族や商人が破産したので、金融業界としては大きな事件だったのである。
日本や海外の市場でも、相場環境が著しく変化するような時は、臨時で証拠金を引き上げる措置が取られる。
しかも、既に建ててある玉もその対象となるのだ。
だが、株の信用取引については、増担保規制は新規の建玉からとなっている。
増担保規制とは、通常は信用取引は資金の三倍まで取引出来るのだが、その担保に要求する現金を増加させる行為である。
相場が過熱した時に冷やす目的で実施されることが多い。
そして今回、翌日の取引から建玉の必要証拠金が2,000万マルクに引き上げられる事が決まったのである。
証拠金を一気に4倍も増額するのは過去に前例がない。
金融商品取引所が値動きを警戒している証拠だ。
「大番頭、シュタイナッハ教皇猊下との席を設けなさい。追加の資金援助をお願いする必要が出てきました。直ぐにですよ、急ぎなさい」
「承知いたしました」
大番頭は再び恭しく頭を下げた。
ユルゲンはもっとゆっくりと建玉を増やしていく予定だったのだが、ブリュンヒルデたちのせいでそうも行かなくなった。
そして、今回の仕手戦の金主はレオンハルト・フォン・シュタイナッハ教皇であった。
自分の選挙資金を作るために、ユルゲンに資金を提供し、相場を張らせているのであった。
何しろ、名前を表に出すわけには行かないので、ユルゲンの名前を借りることになる。
なので、ユルゲンとしては証拠金が足りなくなったら、教皇に追加で資金を提供してもらうことになるのだ。
早速その夜緊急の会談となった。
教皇としても、選挙資金は最優先事項であり、何をおいても解決すべき問題であった。
場所はユルゲンが用意した個室のある料理店、イメージでは料亭に近いだろうか。
決して客の秘密を外に漏らさない店であった。
その一室にユルゲンと鋭い目つきの太った中年男性がいた。
ただ、どことなくギルベルトに似た顔立ちであった。
親子なので当然ではあるが。
「それで追加の資金が必要になったと言うわけか」
教皇はユルゲンをジロリと睨んだ。
既にユルゲンから説明を受け、事の経緯はわかったのだが、選挙前のこの時期に大金を動かしてスキャンダルは抱えたくはなかった。
教皇は個人資産が莫大ではあったが、ギルベルトが追加で要求してきたのは4000億マルクであった。
総資産からすれば問題なく支払えるが、今すぐに現金としてそれを用意するのは難しい。
となると、教会に信者が納めた浄財を使う必要があった。
それを政敵の副教皇にでも見つかってしまえば、何かしらの攻撃材料に使われてしまうだろう。
教皇はそれを恐れていた。
投票権を持つ者の中には、清廉潔白で金で転ばないどころか、不正を嫌う者もいる。
その者たちの票が他へ流れると、どう転ぶかわからないので、無理に動くのは即決出来ずにいた。
「今すぐにとなると難しい。しかし、資産を換金しながら段階的にであれば可能だが」
「それで問題ありません。要はあの日までに建玉があればよいのですから」
「油断して失敗するでないぞ」
「任せておいて下さいませ」
二人のその姿はさながら、時代劇の悪代官と悪徳商人のものであった。
もちろんその通りであるので、そう見えるのは当然であった。
教皇がその地位にこだわるのは、教皇の座を追われると今までの悪事がバレる可能性があるからだった。
更に、自分の愛でている少年聖歌隊を他人に取られたくは無いという理由もあった。
ユルゲンにしても、教皇と癒着して甘い汁を吸ってきたのだが、それは教団にとって不利益なものも含まれていた。
今は教皇の権力に守られているので、それに気付いたものがいたとしても握りつぶせるが、教皇がレオンハルトから変わってしまえばどうなるかはわからない。
次の教皇にうまく取り入る事ができる保証は何処にもないのだ。
一蓮托生なのである。
こうして直ぐにではないが、ユルゲンが買い上がる準備は進んでいった。
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