第18話 手仕舞い
ローエンシュタイン家の屋敷を出たブリュンヒルデはハーバー商会が手配した街で一番良い宿に帰ってきた。
そして直ぐにハーバーを呼んでくるように伝える。
また、直ぐに塩の在庫をローエンシュタイン辺境伯領に持ち込んで売りさばくようにと書いた手紙を、緊急の連絡用に連れてきた伝書鳩に持たせて放った。
何故なら今の時点ではシェーレンベルク公爵領よりも、ローエンシュタイン辺境伯領の方が塩の取引価格が高いからである。
本尊の売り抜けであった。
伝書鳩を放ってからほどなくして、ハーバー商会の会頭であるハーバーがやってきた。
年齢は60歳の老練な商人である。
彼は商人というよりも相場師に近い。
商会が大きくなったのも、商売がうまくいったというよりも、ハーバーが相場で儲けたからである。
「ポジションをクローズするわ。現物も先物も全部売りにだして」
ここに来てブリュンヒルデの口調に悔しさが滲んだ。
「抱えている物が大きいので、売り抜けに苦労しますな」
そう言うハーバーはどこか嬉しそうである。
値を崩さないように売り抜けるのもひとつの才能であり、今回はまたとない機会なのでやりがいを感じているのだ。
仕手筋の売り抜け時には出来高が膨らむのは、大量の売却をしても値が崩れないようにするためだ。
仲間内での売買を繰り返して出来高を膨らませ、他の投資家に取引が賑わっていると誤認させたりすることもある。
仲間内ではなく、自分自身でクロス取引をしたりもするが、株取引では個人投資家がやるのは違法行為となっている。
「嬉しそうね。まさか既に売っているの?」
「はい。なにせ塩湖が本当に見つかったのなら暴落は明らかですから。昨日ご連絡を差し上げたのですが、生憎とブリュンヒルデ様が移動中でしたので、情報をお伝え出来ませんでしたな」
ハーバーとブリュンヒルデの連絡手段は、狼煙と伝書鳩だった。
狼煙は江戸時代の相場師が使っていたりもする、れっきとした相場の情報伝達手段である。
ブリュンヒルデは内心、こっちの玉も手仕舞いしてドテンしておきなさいよねと思い舌打ちしたい気持ちだった。
「そうね。まったくタイミングが悪いわね」
「ええ。しかし、相手にとっては出来過ぎのタイミングですね」
「ローエンシュタイン辺境伯も運がいいわね」
「いや、彼ではありません。それに運でもないかもしれませんよ。運で無いとするなら、おそらく仕掛けてきたのは三男のマクシミリアン様ですね。最近になってやたらとヨーナス商会に出入りしていたようなので」
その言葉にブリュンヒルデは先ほどローエンシュタイン辺境伯の屋敷で会話をした少年を思い出していた。
そして、ブリュンヒルデには全てのことが違和感しか無かった。
ハーバーに調べさせて、備蓄を放出したが吸い上げられてしまったローエンシュタイン辺境伯が、売り玉を踏まされたのは間違いない。
そして、シェーレンベルク公爵家からの申し出を断り、戦争を始めようとしていたのも掴んでいる。
そこまでが演技であり、元々塩湖の存在を知っていたならどこかしらにほころびがある筈なのだが、全くそれが見当たらなかった。
だから、突然塩の産出する場所が見つかったというのは本当なのだろう。
でも、そんなに沢山の塩が産出場所が、どうして今まで見つからなかったのか。
初めて会ったマクシミリアンはとてもではないが、一人で魔の山脈の麓まで行けるようには見えなかった。
魔法の訓練をしていたとしても、街からそう遠くはない場所のはずであり、そんなところにある塩湖を今まで誰も発見できなかったなどとは信じられないのである。
「折角長い時間をかけて巡らせた策が、あと少しのところで台無しになってしまいましたわね」
「私も人生最後の大勝負でしたが、少し残念な終わり方になってしまいました」
「それでも貴方は利益があるのでしょう?こちらは抱えた現物を売り捌いてトントンよ。うまく捌いてよね」
「かしこまりました」
ハーバーは一礼すると退室した。
部屋に一人残ったブリュンヒルデは窓から外を見ながら歯噛みする。
「あの女に入れあげて、国に影響力を持ちそうな4人のうち、一番潰しやすいアルノルトの実家を標的にしたのに、それがこの結果では父に失望されてしまいますわね。いえ、自分でこんな不甲斐ない自分が許せませんわ」
王子とアンネリーゼの婚約は止められなかったブリュンヒルデは、アンネリーゼに入れあげている者たちの力を削ぐことに目標を変えていた。
その4人であるカール、オットマー、ギルベルト、アルノルトの中では、アルノルトが一番攻略しやすいと目をつけた。
ブリュンヒルデの実家とアルノルトの実家が隣同士であり、なおかつ生活必需品の塩は自分の実家を経由して入手している状況だったので、これを利用することを考えついたのだった。
入念な準備をして臨んだ仕手戦では、ローエンシュタイン家の備蓄してある塩を放出させて、それでも価格を下げさせずに、逆に相手を踏ませる事ができた。
あともう少しで、ローエンシュタイン家は勝てない戦争に踏み切るところであった。
そして、もしそうなったならば、圧倒的な戦力差で完膚なきまでにローエンシュタイン家を叩きのめし、貴族の座から引きずり落とす予定であった。
戦争に踏み切らず、こちらの言い値で塩を仕入れる契約を結ぶことができれば、ローエンシュタイン家の財政を傾かせる事でその力を削ぐことが出来た筈だった。
「今回は損にはなっていないし、次にまた別の手段を考えないといけませんわね」
ブリュンヒルデは右手の親指の爪を強く噛んだ。
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