8 澪標エゴイスト(4)

「メテオラ……おまえ、なんてことを……」

「いいんだよ、これで」


 メテオラはへらへらと笑って、わたしの手に指をからめた。いいことなかろうという言葉は、メテオラの笑顔の前ではかたちにならない。

 床に散らばるガラス片を見おろし、テオリアがため息を落とした。


「ばかな男だな。たかが女のために呪いを剥ぐ好機をふいにするか」

「これまでだって誰も食わずにやってこられた。薬がなくても問題ない」


 メテオラはわたしの手を強く掴んだ。


「帰ろう、ルーチェ」


 そう言って、部屋を出て行こうとする。


「待てハイブリッド」

「そう言われて待つと思う?」

「思わんな」


 すらりと冷たい風がすぐそばを掠めていった。メテオラが立ち止まる。


「おまえに用はない。だがルーチェは置いていけ」


 テオリアの構えた剣が、メテオラの喉もとへ向けられていた。どこに剣などあったのだろう。部屋へ踏み込んだおりに、確認したはずなのに。

 机の上に積み上がっていた本が雪崩を起こしていた。隙間には鞘が垣間見えた。


「ルーチェに謝るっていうなら待ってあげなくもないけど」

「おまえが薬をどうしようと勝手だが、ルーチェを連れて行くことは許さん」

「もう一度ルーチェを殺すつもり?」

「そんな手間をかけるなら、わざわざ起こしたりはしない」

「どうかなあ」

「そもそも、おれがルーチェになにを謝る必要がある。こいつとは意見が合わなかった、そして決闘の末におれが勝った。それだけのことだ」


 テオリアの言葉はあまりにも明瞭で惑いのようなものが一切ない。それを不気味に思ったのだろう、メテオラは化け物でも見るかのように眉を歪めた。


「ねえルーチェ、きみの家族だっていうから遠慮してたんだけど、そろそろこいつ殴ってもいいかな」

「こういう言い方しかできない男なんだ」


 わたしはテオリアに向き合った。


「まず剣をおろせ、テオリア。こんな状態では話にならない」

「だったらおまえが残ると言え。話はそれで済む」

「ねえ、それが脅迫だから話になんないってルーチェは言ってるんだよ」


 メテオラがテオリアへ向かって一歩踏み出す。剣先がメテオラの皮膚を浅く裂いた。


「やめろ、待ってくれ!」


 わたしはメテオラの前に腕を広げて立ち、テオリアを睨みつけた。


「わたしがここに残ればいいんだろう? それならメテオラをこれ以上傷つけずに済むのか」

「ああ、そうだ」

「だったら――」

「おれがそれで引き下がると思ってる? 心外すぎるんだけど」


 わたしの肩にぽつりとなにか、雫が落ちる感触があった。真っ赤な血がわたしのシャツを濡らしている。

 見上げると、メテオラは剣の切っ先を素手のまま握っていた。

 伝い落ちていく血を、テオリアは冷たく見やる。


「紋様はそのままだな。貴様、半端なままおれに挑むつもりか」

「人間相手に解放したりしないよ」

「おれをルーチェと同格とは思うな。青騎士はたしかに帝国騎士団最上位の称号だが、一方で騎士団の単なる旗印でもある。こいつが青騎士に任命されたのは聖女フィオーレがいたからだ。姉妹が揃って先頭に立てば士気もあがる」

「くそじゃん」

「すべては勝利のためだ」


 テオリアは剣を持つ手に力を込めた。メテオラが痛みをこらえて息を洩らす。剣がみるみる血で染まっていく。

 ふたりの頭のなかに手加減という言葉がないことは、わたしがいちばんよく知っている。


「やめてくれ、テオリア!」


 わたしはたまらずテオリアにしがみついた。ほんの一歩でもいいからうしろへ下がらせようとするのだが、わたしの力ではテオリアはびくともしない。


「メテオラはわたしが説得する。だから剣をおさめてくれ」

「その説得が成功するようには思えんがな」

「おれも同意見だよ」


 メテオラは掴んだ剣を自分のほうへ引き寄せてテオリアとの距離を詰める。テオリアはメテオラの拳に気づいて、わたしを肘で鋭く払いのけた。一瞬こらえようとしたのが裏目に出て、わたしは体勢を崩してしまう。


「ルーチェ!」


 メテオラが手を伸ばそうとするけれど、その隙をテオリアは逃さない。大きく踏み込んで、剣の手もとをメテオラの胸へと叩きこんだ。たぶん一瞬よりは長いあいだ、息ができなくなるだろう。

 わたしは間に合う限りの受け身をとって、衝撃に備えて歯を食いしばる。だが、わたしは壁にも棚にも床にもぶつかることはなかった。

 背後から誰かに支えられていた。


「いけないね、テオリア」


 頭のすぐ上から男の声がした。どこかで聞いた覚えがある。まとわりつく、蜜のような声……。


「ぼくの知らないところで、ずいぶん楽しそうなことをしてるじゃないか」


 背中から抱きしめるように回された手が、大蛇のようにわたしの体をからめとる。肩から鎖骨をなぞっていた尖った爪が、撫で上げるように喉に触れた。わたしは首を仰け反らせて、その人を見た。

 つくりものめいた整った顔立ち、グロスアッシュの髪に、サンドゴールドとクリスタルパープルがせめぎあう瞳。


「龍王……」

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