66. 会議 - Meeting -

「この収容所も大きな断崖をくり抜いて作られた場所だが、もうひとつ、草原を挟んだ向こう側に高い崖があるのは知ってるか?」

「あぁ」

「その上に、屋敷があることには気づいたか?」

「ぼんやりと、見えた気がする」


 狼を連れた兄弟に連行され収容所に入る寸前、振り返った視界に映った、建物のようなシルエットのことを思い返す。

 あれはなんだ、とアーロンは問うた。


「おそらく、看守や外の狼兄弟らをまとめている奴の居城だ」

かしらがいるってのか?」

「そういう話を聞いたことがある。じゃないと、奴らが連携を取っている説明がつかない。給料をもらっているわけじゃあるまいに」


 たしかにこの世界は、通貨など存在したとしても意味がない。食べる物もなければ、酒やタバコといった嗜好品もない。本来、刑務所ではそういったものを巡っての駆け引きや諍いが起こりがちで、その中でも金銭は大きな力を持つのだが。

 争いのもとになるものが存在しない世界で、よく飽きもせずに喧嘩に明け暮れるものだ。特にC棟の、キングス・ブルの囚人たちは。

 悪魔の好戦的な性格を内心で顧みているアーロンに、グレイヴが〝それで〟とつづけた。


「少し話は変わるが、ひとつ疑問に思わなかったか? この収容所、女がひとりもいないってことに」

「そりゃあ、まぁ」

「悪魔憑きに男も女も関係ない。内容や数に差はあれど、犯罪を犯すことそのものにも性別は関係ない。それなのに、この収容所には男しかいない」

「男女を同じ収容所に押しこむわけにもいかねぇだろ」

「そうだな。法律なんて機能していないくせに、そこは気を配ってるらしい。じゃあ、女囚はどこにいると思う」


 話の流れから考えて、崖の上にある屋敷、ということなのだろう。


「この世界を牛耳っている奴と同じ屋根の下か。こっちのほうがまだ気楽かもな」


 グレイヴの話を聞きながら、アーロンは嘆息した。本当にいるかどうかもわからない、見も知らぬ女囚たちに同情の念を浮かべる。


「多くの囚人が、狼兄弟が見まわっている森の中に脱出の糸口があると考えてるが、それは違う。実際に行動に移す奴も今まで何人もいたらしいが、誰ひとり成功したものはいないとのことだ」


 グレイヴが一呼吸置く。


「脱出の糸口は、その屋敷にあるとオレは踏んでる」

「根拠は」

「スカルミリオーネの話だ。奴もなかなか口が堅くて、はっきり言質を取ったわけじゃないが」


 ほんの少し、グレイヴの表情に翳りが見えた。


「あの屋敷の地下……おそらく、崖の内部。こっちで言えばこの収容所にあたる部分になると思うが。そこには、とても大事なものが隠されているらしい」


 またぼんやりとした話だ、とアーロンは思った。


「それは財宝とか、そういう話じゃないのか」

「かもしれないな」

「外のモニュメントは? あれは灰色の車からこっちに繋がる門だと聞いたが。入口なら出ることもできるんじゃないのか」

「あれに触れたり、魔力をぶつけてみたりしてるのを見たことがあるが、なにも起こっていなかった。あれが反応するのは新しい囚人が送られてきたときだけだというのは、おそらく間違っていない」


 草原に立つ不思議な石柱。

 紡錘形で、中央にぽっかりと穴が開いており、その空間にはラメが入ったようにキラキラと輝く透明の球体があった。

 いかにも意味ありげな物体だが、グレイヴいわく一方通行のゲートらしい。


「じゃあ、アンタの言うとおり、崖の上の屋敷に脱獄の糸口があるとして、あそこまではどうやって行く。空でも飛べるなら話はべつだと思うが」

「問題なのはそこだ。男はこっちの収容所にぶちこまれるから、まずあの屋敷に行くことがない」


 だったら、とアーロンが言う前に、グレイヴはピッ、と人差し指を立てた。


「ただひとつ、方法がないわけじゃない。オレは実際、その場に居合わせたことはないんだが。この収容所の囚人が、どこかへ連行されることがあるらしい。その行き先がどこなのか、オレが聞きこんだ限りでは知っている囚人はいなかった」

「それが、あの屋敷だって言いたいのか?」


 グレイヴはコクリと頷いた。


「一度、頼んでみたことがある」


 この収容所の囚人があの屋敷に連行されることがあるという噂があること、そして自分も屋敷に連れていってほしいことを、看守長のスカルミリオーネに交渉してみたと、グレイヴは語った。


「そうしたら、オレみたいな役立たずの無能が行けるような場所じゃないとさ」


 苦虫を噛み潰したような顔になり、話をつづける。


「実際、姿を消した悪魔憑きは、収容所でも名のある奴だったり、便利な能力を持つような奴だったらしい」

「看守長がアンタを手放したくなくて言った方便っていう可能性は」

「捨てきれないが」


 真偽不明だと前置きしてから、グレイヴは考察を述べていく。


「看守や狼兄弟のような、囚人をまとめる立場にある奴ら……アイツらは、もともと囚人だったらしい」

「どういうことだ?」

「囚人をまとめるのに役立つ能力を持ってるから、管理側に抜擢されたんじゃないかという噂だ」


 わざわざ囚人を主の居城に連れていく理由としては、たしかに、いたって自然に思えた。それならば、看守長の言葉にも納得がいく。


「だからおそらく、なにか役に立つような能力を持っている悪魔憑きなら、あの屋敷に連れていかれるんじゃないかと、オレは考えてる」

「自分に実用性があることを訴えれば、あの屋敷に行けるかもしれないってことか」

「あいにく、俺にそんな力はない。個性的な能力も、囚人たちを黙らせるほどの力も、どちらもな」


 グレイヴの眉間に力がこもる。


「だから、お前に頼るしかない。お前があの屋敷に連行されるように仕向け、オレを同伴させることを管理側に認めさせる」


 フゥ、とアーロンは小さく息を吐いた。


「……話はわかった。なんにせよ、俺が力を誇示しないことにははじまらないってことだ」

「あぁ」

「それでそのあいだ、アンタは呑気に休んでるってわけか?」


 犬歯を覗かせ皮肉めいた言葉を口にするアーロンに、グレイヴは〝いや〟と首を横に振る。


「情報を集める。まだまだ推測でしかないことも多い。お前が動いているあいだに、最低でも脱獄の糸口の確証を得るつもりだ」

「どうやって」


 その問いに、グレイヴはあからさまに顔をしかめた。無意識か否か、拳にも力が入っている。


「……オレの一番の情報源は、看守長だ」


 少し間を置いて、彼は絞りだすようにして答えた。


「どうしてそこまでして」


 アーロンのその問いには答えず、グレイヴは話を変える。


「……ただひとつ、情報交換が厄介だ。単にフロアを行き来しているだけで目立つ」


 彼の言うことはもっともだ。

 B棟に向かうためにA棟を横切っただけで、そのフロアにいる囚人たちから刺さるような視線を浴びたのも、ほんの先刻の話だ。

 グレイヴもC棟には行きたくないと口にした。


「それなら……」


 黒い本の姿を思い浮かべ喋りかけたところで、今は隣にザミュエルがいないことを思いだし固まった。


「なにかいい案があるのか?」


 尋ねてきたグレイヴに、首を振って返し、ただ、と切りだして話を進めた。


「両端の派閥同士が、近々覇権をめぐって争うことになっている。人流も増えるはずだ。それに乗じれば、そこまで不自然じゃないとは思うが」

「また喧嘩か。懲りない奴らだ」


 心底から呆れた様子で、グレイヴはつづける。


「邪眼の悪魔がこっちに来てからは下火になってたが、その前はしょっちゅうだった。奴らにとっては、本気の殺し合いというよりは、ストレス発散という意味合いが大きかったかもしれんが」


 B棟は例外として、娯楽もない世界での手軽な楽しみは闘争、ということか。

 悪魔が表に出ているからそうなるのか、人の根源的な感情から来るものなのかは定かではないが。


「もしかして、お前もその争いとやらに参加するのか?」

「興味はない。もしそれが脱出の糸口になったりするなら」


 やってもいいが、と言いかけたそのとき、アーロンはハッと顔をあげた。グレイヴも気づいたようで、顎に手をやっている。


「力を示すには、もってこいかもしれんな」


 彼はそう言って、アーロンへ視線を向ける。


「その喧嘩はいつになる?」

「わからない。B棟側が決めることになっている。今すぐってことはないと思うが」

「わかった。それまでにオレがどれだけしっかりと情報を集められるかだな」


 短絡的だと思う気持ちもないわけではないが、自然に実力を発揮する機会としては充分かもしれない。ほかに方法を考えつつ、候補のひとつとして置いておく価値は充分にあるだろう。


 作戦の方針がまず決まったところで、ふたりはようやく一息ついた。

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