65. 作戦 - Strategy -

 B棟とA棟を移動する者はほとんどいないからか、連絡通路の扉を押しひらいた瞬間、A棟のフロアから視線が突き刺さった。

 フロアにいる囚人たちの賑わいがピタリと止まる。


「アローボルト」


 妙な居心地の悪さを感じながら、まっすぐ階段をおり、そのままA棟を横切ってC棟へ戻ろうとしていたとき、ふいに二階から声がかけられた。

 立ち止まって見あげると、元刑事で元同室者のスタンリー・グレイヴが廊下の欄干にもたれ、こちらを見おろしている姿が目に入る。無意識に、アーロンの眉根が寄った。


 あからさまな仲違いをして監房を離れた男に、彼のほうから話しかけてくるとは、予想もしていなかった。

 訝しむアーロンに、グレイヴは顎だけをクイと動かし、来い、という意思表示をした。


「先に帰っててくれ」


 あの男は無意味なことはしないだろう。

 そう判断したアーロンは、ダレルへ告げた。


「わかりました」

『オレも先に戻ってるからな』


 疑問等の口を挟むことなく、ダレルは向かいの階段をあがり、C棟へつながっている連絡通路へ足を向けた。その後ろを、黒い本ザミュエルがふわふわとついていく。棟を挟んだくらいの距離なら、なんとかアーロンから離れて動けるらしい。


 ひとり残ったアーロンは隅にある監房へ足を向けた。軽くノックをし扉をあけると、石のベッドに腰掛けているグレイヴの姿が目に入る。はじめてこの収容所に来たときと、似たような構図になっていた。


「お前、妙なタトゥーを刻んでいる悪魔憑きを探してるらしいな」


 なんの用だ、と尋ねる前に、グレイヴが唐突に口をひらいた。


「どうしてそれを」

「小さい世界だ。噂になればすぐに広まる。お前があっちで暴れて、マリクと交戦したこともな」


 ということは、敗北したことまで知れ渡っているということだろう。

 事実とはいえ、不快感が首をもたげる。A棟の囚人たちから向けられる奇異の視線の意味がなんとなく理解できた。

 苛立ちをあらわにしているアーロンに、グレイヴは話をつづける。


「お前が探している悪魔憑きのことだが、心当たりがある」


 一瞬で、アーロンの表情が豆鉄砲を食らったようになった。


「本当か!?」

「あぁ」

「教えてくれ、どうしても知りたいんだ」


 前のめりになるアーロンに、グレイヴは手のひらを突きつけた。


「タダで、というわけにはいかない」


 その瞬間、アーロンの眉根が寄る。


「アンタも悪魔みたいなことを言うんだな。なんでも対価、対価、対価」


 チッ、と大きな舌打ちが口を衝いた。が、グレイヴはそれに気分を害した様子もなく、話をつづける。


「オレの望みはただひとつ。この世界から脱出しロンドンへ帰ることだ。お前に、その手助けを頼みたい。もとの世界に帰ることができた暁には、オレが知っているすべてを話してやる」

「どうして俺に? ほかにも囚人はたくさんいるだろ」

「強いからだ。マリクに強さを認められる奴なんざ、そういない。大抵、それまでに死ぬか、奴の下につくかのどちらかだ」


 グレイヴの右足が、小刻みに揺れはじめる。


「その例外は、話が通じないような奴ばかりだ。オレからすれば、あのネイサンとかいう奴も妙にきな臭い」

「俺が一番くみしやすいってか」


 アーロンが鼻を鳴らすと同時に、ドン、と床を踏み鳴らす音が威嚇するように響いた。


「お前だって脱出したいだろう! そのうえで欲しい情報が手に入る、なにも悪い話じゃないはずだ」

「アンタがあのタトゥーについて情報を持ってる確証がない。手助けの担保として、少しくらい開示するのがスジだと思わないか」

「お前に条件を出す権利はない。オレは脱獄の糸口もある程度つかんでいる。本来なら、その情報だけで充分、オレを手助けをする理由になるはずだ。それに加えて、脱獄が成功すればお前が欲しているタトゥーについても教えてやると言ってるんだぞ」

「アンタも脱獄したいなら、それに関する情報は同等に共有されるべきものじゃないのか? 第一、俺が手助けしなけりゃ、その情報は宝の持ち腐れなんだろ」


 どちらも引かない、侃々諤々とした口論がつづく。

 脱出についての情報は取引の材料になりえない、と伝えるアーロンだったが、グレイヴは鼻で笑うようなしぐさを見せた。


「オレとしてはべつに、お前でないといけない理由はない。ほかに信頼できそうな奴を探して、協力を仰ぐことだってできる」


 ほかの囚人は話が通じないと言ったばかりだろう、と思うアーロンだったが、それを口にする前に、グレイヴが話をつづけた。


「そうなりゃお前は、二度とこの世界から脱出するチャンスをつかめない」

「どうしてそう言いきれる」

「自分の感情を殺して他者に迎合することを知らないからだ」


 皮肉だということは理解できたが、曖昧かつ含みを持たせたような彼の物言いに、アーロンは返す言葉が思いつかなかった。

 これ以上なにを言っても、彼は一歩たりも引くつもりはないのだろう。しばらく睨み合いがつづいたが、結局折れたのはアーロンのほうだった。


「……わかった、協力してやる。その代わり、必ず約束は守れよ」

「当然だ。お前こそ、裏切るような真似はするなよ」


 互いの鋭い視線が交錯する。それで、とアーロンが口火を切った。


「脱出の糸口ってのは、なんなんだ。森にあるとか言うなら、俺も調べてみるつもりだったから、大した情報にはなりえねぇぞ」

「安心しろ。それとはべつだ」


 ごそごそと、グレイヴは懐をまさぐりはじめた。


「情報を共有する前に、これを二の腕に着けろ」


 そう言って取りだしたのは、細い糸のようなもので編まれた、ミサンガに似た二本の組み紐だった。ただ、売り物になるような規則的な模様ではなく、ただ適当に編まれたのか、白や黒、グレーといった色が奇妙なグラデーションを描いている。


「お互いに、裏切れないようにするための契約の腕輪だ。契約を反故にした場合、腕が飛ぶ」


 グレイヴの口から物騒な言葉が出る。


「そんな力を持った代物には見えないな」


 差しだされた組み紐を受け取り、アーロンは眇めた。もともと魔力に対する感知に秀でているわけではないが、手渡されたそれはなんの変哲もない装飾品にしか見えない。強いて言えるのは、地味で不格好な見た目だということくらいだ。


「これは、スカルミリオーネの髪を編んだものだ」


 さらりと告げられたグレイヴの言葉に、アーロンは弾かれたように腕を振り、手の中にあった組み紐を投擲した。


「そんな気色の悪ィモン着けられるか!」

「その意見は通用しない。ここの囚人は皆、あれの髪をまとっているようなものだからな」


 自らの身体に当たり、はらりと床に落ちたアクセサリーを拾いあげながら、


「この囚人服だ。これには、一部あれの髪が縫い合わされている」


 嫌悪と疑問が入り交じった表情で固まっているアーロンへ、グレイヴは告げた。


「お前にはあまり効いていなかったみたいだが。体調不良のような症状に見舞われることがあっただろ。あれは、呪いのようなモンだ。まぁ、そもそも有効範囲が広くないうえ、お前のように効き目の悪い悪魔憑きもいるようだから、囚人全員を縛るほどの力は発揮してないがな」


 今すぐにでも脱ぎたい気持ちが先行し、反射的に囚人服へ手がかかったが、下着だけになるのはさすがに気が引けた。


「なんで、アンタはそんなモン持ってるんだ」


 不快感を身にまとったまま、仕方なく話をつづける。


「看守長に盾突く者がいれば、オレがそいつの懐に潜りこんで、これを着けさせて看守長の支配下に置くためにいくつか預かってる」

「それを、脱獄を共にする相手に着けるのか」

「理解してくれ。力のないオレが裏切られることなく脱獄するためだ。お前が求めるものは例のタトゥーについての情報と脱獄、オレの希望も脱獄だ。それが契約になる、いいな?」


 嫌々ながらも、アーロンは首を縦に振った。再度手渡された組み紐を、渋々腕に巻く。着けた部位から鳥肌が走った。対して、グレイヴはためらうことなく組み紐を装着する。

 契約の儀式ということで、彼の指示に従って互いに拳を突き合い、互いの望みを宣言した。


「これでオレたちは運命共同体だ」

「気持ちの悪い言いかたするなよ」


 足の裏から駆けあがってくる悪寒に身震いしながら、アーロンは顔をしかめた。グレイヴは意に介した様子もなく、一息ついてから話をつづける。


「まず、当然だが脱獄については口外禁止。オレたちふたりだけの秘密だ。理由は言わなくてもわかるな。このことが漏れれば、二度と脱獄はできないものと思え」


 その言葉には、特に異を唱えることもない。


「さて、本題に入ろうか。まず、オレが集めた情報を共有してやる」


 両膝に肘をつき、上半身をかがめてから、グレイヴは幾分か声のトーンを落とした。

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