34. 占い - Fortune telling -

「こんにちは~」


 その人影は、入店を告げるベルの音とともに中へ入ってきた。

 先日、ペンドラゴンにやってきた女子大生、メイ・ファレルその人だった。ただ、今日はひとりではなく、車椅子に乗った女性を連れだっている。噂をすればなんとやら、だ。


 うつろな瞳に、鼻から伸びたチューブがテープで頬に固定されている顔が特に目を引く。四肢は枝のように細く、骨が浮きでており、誰が見てもひと目で病人だとわかる。心神喪失の意識障害を患っている、彼女の母だ。ただ今日は前に家で着ていたパジャマではなく、ゆったりとしたシックなワンピースを身にまとっていた。


「病院の帰りなんです。ご迷惑じゃなければ、少し休憩させていただけないかと思って」


 おそるおそる、という表現がぴったりな、控えめな声だった。

 いつもなら店の扉がひらいた段階で真っ先に声をかけるはずのヴォルフガングを、アーロンが怪訝そうに見遣る。


「おい、マスター?」

「あ、あぁ、すみません。どうぞ、ごゆっくり。アーロンさんしかいませんでしたので、お気になさらず」

「よかったね、お母さん」


 ぱぁっと笑顔になったメイは車椅子の背後から覗きこみ、母に話しかけた。


「お母さん、紹介するね。こちらが当喫茶店のマスターさん。お名前は、えっと……」

「ヴォルフガングと申します。はじめまして」

「こちらがアーロンさん。家に来てくれたの覚えてるでしょ? 喫茶店の常連さんだって」

「二度目ましてだな」


 母の座る車椅子をそばに停め、カウンターのほうへ向きを変えてから、メイはボックス席へ腰をおろした。


「それにしても、家で会ったときより血色がいいな」


 車椅子に座っている彼女の母を見遣りながら、先日のことを思い返しつつ、アーロンはつづけた。


「そりゃあもちろん、お化粧してますもん」

「化粧?」

「はい、すっぴんで出歩かせてたら母に怒られちゃいますから」


 くすくす、とメイは笑う。

 たしかに、よく見ると薄く化粧が施されていた。主にチークと口紅のおかげで、顔色がよく見えたのだろう。


「服もおしゃれしてるんですよ。母が好きだった洋服なんです」


 ね、お母さん、とメイは同意を求める。当然、その言葉に反応は返ってこないが、彼女が気にすることはない。


「通院は疲れたでしょう。なにかお飲みになりますか」

「あ、それじゃあダージリンのブラックとアールグレイ、お願いします」


 かしこまりました、と一言、ヴォルフガングは仕事に入る。しばらくして深い水色すいしょくの紅茶が入ったカップがふたつ、テーブル席へ差しだされた。


「はい、お母さんはダージリンね」


 カップの片方を、メイは母の目の前に移動させる。


「飲めるのか?」

「いえ、液体は誤嚥が危ないから飲ませないんです。でも、母はダージリンが好きだったので、香りがいい刺激になると思って」


 そう言って母に話しかけているメイに、アーロンは率直に〝健気だ〟という感想を抱いた。

 二年間もこの状態の母親の介護を、彼女と父親はつづけている。

 ノアが〝力になれそうもない〟と残念がっていた気持ちが、少しわかった気がした。


「へぇ~、アーロンさんって本当に記者だったんですね。てっきり、ノアさんがその場しのぎで言ったでまかせかと思ってました」

「まぁ、あのタイミングじゃそう思われても仕方ねぇな」


 メイがもともと天真爛漫な性格ということもあってか、基本的に社交性がないアーロンと、無駄口は叩かない男であるヴォルフガングが一緒でも、店内はわきあいあいと会話に花が咲いていた。もっとも、ヴォルフガングが客の会話に口を挟むことはなく、彼は話を振られたときにだけ口をひらいていたが。


「そういえば、ペンドラゴンって占いもしてくれるんですよね」

「どっちかというとそっちが主流なんじゃねぇか?」

「そうですね、相談だけというほうが珍しいです」

「じゃあ、あたしは珍しいほうだったんだ」


 そう呟いて、メイは少しばかり思案にふけるような様子を見せた。


「あの、今占ってもらえちゃったりします?」

「構いませんが、なにを占いましょう」

「えーっと、じゃあ、お母さんのこれからの運勢とか」


 その言葉に、ヴォルフガングは少しだけ眉尻を落とした。


「お母様の、ですか。カードを選んだり、質問に答えられると、こちらとしてもやりやすいのですが」

「あ、そりゃそうですよね。それならあたしの運勢にしてもらおうかな」

「わかりました。それでは簡単にタロットを使ってみましょうか」


 背後の棚から小さな箱を取りだし、メイが座っているテーブル席へ移動する。


「わかりやすく、大アルカナだけ使います」


 カードの中から複数枚を選出し、上下の向き関係なくぐちゃぐちゃにして混ぜていく。それをメイにも混ぜるように指示し、裏向きのまま整え、素早く一列に並べた。


「この中から、三枚カードを選んで、三角形にならべてください」


 指示通り、メイは一列に並んだカードの中から三枚を選び取り、三角形に並べる。


「左下が現状、頂点がさらにその先の結果や近い未来、右下が周囲の環境や人々を表すカードになります。まずは現状を見てみましょう」


 そう言って、ヴォルフガングは左下のカードをめくった。表になったカードには、船の舵輪のような絵が描かれている。


「運命の逆位置」


 自分のほうを向いているカードに目を落とし、ヴォルフガングが口をひらいた。


「逆って、あんまりよくないんですよね」

「基本的にはそうですね。運命の逆位置は、状況の悪化やアクシデントの到来、人間関係においてはすれ違いや別れ、そういった意味になります」

「うわ、不穏」


 メイが渋い顔をする。


「ですが、運命のカードが示すのは主に外的要因による変化とされているので、あなた自身が悪化を招く、という意味ではありません。自分の努力で修正できるようなものではないかもしれませんが、それゆえあまり深刻に考えず、問題は時間や周りの人が解決してくれる、という楽観的な意識を持つことも大事かもしれませんね」


 鷹揚で静か、しかし重厚感のある低い声。

 すらすらと語られるその話を、メイは感心した様子で聞き入っていた。


「次を見てみましょう」


 三角形の頂点、近い未来を示すカードがめくられる。カードには人の横顔を模した天体が描かれていた。


「月の逆位置」

「また逆だ!」


 うわぁ、とメイは嘆いて机に突っ伏した。


「月はどちらかというと逆のほうがいい意味ですよ」

「そうなんですか!?」

(忙しい奴だな……)


 だが、すぐにフォローが入ったことでパッと顔をあげた。その様子を見遣りながら、アーロンは黙ったままコーヒーに口をつける。


「不安定な状況や混乱した環境が終わりを迎え、徐々に好転してくるという暗示です。それまでの過ちも失敗になることはなく、過去に引きずられることなく前を向くことができる。そのきっかけを示すカードなので、長い目で見ると運気は上向いてくると考えてよいでしょう」


 たしかに悪い意味ではない。

 解説を聞いたメイは、ほっと愁眉をひらいた。


「それでは三枚目、あなたの周囲を表すカードです」


 右下のカードがめくられる。ヤギのようなつのを持つ、恐ろしい顔の魔物が描かれていた。


「悪魔の逆位置」

「全部逆っ……でも、悪魔の逆ってことは悪い意味じゃない?」

「そうですね。目覚めや回復、解放といった意味になります。総じて、悪い状況が好転していく暗示ですね。ただ、盲目的になっているということを示してもいます。周りが見えていなかったり、現状への理解が足らなかったり、いろいろな言い方ができると思いますが。誘惑や甘い言葉に惑わされず、しっかりと考え行動するように、というのがアドバイスになるかと思います」


 人生相談のような雰囲気になっているふたりを見遣りながら、蚊帳の外にいるアーロンは、ズズ……とコーヒーをすすっていた。

 いつ見ても、占いをしているときのマスターは別人のようだ。

 声のトーンや態度はまったく変わっていないが、話し方が占い師特有とでも言えばいいのか。普段は感じない胡散臭さが、一気に噴出しているように思える。もし最初の出会いが占いを通じてなら、今ほど彼のことを信用していなかったかもしれない。

 そんなことを考えていると、急にメイから声がかけられた。


「ねね、アーロンさんも占ってもらったらどうですか?」


 その言葉に、思わず咳きこみそうになる。


「いや、俺はいい」

「アーロンさんはやりたがらないんですよ。占いを信じてはいないようで」

「えー、こういうのはだいたい話半分に聞いて楽しむものじゃ――」


 滑らかに口をひらいたメイは、そこまで言ってピタリと固まった。


「違いますよ、あたしは信じてます!」

「そのフォローはもう手遅れだな」


 瞬時にヴォルフガングへ向きなおったメイに、アーロンは失笑する。


「いえ、今のは世間一般の意見を言っただけです。あたしは占いが大好きです、えぇ」

「……そういうことにしといてやる」

「ちょっとアーロンさん~」


 カウンター席からの冷ややかな視線を一身に受けるメイが弁明を口にするも、その視線の主は鼻で笑って背を向けるだけだった。

 バツが悪くなったメイは、肩をすくめて居なおる。


「すみません、失礼なことを……」

「お気になさらず。占いに振りまわされるよりよほど健全ですよ」


 ヴォルフガングが気を悪くしていないことに安心したメイは、立ちあがってカウンター席へ歩み寄った。

 自分の占いが終われば、ムクムクと湧いてくる興味は他人の運勢ということか。

 しかもその人がやりたがらないとなれば、強引にでもやらせてみたいという意地悪な気持ちが顔を覗かせるのは、人の性といってもいいかもしれない。

 メイはつんつん、とアーロンの左腕をつっついた。


「ねぇねぇ、アーロンさん。少しくらいやってみてもいいんじゃないですか?」

「なんでだよ、俺はべつに」


 ガッシャーン!


 アーロンがうっとうしそうに手を振ったと同時に、歓談を遮る甲高い音が響き渡った。

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