68. 黒曜石の首飾り - Obsidian Pendant -
「!?」
つづけざまに、フロアに面している壁が崩れ落ち、身を焦がすような熱風が監房の中を吹き荒れた。
『あぢぢぢぢぢっ、燃えっ、燃える!』
悲鳴をあげるザミュエルを放置して、慌てて二階の廊下へ出る。
階下には、こちらを睨みつけるキングス・ブルの長、マリクの姿があった。
「テメェ……案の定、裏切りやがったな!」
耳をつんざくような咆哮を轟かせ、マリクは拳で床を殴りつけた。彼を起点に床を走ったヒビが、まっすぐアーロンに向かう。それは壁を這いのぼり、監房の前で大爆発を起こした。
かろうじて巻きこまれる寸前で飛び降り難を逃れたが、崩壊した廊下の瓦礫が身体へ降りそそぐ。
「どういう意味だ!?」
なんとか両腕で頭を石の礫から守りながら、アーロンは声を荒げた。
「
巻きあがる土埃の陰から、マリクの周りを揺らめく陽炎が見えた。と思ったのも束の間、巨大な炎の塊が爆風を伴って襲いかかってきた。
躱すのは無理だと判断し、両手を前に突きだす。
「Assist 39〝
手のひらを中心に、同心円状に透明な波紋が生まれ、炎が直撃すると同時に、魔力の競合により閃光がほとばしった。
「ぐぅっ……!」
火球を押し返さんとする両腕が、ビクビクと痙攣する。しかし、詠唱を省いた魔導ではそれも叶わない。
顔が歪み、額からは一筋の汗が垂れる。
限界だと思った瞬間、巨大な炎がギュッと凝縮し、バレーボール大の大きさになった。それはまるで、裡に溜めたエネルギーを発散する寸前の、白色矮星のごとく。
(マズッ……!)
身を翻す隙もなかった。
視界が真っ白に染まり、轟音と爆風が周囲にまき散らされる。
展開していた魔力の盾は粉々に砕け、爆風によって煽られたアーロンの身体は宙を舞い、フロアの壁に思いきり叩きつけられた。
オレンジ色の囚人服と下着のシャツは焼け焦げ、首から胸の辺りにかけて地肌が露出した。左腕の魔法陣のようなタトゥーと、首から提げている黒真珠のペンダントが露わになる。
「ク、ソ……」
打ちつけられた背面から、軋むような痛みが全身へ走った。呼吸や拍動といった、不随意の運動がすべて狂ったような感覚に陥る。身体に力が入らず、起きあがることもままならない。
芋虫のように身を震わせているしかできないアーロンの耳に、地を踏み鳴らす怒りのこもった足音が届く。
「待て、誤解だ……たしかに勧誘はされたが、受け入れてはいない……!」
「そんなたわごとを、信じてもらえると思ってんのか? バカが!」
息も絶え絶えに口にした弁明は、野太い怒号にかき消された。
「裏切り者には死を、古代からの鉄則だ」
東洋の仁王のように立ちふさがるマリクの背後、彼の部屋のそばにたたずむ、給仕服が目に入る。その人物に向かって、黒い本が飛んでいった。
『アシュリー! どうしてそんなヤツの味方をする!』
「わたしの居場所はここしかない!」
甲高い絶叫が轟いた。
「アーロンさんがB棟に渡ったら、ここは攻めこまれて壊滅します! そうなったらわたしはもう生きていけない!」
『だから――』
その言葉のつづきは、ザミュエルから出てはこなかった。首を振るように小さく身を揺らし、アーロンのもとへ舞い戻る。
『起きろ』
――簡単に言ってくれる。
吐きだそうとした悪態はうめき声にしかならず、アーロンは悲鳴をあげる身体を押してよろよろと立ちあがった。
顔面に液体が垂れている感覚がする。顔を腕で拭うと、真っ赤な血がべっとりとついた。大方、マリクの攻撃を凌いでいた流れで額を切ってしまったのだろう。
『わかってるな。悪魔同士の戦闘の鉄則だ』
抑揚のない声が、眼前に浮く黒い本から響く。
『相手がこちらを殺すつもりなら』
「……相手を殺すつもりでやる」
そもそも、手を抜いて戦えるような相手ではない。
黒い本に手を伸ばす。
表紙の悪魔の顔がカッと口をひらき、稲妻がほとばしった。それを見ていたマリクの、獣のような四白眼が細くなる。
「なんだ、それは」
ザミュエルの能力を使用した。
他者の認知に引っかからないようにする封が無力化され、黒い本は誰の目にも映るようになった。そして、その本から取りだされるように構築される、銃火器もだ。
今回アーロンの手に収まったのは、ネイサンやジェイコブ・ファレルに対して使った黒い拳銃ではなく、砂漠の鷹の名を冠する銃に似た、白銀の銃身を持つ重厚な大型拳銃だった。
両手で構え、小さなサイトに視線を合わせる。
マリクの人間離れした肉体は、肉弾戦の優位を象徴するものとなっているが、銃で狙いを定める的としてはこれ以上ない絶好の代物だ。
相手の一歩がいくら大きく、すぐれた膂力をもって接近してこようと、怪腕が届く前に射撃を命中させることは容易い。
構えた拳銃の、銃身を走るように彫られている溝に、淡く赤い光が灯る。
「
カチリ、と引き金の音がした瞬間、大きな銃口から一条の稲妻がほとばしった。
フロアを震わす雷鳴が轟き、白い稲妻が空を裂く。マリクの心臓めがけ突き抜けようとする光は、彼の右肩を貫いた。
「ぐぅッ……!」
銃口が光った瞬間、マリクは射線上から退こうとしていたが、銃弾をはるかに超える速度で撃ちだされた稲妻を、完全に躱すことは不可能だった。
右肩から血の雫が舞い、マリクの顔が苦痛に歪む。が、それは一瞬のことで、すぐに彼の表情は憤怒に染まった。
「がァァアアアアアッ!」
咆哮を轟かせると同時に、地震のような揺れが棟全体を襲い、床一面からいくつもの火柱が噴きあがる。
白い岩肌が剥きだしになっている荒涼なフロアは、熱風が吹き荒れる地獄のような光景に様変わりした。
のたうつ大蛇のごとくうねる炎は、アーロンに向かって降り注ぐ。そちらに意識を向け躱しているあいだに、血走った怪腕がアーロンの喉もとを捉えた。
「ッ!?」
咄嗟にのけぞり、なんとか喉笛に食いつかれることは回避したが、首から提げているペンダントが慣性で浮き、空を切るはずだったマリクの腕がペンダントをつかんだ。
まずいと思った瞬間には時すでに遅く、引っ張られたペンダントの細いチェーンは耐えきれず破断し、アーロンの首から離れていった。
「チッ……ゴミしか獲れなかったか」
悔しそうにしながら、マリクはつかんでいたペンダントを放り捨てた。
無惨にちぎれたそれが宙を舞う。その光景が、アーロンの目にはスロー再生のように焼きついていた。
恋人が死ぬ間際まで身に着けていた、形見ともいえるアクセサリー。
フロアに吹き荒れる炎にペンダントが呑みこまれた瞬間、アーロンは反射的に白銀の拳銃を構え、
「!?」
竜巻のような衝撃波が、熱と炎を巻きこみながらマリクに直撃し、C棟の壁にその巨体を叩きつける。
「絶対に許さねぇぞ……!」
身を震わせながら、アーロンは地に落ちるような声を漏らした。対して、マリクは壁にめりこんだ身体を起こし吼える。
「雑魚がッ、俺様に歯向かったらどうなるか! 骨身の髄まで
男ふたりの血走った視線が、宙で交錯する。
その一方、フロアの隅では。
「コットン、監房へ避難しましょう」
大きな身体で、荒れ狂う炎の渦からコットンを庇っていたダレルが口をひらいた。
「でっ、でも……!」
「ああなったボスは誰にも止められません。あなたが割って入って、なにかできますか?」
ダレルの言葉に、コットンは返答に窮した。キュ、と悔しそうに唇を結ぶ。
そのままふたりは一階の隅にある監房の一室へと移動した。脆い木製の扉は吹き飛ばされていたものの、このままフロアにとどまっているよりは確実に安全だった。
本当なら、フロアを突っ切って階段まで戻り、連絡通路を通ってA棟に避難するのが最善で、いち早く危険を察知した囚人の一部はそのとおりの行動を取り、すでに棟を移っているようだったが、現状、獄炎に包まれたフロアの中を歩くのは、自ら焼かれにいくようなものだった。
しかし、このまま窯のような監房にいても、このままふたりの戦闘が激化すれば、フロアの熱の余波で蒸し焼きになってしまう未来が容易に想像できる。
少しでも空間を広げるために、ダレルは持ち前の怪力を駆使し、監房の壁を破壊しはじめた。
このまま監房を隔てる壁をすべて取っ払い、端まで安全に移動できるようにすれば、A棟への非難もそう難しくない。
ダレルが壁を殴りつけるのに呼応して、監房の外から大きな地響きが轟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。