62. 西王幇 - Xi Wang bang -

 アーロンとダレルのふたりはC棟を出、A棟の階段を突っ切り、連絡通路へ足を踏み入れた。短い通路の先、Bと大きく彫られた石の扉をひらく。


「入るの、どこが難しいんだ?」


 背後に立つダレルへ顔を向けたまま一歩踏みだしたアーロンの喉もとに、鈍く光る刃物が突きつけられた。手をあげゆっくりと振り返った先には、黒い囚人服に身を包んだアジア系の男。


「何用だ」

「キングス・ブルの長、マリクの遣いで来ました。黒虎ヘイフウ様にお伝えしたいことが」


 アーロンに突きつけられたナイフに手を添え、ダレルがB棟へやってきた理由を説明する。見張り役らしい囚人は眉をひそめたものの、ここで待て、と言い残し階段をおりていった。

 その足取りを追うだけで、自然と視線はフロアに向く。


『おぉーっ! すげぇっ、なんだこりゃ』


 ザミュエルがくるくるとフロアの高いところを乱舞した。ただ、それも無理はないと思えるほど、B棟の内装は、ほかふたつのフロアとは基本的な構造以外なにもかもが違っていた。

 まず、白い砂岩をそのまま削りだしている内壁は、銀朱のような色の塗料で覆われており、一面目の冴える鮮やかな朱色に染まっていた。龍や虎、雷文と呼ばれる雷をモチーフにした中華風の彫刻がいたるところに施され、ロンドンにある中華街をコンパクトにしたような光景が広がっている。一階部分に石のテーブルが点在している光景は変わらないが、卓上には石を削って作ったらしいチェス盤や雀卓が置かれ、黒い囚人服に身を包んだ囚人たちがゲームに興じている。

 はじめこそ、異物であるアーロンとダレルへ好奇の視線が刺さっていたが、彼らはすぐに興味を失ったらしく、すぐにゲームへ意識を戻した。


 フロアには笑いや叫びなど、一喜一憂する声がこだましている。

 二階にずらりと並ぶ監房の扉の多くが開いており、ほとんどの囚人が一階のフロアに出て集まっているようだった。さながら、中華風の小さなカジノやゲームセンターのようで、ともかく囚人の収容所とは思えない光景が広がっている。


「これはどういう……」


 アーロンがダレルへ話しかけようとしたとき、見張りを務めていた男が階段の下まで戻ってきた。


「来い。妙な真似はするなよ」


 それだけ言って、彼はふたたびきびすを返した。顔を見合わせつつ、ふたりは階段をおり、彼のあとへつづく。


 アーロンの視線は、終始フロアへと向いていた。たしかに一階は盛況しているが、人数という意味では、ほかの棟よりも控えめな印象を受ける。排他的な場所だというほかからの評価は、あながち間違っていないのかもしれない。


 見張りの男は、A棟では看守長、C棟では派閥を治めるマリクが占拠している部屋とおなじ、フロアで一番立派な扉をノックした。入れ、という野太い声が中から響き、男が扉を開ける。男は顎で室内を示し、アーロンとダレルだけが中へ入った。


 室内は、フロアと同様朱色の塗料で壁や床が着色されており、壁には大きな虎の彫刻が施され、中に入ってきた者へ睨みを利かせていた。広い部屋の隅には簡素な雀卓と、四脚の椅子がそれぞれ向かいあうようにして置かれている。中央には、木を骨格とした長椅子がふたつ、木造のテーブルを挟んで置かれており、その上にはチェス盤と駒が転がっていた。


 長椅子には、ひとりの男が腰掛けていた。

 黒い髪をオールバックにしており、額から頬にかけて大きな裂傷の痕が刻まれている。鋭い眼力も相まって非常に強面な壮年のアジア系だ。


「まぁ座れ」


 彼は不敵な笑みを浮かべ、対面の長椅子を顎で指し示した。ダレルが先に座り、アーロンも倣って隣に座る。


「しょっちゅう顔を突き合わせていたころを思うと、久しぶりだな、ダレル」

「そうですね、どれくらいぶりでしょう」

「ひと月は経ってるだろうが……まぁここじゃ正確な時間がわからないからな」


 ふたりの口ぶりに疑問を覚えたアーロンは、隣に座るダレルへ軽く顔を寄せた。


「知ってるのか」

「えぇ、彼は黒虎ヘイフウ。ここ、B棟を拠点にしている派閥、ヘイロンフェイのまとめ役です。彼とは何度か手合わせをした仲なんですよ」

「オレの全勝だがな」

「それは言わなくてもいいじゃないですか」


 黒虎ヘイフウと紹介された男はそう言って、鼻を鳴らした。

 アーロンはというと、ヘイロンフェイという英語ではない響きの名前に疑問符を浮かべていた。


「それで、そいつが例の悪魔憑きか」


 彼の射抜くような視線が、アーロンに向けられた。


「やはり、すでに耳に入っていましたか」


 ダレルの言葉に、黒虎ヘイフウはニヤリと笑って、


「お前だけじゃなく、その新入りを連れてくるなんて、なにか企んでるな」

「えぇ、まぁ」

「また喧嘩か。お前んとこのカシラも、相変わらず往生際が悪いな。邪眼に兵隊引っこ抜かれたくせに」


 ハァ、と黒虎ヘイフウはあからさまに呆れの意を示した。


「彼がキングス・ブルにやってきたのと、A棟とは不戦協定が結ばれたので、こちらに集中できると」

「なるほどな。まぁ、お前に勝つ悪魔憑きなら、戦力としては充分だな」


 納得したように頷く。


「オレとしちゃあ、いっぺん全面戦争でどっちが上かハッキリさせんのがいいんじゃねぇかと思ってるんだけどな」


 黒虎ヘイフウは、見た目どおりに好戦的な性格をしているようだった。交戦したことがあるらしいダレルだけでなく、ボスのマリクについても知っている。そのうえで事を構えることを厭わないというのは、自らを含め派閥としての実力に自身があるということなのだろう。


「なんにせよ、まずは腹を割ってからだな。お前、名は」

「アーロン・アローボルトだ」


 アーロンの自己紹介に、黒虎ヘイフウは小さく眉をひそめ、少しばかり思案にふけるような仕草を見せた。


「少し待ってろ」


 ややあって、黒虎ヘイフウはおもむろに立ちあがり、部屋を出ていった。

 その様子を見送りながら、首を傾げていたダレルがアーロンへ話しかける。


「アローボルトさん、まさか彼と知り合いですか?」

「いや、まったく」

「彼は、なにかに気づいたようでしたけど」


 そうは言われても、アーロンに覚えは一切ない。


「奴はどこに行ったんだ」

「おそらく、ボスのところですよ」

「ボス? ここはアイツの派閥じゃないのか」


 えぇ、とダレルは首肯した。


「彼はいわゆるスポークスマンです。表向き派閥をまとめているのは彼ですが、バックに本当の長がいるんですよ。まぁ、この派閥で一番強いのは間違いなく彼ですけどね」


 そう言って、ダレルは部屋の内装を見まわす。


「この棟、いたるところが中華風でしょう。ここは、ロンドンに拠点を置く黒社会、西王幇シーワンパンにいたふたりが牛耳っている派閥なんです」


 また久しぶりに聞く名前だとアーロンは思った。

 黒社会とは本来、中国語圏における、マフィアやギャングなどの犯罪組織を総括して指したり、犯罪の温床になっているアンダーグラウンドな経済圏、およびそれらにより形成されるようなコミュニティを指す言葉である。現在それらの犯罪組織は世界中に散り、ヨーロッパ最大級の中華街を擁するロンドンもその例に漏れない。


 アーロンは少し考えて、ダレルが口にした西王幇シーワンパンという名について思いだした。ロンドンを拠点にする名の通ったチャイニーズマフィアが、たしかそんな名前だったと記憶している。組織犯罪に対処する部署にいたわけではないため、そこまで詳しくはないのだが、マフィア絡みの事件の応援に呼ばれた経験もあり、知識として名前くらいは知っていた。


「なぁ」


 この棟にやってきて、頭の隅で疑問に思っていたことを、アーロンはダレルへ尋ねてみた。


「見る限り、こっちの派閥は人員が少ないみたいだが。どうしてマリクは攻めこまない? 数では上だろう」

「簡単な話ですよ。こちらのほうが戦力が上だからです。マーレボルジェへ送られてきた強い悪魔憑きのほとんどがこちらに籍を置きます。まぁ、理由はなんとなくわかりますよね、フロアを見れば」


 ほかの棟にはない娯楽が、ここにはあふれている。その小道具はおそらく、囚人たちの手製だろう。自分たちで作ったものを共有し、ルールに則って遊ぶ必要があるゲームでともに時間を過ごす。派閥内がしっかりと秩序だっていなければ、見られない光景だろうことは容易に想像がつく。排他的であるがゆえに結束を生み、すぐれた環境を用意することで有力な悪魔憑きが自然に集まる、そんな流れが確立されているのだろう。看守長の力が強いA棟や、力による恐怖政治がはびこっているC棟では、実現できない組織体系だ。


「数で押しても押し返されるだけですし、それに最近はその数的有利も失われていたので。ボスの思惑としては、選出した代表者数名で覇権を争う方向に持っていきたいんですよ」

「あのナリでやけにみみっちいことを考えるモンだ」 


 人間離れした体躯を誇る男の姿を思い返し、アーロンは呆れ交じりのため息をついた。


「けどよ、それならB棟こことしては戦力を制限する必要がないんじゃないか。俺たちの思惑に乗ってきたら馬鹿だろ」


 最初から戦力で上をいくこちらの派閥が、マリク率いるキングス・ブルの提案を呑むとは思えない。


「だから私が遣わされたんですよ、交渉人ネゴシエーターとして」


 うまくいくとは思っていないのか、丸めこむ自信がないのか、ダレルは眉尻をさげて笑った。そんなとき、部屋の豪勢な扉がひらき、外から黒虎ヘイフウが顔を覗かせた。


「お前ら、ちょっと来い。オヤジ殿がお呼びだ」

「これは予想外ですね」


 立ちあがりながら、ダレルがアーロンへ耳打ちする。


「私も、こちらの長には会ったことがありません。アローボルトさん、ここは慎重にいきましょう。黒社会ではメンツが命より重いと聞きます」

「あぁ、わかってる」


 小さく頷きながら、アーロンは席を立った。

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