61. 言葉は剣より強し - The words are mighter than the swords -
「まさかあんな男に、お前が迎合するとはな」
心底から、侮蔑がこもったような声だった。射抜くような瞳孔が、夜行性の蛇のように細くなる。チリ、と疼くような痛みが目の奥に走り、アーロンは反射的に視線を外した。
結局、ひとりでA棟に赴き、こちらで最も有力な悪魔憑きであろうネイサン・ダンの監房を訪れていた。はじめこそ快く歓迎したネイサンだったが、アーロンの話を聞いた途端、顔つきが変わった。
「どうしてC棟で暴れて、こっちで自分の派閥を作ったんだ」
「私が、そんなことを故意におこなったとでも思っているのか。結果としてそうなっただけだ」
馬鹿にするのもいい加減にしろ、とネイサンは苛立ちをあらわにする。
「奴は当然、C棟へ送られた私を自分の部下のように扱い、命令した。すべてが自分の思いどおりになるとでも思っているらしい。だが、あんな品も知性もないような奴に迎合し、その下につくなどありえない。嫌だったから、自分の力で拒否し自衛しただけだ」
「じゃあ、どうしてあっちの囚人を引き連れてこっちに来たなんていう話になってるんだ」
「ハッ。私が先導などするわけがないだろう。奴らが勝手についてきただけだ」
アーロンの言葉を、ネイサンは鼻で笑い飛ばし、
「お前もあちらに移った身だ。少しは理解しただろう」
と、蛇のような冷たい視線を投げかけた。
「私についてきた奴らは、力がすべてのキングス・ブルで最底辺の存在だった。そんな境遇から脱したかった奴らは、C棟を出ていくチャンスを虎視眈々と狙っていた。私の邪眼が恐ろしいから逆らえないなどと適当な理由をつけて、派閥から抜けだしただけの話だ。それを私のせいにしようなどと、やはりキングス・ブルは低能の集まりか」
忌々しい、と彼は吐き捨てる。
「ハナからあんな奴に人望などない。そのくせ大将を気取っている、醜態を晒しているだけの恥ずかしい男だ」
ここまで話をして、ネイサンが攻めこまれることに対して怒っているわけではないことを、アーロンは理解した。彼は本気で、アーロンがマリクの遣いとしてやってきたことに嫌悪感を抱いているらしい。それは一部誤解であることを、アーロンは告げる。
「俺はべつに、マリクに迎合したつもりはない。お前と敵対することも本意じゃない」
「どういう意味だ。お前は、こちらを傘下に入れてこいと命令されて来たんだろう」
「そうだ」
「意味がわからんな。傘下に入れるということは、力で屈服させるということだ。私自身、こんなところで群れを作ったなどというつもりはないが、あんな男の下につけと言うのなら、交戦も辞さない」
ゴキリ、とネイサンは首を鳴らす。
「前回とは比べ物にならない、私の全力を見せてやろう」
「だから、お前と敵対するつもりはないと言ってる。結局、マリクの本命はB棟だ。それを落とせなければ意味がない。A棟とはまず、敵対しないという確約さえできればそれでいい」
「それはお前の判断か?」
「あぁ」
「だろうな。あの男がそれで納得するとは思えん」
ネイサンは足を組みなおし、
「そもそも、なぜ私にこの話を持ってきた? この棟をまとめているのは看守長だが」
「ほかの奴らは、そうは思ってないんじゃねぇか? 結局、お前の力についてきた奴らがいることは事実だろ」
アーロンの言葉に、蛇のような目を細め、少しばかり思案にふけるようなしぐさを見せたあと、ネイサンは一言〝わかった〟と口をひらいた。
「派閥同士の争いとやらに興味はない。私を巻きこむようなことさえなければ、関わらないと約束しよう」
彼の言葉に、アーロンはほんの少しばかり呆けた顔を晒した。それを目ざとく察したのだろう。ネイサンの目が細くなる。
「……どうした?」
「いや、正直こんなにすんなり話を受け入れてもらえるとは思っていなかった」
「こんなところで争って自分の力を誇示したところで、なんの欲の発露にもならないだろう。まぁ、一度手合わせした
「とにかく礼を言う。俺も余計な面倒はゴメンだからな」
「私よりも面倒な男の下についておいてよく言う。せいぜい焼き殺されないよう、うまく立ちまわることだな」
―
――
―――
「なに? もう一度言ってみろ」
「A棟とは不戦協定を結んできた。ひとまずこれで、A棟が敵対することはない」
ダン! と踏みつけられた床から、地響きのような音が轟いた。アーロンのそばで炎の柱が噴きあがる。
「寝言言ってんじゃねぇぞ三下が! 口約束の協定だと? そんなモン、なんの効力も持たねぇだろうが!」
大きな石のベッドに腰掛けているマリクは、あからさまに苛立った様子で片足を揺らしながら声を荒げた。
「血判でも交わせば、効力があるとでも?」
「だから攻め落とせと言った!」
「手段は問わないと聞いていたから、俺のやりかたでやってきたんだけどな」
血走った目で睨みつけてくるマリクに、アーロンは努めて冷静に返す。
「アンタの目的はこの収容所全体を自分の支配下に置くことだろう。本命はA棟なんかじゃないはずだ。なんの労力も払わず、B棟に集中できる環境を整えてやったんだぞ」
「わからねぇヤツだな。ヘイロンフェイと事を構えてる最中に、A棟のヤツらが反旗を翻す可能性を、テメェはみすみす残してきただけだと言ってるんだ」
心なしか、部屋の温度が上昇する。
「予想以上に、テメェは使えないヤツだったようだな」
「俺も万全な戦力として、B棟に参戦できるんだ。ありがたく思ってほしいくらいだがな。それにもし、A棟が協定を反故にするようなら、そのときは俺がひとりで対処してやる。それなら、こっちの戦力に大きな穴は開かないだろ」
互いに譲歩しないやり取りが止まり、しばらく睨み合いがつづいた。
やがて、マリクが先に視線を外し、背後に侍っていたコットンに声をかけた。
「アシュリー、ダレルを呼んでこい」
ペコリと頭をさげ、コットンは部屋を出ていく。彼はすぐに、ダレルを連れて戻ってきた。
「なんでしょう、ボス」
「とりあえずA棟との折り合いはついた。作戦を前に進める。前に話したことは覚えてるな?」
「はい」
「B棟に行って、ヤツらと話をつけてこい」
ダレルは、アーロンをちらりと一瞥した。
「私ひとりでですか?」
「お前が適任だ」
「口を挟むようで悪いが、俺も一緒に行かせてもらいたい」
目力だけで射殺すようなマリクの視線が、アーロンへ突き刺さる。
「馬鹿か。テメェを送りこむ理由がない。俺の信用を得るだけの実績がお前にあるか? 胸に手を当てて考えてみろ」
「A棟と無血で不戦協定を結んできたのは実績だろ。言葉の意味もわからないほど、脳まで筋肉に侵食されてるのか?」
「テメェは自分の立場ってものを理解できない頭みたいだな。俺様が本気を出せば、テメェなんざ一瞬で消し炭だ」
ふたたび、剣呑な睨み合いがはじまる。だが、今はコットンのほかにもうひとりいる。
「ま、まぁまぁ」
緊迫した雰囲気に、ダレルが割って入った。
「ボス、私としても同伴者がいてくれたほうが安心です。私が見張っておきますので、勝手な真似はさせません。安心してください」
ダレルのその言葉で、マリクはひとまず納得したようだった。
マリクの部屋をあとにしてすぐ、アーロンは前を歩くダレルに声をかけた。
「口添えしてくれたのはありがたいが、勝手な真似ってのは、どういうことだ」
「あなたは、タトゥーについて情報を集められればそれで充分でしょう? だから私は心配してないんですが。寝返ったり、裏切るような真似さえしなければ問題ありませんよ」
「待て。まさかアイツはそんなことを恐れてるのか?」
フロアの隅までやってきて、ダレルは足を止め振り返った。
「ここだけの話ですが、ああ見えて、根は臆病なところがある人だと思いますよ。他人を信用できないというのは、その裏返しでしょう」
辺りをうかがいながら、ダレルは声のトーンを落とした。
雑魚がネイサンについて派閥を出ていっただけで機嫌が悪くなるような人物だ。また、A棟が反旗を翻すかもしれないということを懸念し、無力化しようとしたことも、ダレルの発言を裏付けるに値する。
「ヘタに力があるぶん面倒だな。つーか、誰よりも強い自信があるなら、そんなことをいちいち心配するなよ」
「まぁまぁ、無事B棟には行けそうですしよかったじゃないですか」
それはそうだな、と納得しているところに、コットンが駆け寄ってきた。
「あっ、あの。気をつけて、いってらっしゃい。B棟は、恐ろしいところだと聞いていますので」
『心配すんな、オレがいるからな』
今まで静かにしていたザミュエルが急に喋りだす。その言葉に安心したのか、コットンはニッコリと笑ってマリクの部屋へ戻っていった。
「アローボルトさん」
その背を見送りながら、ダレルが口をひらいた。
「A棟から帰ってきたばかりだと思いますが。休息は必要ですか?」
「いや、べつに」
「それなら、行きましょうか。B棟に」
「もう? なにか話し合いとか、作戦は」
「心配いりませんよ、やることは決まってますので」
にっこりと笑ったあと、ダレルは〝あ〟と声をあげた。
「ひとつだけお願いが。情報収集は、先方の許可をもらってからお願いしますね。曲者ぞろいという意味では、あちらもそう変わらないので」
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