52. 弱者と強者 - The strong and the weak -
そのまま彼に連れられ、一階にある一番豪勢な扉の前にやってきた。グレイヴがノックして扉を押しひらく。
なんとなく想像していたとおり、扉の先にいたのは看守長のスカルミリオーネだった。
囚人たちの監房が五つは余裕で入りそうなほど広い部屋に、石でできたデスクと木製のベッド、本棚、籐のような植物の蔓で編まれた椅子がひとつ。ところどころに淡く光るカンテラが置かれ、窓がない暗い部屋を照らしていた。
「来たか」
籐椅子に座っていたスカルミリオーネが声をあげた。ニヤニヤと粘ついた笑みを浮かべている顔が、周りにあるランプの光に照らされ、ぼんやりと不気味に浮かびあがっている。
グレイヴにならって一歩部屋に踏み入ると、どういうわけか今まで身を蝕んでいた不快感は消え去った。
「……あの呼びだしかたは、もうやめてくれ」
「加減が難しくてな。大声で呼びだされるよりはマシだろう?」
控えめに話しかけるグレイヴに、スカルミリオーネは気味の悪い薄笑いを浮かべたまま返した。
「十六番、呼びだされた理由はわかってるな。仕事の時間だ」
「仕事? この世界に厳格な掟はないと聞いたばかりなんだが」
「なんだ、スタン。教えていないのか?」
その言葉に彼はうつむき、視線をそらした。
「ふん、まぁいい。光栄に思え、看守長であるワタシの身のまわりの世話をするだけで、この監獄の中で安全に過ごしていけるんだ」
スカルミリオーネの話の意味が、アーロンにはいまいち理解できなかった。理解できないまま、ふたりが話を進めていく。
「それではスタン、いつものとおりやってもらおうか」
「コイツが、いる前でか? せめて……ひとりでやらせてくれ」
籐椅子に深く腰をかけなおしたスカルミリオーネから目をそらし、顔を歪ませ、グレイヴは小さな声で懇願を口にした。それを無視し、スカルミリオーネはグレイヴを指差す。すると、部屋に入った段階でようやく落ちついていた彼が、急に胸を押さえ苦しみはじめた。
「がッ……ぐぅぅ……」
「逆らえる立場にないことは、オマエが一番よくわかっているだろう」
「おい、大丈夫か?」
くずおれ、うずくまるグレイヴの背にアーロンは手を置いた。しかし、その手はグレイヴ本人によって振り払われた。そのまま這う這うの体で、籐椅子に座っているスカルミリオーネの足もとまで近寄る。
次いで彼が起こした行動は、アーロンの予想を大きく超えたものだった。
ぶるぶると震える手でスカルミリオーネのローブをたくしあげ、中から覗いた細い足を持つ。グレイヴは看守長の足もとにひざまずいたまま、彼が履いているブーツにゆっくりと顔と近づけた。
『おぇっ』
「オイオイオイオイ! なにしてるッ!?」
今まで黙って部屋の中をくるくると舞っていたザミュエルが、えずくような声をあげた。同時に、アーロンもグレイグの首根っこをつかみ、そのまま思いきり後方へ引っぺがした。
自らの足もとに侍っていたグレイヴが引き剥がされたことで、スカルミリオーネは舌を打つ。
「ワタシの身のまわりの世話だ。当然、奉仕も含まれる」
アーロンは開いた口が塞がらなかった。
刑務所で囚人が看守を篭絡し不祥事を起こさせるという話はときどき聞くが、看守が堂々と立場を利用し囚人を私利私欲のために振りまわすなど、厳格なルールで運営されるはずの刑務所で起きるわけがないと思っていた。
「この世界は極端に娯楽がない。そうなると楽しめることはおのずと限られてくる。それは看守であるワタシとて同じこと。キサマら囚人を管理してやっている立場として、これくらいの楽しみはあってしかるべきだとは思わんかね」
「思うわけがねぇだろ」
吐き捨てるような台詞が口を衝く。この収容所は、看守の独断専行がまかり通っている場所なのか。
「あちらの刑務所でも似たようなことは日常茶飯事だろう。なぁスタン? オマエは警察官だったそうだから、よく知っているはずだ。それに、今さらためらうこともあるまい? 今まで何度もやってきたことだ」
「なっ……」
背後にいるグレイヴへ、瞠目した目を遣った。アーロンに引き剥がされたときの姿勢のまま、彼はうつむき呆然としている。
「この男はロクな力を持っていない。ワタシへの奉仕はいわば、安全の担保だ。この監獄で生きていくために、この男は看守長であるワタシの庇護を買うことを選んだ」
『弱さは罪だな』
ザミュエルが嘆息するように呟く。その声音に、冷笑が含まれているように感じるのは単なる思いこみか。
なるほど、とアーロンは歯噛みする。
スカルミリオーネが言う意味はわかった。
この収容所に、理性的な秩序は存在しないのだろう。それを失った世界で台頭するものは、ひとえに力である。力の優劣はヒエラルキーを生み、強者が弱者を食い物にして成り立つ、野性的な秩序が構築される。先ほど囚人がいきなり襲いかかってきたのも、ネイサンが首を挟むだけで素直に引きさがったのも、その証左と言えそうだ。
スタンリー・グレイヴはこの収容所で弱者となり、弱者なりに生きていくために、収容所内における権力者である看守長へ媚びへつらうことを選んだのか。
その姿は、アーロンが知る彼とは大きく乖離していた。彼についてそこまで詳しいわけではない。だが、媚びてまで他者に迎合するような人ではなかったはずだ。だからなのか、怒りにも似た感情が、沸々と沸きあがってきた。
「アンタ、それでいいのかよ! 警部に知られたら心底馬鹿にされるぞ!」
その言葉は、彼にとって差し向けられたくない毒だったのだろう。ピクリと身体を震わせ、拳を握りしめた。青白くなっている手の甲に筋が浮かびあがる。
「それならばキサマが身代わりになれ。どうせ、本人の人格が出ている悪魔憑きなど大した力を持ってはいないのだからな。ほかの悪魔憑きに怯えながら過ごすより、ワタシの世話役をしているほうが安全な毎日を送れるぞ」
どちらでもいいから早くしろ、と言わんばかりに、スカルミリオーネは口をひらいた。その言葉に、アーロンは眉をひそめる。この収容所では名前すら必要ではないようで、看守長へ自己紹介もしていない。それなのに、主人格を決めつけられたことを不思議に思った。
「どうして、表に出ているのが悪魔じゃないと言える」
「簡単なこと。他者の心配をするなど、悪魔がやることではないからだ」
『いいんじゃねぇの。試しにやってみろよ、笑ってやるから。何事も経験だ』
「冗談じゃねぇ殺すぞ」
スカルミリオーネの言葉に被せるようにして、ザミュエルがケラケラと笑いながら言った。思わず、棘立った台詞が口を衝く。
傍目には、アーロンがいきなり暴言を吐いたように見えるはずだ。だが、その違和感を指摘する者はいない。悪魔憑きばかりが集められるこの収容所の中では、ひとりで会話をしているような光景は日常茶飯事だからだろう。
「キサマに拒否権はない。ワタシの言うとおりにするほかないのだ」
そう言って、スカルミリオーネはおもむろにアーロンを指差した。
両脚に細いものが刺さるような感触が走る。下半身に血が通っていないような、妙な感覚に陥った。
「こちらに来い」
「!」
くい、と人差し指をあげるジェスチャーに呼応して、アーロンの右足が一歩前に出た。
自分の意思ではない。
勝手に足が動いた。
脳に疑問符が浮かぶより先に、つづいて左足が前に出る。
一歩一歩、籐椅子に座っているスカルミリオーネに近づいていく。それに比例して、弧を描く彼の唇が吊りあがる。
互いの手が届きそうな距離まで近づいたそのとき、アーロンの身体は弾かれたように跳ね、スカルミリオーネの胸ぐらをつかみあげた。
「なっ……!」
そのまま籐椅子から彼を引き剥がす。ふたりの立ち位置が入れ替わり、スカルミリオーネはフロアに面した壁に背を向ける形になった。
「〝
猫背の土手っ腹に両手を捩じこみ、一瞬で練りあげた魔力を炸裂させる。
耳をつんざく轟音とともに、衝撃波が巻き起こる。吹き飛んだスカルミリオーネの身体は薄い壁に大穴を開け、フロアにある石の椅子とテーブルに直撃してようやく停止した。
『あーあ、やっちまった。看守に牙を剥いたら面倒なことになんのはわかってんのに』
壁に開いた大穴を見遣り、ザミュエルが呆れの感情をあらわにする。隣では、グレイヴが呆然とした面持ちでたたずんでいた。その顔は、血の気が失われたかのようにひどく蒼白で、まるで別人のようになっている。そんな彼をちらりと一瞥してから、ザミュエルは小さく息を吐いた。
『ま、これはこれで傍観してるだけでもおもしろそうだからいいか』
アーロンの我慢は、身体検査の時点で限界を迎えていた。少しでも閾値を超えるようなことがあれば、それがいつ、どこであれ爆発していたことだろう。今回、そのときが早々に訪れ、それが看守長の前だったというだけの話だ。
一発叩きこんだことで、ある程度溜飲はさがったが、当然、そのおこないは看守長の怒りを突き動かす。
アーロンが開けた大穴を通って、帯のようなものが部屋へ突っこんできた。それはシュルシュルと意思を持ったような動きでアーロンの腕に巻きつく。身体を拘束したものがスカルミリオーネの長い髪の毛だと気づくまでに、少しの時間を要した。
「キサマ……看守長のワタシに逆らって、ただで済むと思うなよ!」
今まで束ねていた髪を振り乱し、スカルミリオーネは声を荒げた。次々にアーロンの四肢や腰へ長い髪が巻きつき、そのまま部屋から引きずりだす。
ハンマー投げの要領で髪を振りまわし、フロアの壁にアーロンの身体を打ちつけようとした。が、その寸前で、アーロンの手のひらから炎の一閃が撃ちだされる。扇状に拡散する炎は、髪の束を真ん中あたりで焼き切った。四肢に絡みついていた大量の髪の毛は瞬時に燃えあがり、硫黄のような刺激臭を辺りにまき散らす。
炎は切り離された髪だけではなく、スカルミリオーネの頭皮に向かって髪をつたい燃えあがった。
髪を自在に操れるようだが、火を消そうと振りまわしたところで、酸素という燃料を供給することにしかならない。圧倒的な毛量があだとなっていた。
このままでは火だるまになる。
それをスカルミリオーネも察したのだろう。
苦悶の表情を浮かべ、ギリと奥歯を噛みしめた。同時に、まだ炎が届いていない部分から、髪が自然に切り離される。まるで自切されたトカゲの尻尾のように、のたうつ髪の毛はあっというまに炎に包まれ燃え尽きた。
「このッ……囚人の分際でェ!」
スカルミリオーネが憤怒に染まった顔で叫んだ瞬間、アーロンはふたたび吐き気とふらつきといった不快感に襲われた。が、動けなくなるというほどではない。看守長室にやってくる前のグレイヴのほうが、まだ重症だった。
手のひらに炎の渦を作りだし、調子を確認する。魔導の発動には、問題なさそうだ。
相手がまだやる気なら、看守長といえど手は抜かない。むしろここで降参するほうが悪手という気がする。
たとえ今謝り倒したところで、相手をなだめることにはなりえないだろう。
そもそも、天地がひっくり返っても謝罪などするつもりはない。
心がそれを許さない。
フロアの隅や二階の廊下にほかの囚人たちが顔を覗かせ、白い内装をオレンジ色に染めあげていた。おそらく収容所で一番の新入りでありながら、現在最も注目を浴びている囚人になっている。どんどん隘路に踏みこんでいるような気がしてくるが、それよりもどうにでもなれという割り切った気持ちのほうが大きかった。
あとのことは未来の自分が考える。
そう、投げやりな思考に包まれはじめていたとき、
「看守長」
すっかりやる気になっているアーロンに水を差す、聞きなれた声が響いた。
「少しは頭を冷やすべきだ。これ以上醜態を晒したくないのならな」
ネイサン・ダンのその声色は、どこか嘲笑が滲んでいるようにも聞こえた。
それをスカルミリオーネも感じたのだろう。血走った目でネイサンを睨みつける。しばらくそのまま睨みあう状況がつづいたが、やがて視線をアーロンへとずらした。
「十六番! キサマの処遇は追って伝える!」
本来の半分以下の長さになった髪を振り乱し、フロア全体に響き渡るほどの怒号を飛ばす。
「この収容所の中で、二度と楽な生活ができると思うなよ」
吐き捨てるようにそう言い、スカルミリオーネは憤懣やるかたない様子で穴の開いた自室へと戻っていった。
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