スピンオフ ある夜の光景

「今日、教官室で隊長たちと話をしていたんだが、誰もいないはずだったのに書棚から綴りが落ちていてな。不思議だった」

 大通りにある小さなビストロ。仕事帰りの客で賑わう店内で、テーブルに着いたミルヴァスがぽつりとつぶやく。

「やだ……幽霊でも出たって言うんですか? 怖いこと言わないでください」

 答えたのは、フロースだ。いつも簪でまとめている髪を解き、カジュアルなワンピースを纏った彼女は、幾分幼く見える。

「いや、そういうことではないと思うが……」

 いつもの制服ではない、ダークグレーのスーツに似合わない手袋。それを外してテーブルに置いたミルヴァスは、物憂げに視線を伏せる。

「何かの前触れでなければいいのだがな」

「考えすぎですよ」

 フロースは柔和な笑みを浮かべてみせると、テーブルの上の小さなバスケットに入ったフォークを取り出して彼に手渡す。

「それよりほら、食べましょ? お料理冷めちゃいます。ここの魚料理、美味しいってミリカさん言ってましたよ」

 指し示すのは、燻製ニシンや酢漬け野菜のサラダ、チーズの乗ったパンなどが並ぶ皿だ。

「私よりミリカを誘った方が良かったんじゃないか?」

「3人でどうかって誘ったんですけど、ミル暇そうだから遊んであげて~って言われちゃって……」

「暇なわけではないんだが……ひどい言われようだな」

 呆れたように言ったミルヴァスが、サラダを口に運ぶ。

「もしかして、今日本当は何か予定ありましたか?」

「いや、特には」

「ならいいじゃないですか」

 フロースも、サラダを一口。「美味しい」と笑顔を浮かべた彼女は、メニューを広げて店員を呼ぶ。

「お酒、頼んじゃってもいいですか?」

 どうやら返事を待つ気はないらしい。ミルヴァスは特に気を悪くした様子もなく、「飲みすぎるんじゃないぞ」とだけ言ってパンに手を伸ばす。

 店員に愛想よく注文を言いつけたフロースは、腰まである髪を後ろに流してほくほくとした表情でスープカップに口をつけた。

「酒ばかり飲んでいると背が伸びないぞ」

 そんな彼女に、パンを飲み込んだミルヴァスが釘を刺した。ほくほく顔が一転。むくれた表情を浮かべたフロースは、フォークを彼に突き付けて言う。

「教官、毎回言ってますけど、私もう19ですよ? とっくに成人してます。子供扱いしないで欲しいです」

「子供のようなものだろう。その行儀の悪さなど特に」

 痛いところを突かれ、ぐっと言葉に詰まる。ほぐしたニシンの身を口に入れた彼女は、「子供はお酒飲まないでしょ……」と負け惜しみをこぼした。

「教官は? 飲まないんですか?」

「私はいい。酒はあまり好きじゃない」

 しれっと言うミルヴァスに、フロースの口角がニヤリと上がる。

「嘘。同期の皆さんとは時々飲んでるみたいじゃないですか」

「誰から聞いたんだ?」

「ラルス先生が言ってましたよ。ミルは下戸な上に酒癖が悪い〜って」

 弱点を見つけたと言わんばかりの得意げな顔で言う彼女に、ミルヴァスは淡々と告げる。

「あいつの話は半分嘘だと思っていい。まともに取り合う必要はない」

「半分……ってことは、下戸か酒癖が悪いかのどっちかは本当……むぐっ!」

 追撃を加えるフロースの口に、パンが押し込まれる。

「ところで、子供たちのカウンセリングはどうなんだ?」

「話題の変え方が露骨すぎますよ……」

 薄くスライスされたチーズパンをむぐむぐと咀嚼したフロースは、「これも美味しい」と笑顔を浮かべる。

「みんな、ちょっとずつ悩みつつ、何だかんだで上手くやってるみたいですよ。この間のケンカで一気に距離が近づいた感じですね」

 穏やかに話すその顔は、子供たちに向けているカウンセラーとしての『顔』だ。

「ルキオラには、カウンセリングはもういらないなんて言われちゃいました」

「まあ、あの子はあまり人に内面をさらけ出したいタイプではないからな」

 店員が運んできたアクアヴィットのグラスが、何故かミルヴァスの前に置かれる。

「だからこそたまにガス抜きをと思ってカウンセリングを頼んでいるが、余計だろうか」

 彼の前からグラスを受け取ったフロースは、中に入っている透明な液体を一口含んで「くぅっ」と顔をしかめた。

「そんなことはないと思いますよ。来たばっかりの時よりずっと喋るようになりましたし」

 グラスの中で、氷がカラリと音を立てる。フロースは指を組むと、遠くを見つめるような目をして語り出す。

「やっぱり、同い歳の子たちがそばにいるって、大事ですよね。大人がああだこうだ言うより、子供同士でケンカしながらでも関係を作るのが一番って思います」

 そんな彼女に「そうだな」と返したミルヴァスは、最後に残ったスープカップの中をスプーンでかき混ぜる。

「その点において……君には申し訳ないことをしてしまったな」

「またそれですか? 気にしてないって言ってるじゃないですか」

 グラスに口をつける。

「申し訳ないなんて、やめてください。私が今ここにいるのは、教官のおかげなんですから」

 テーブルにカタンとグラスを置いたフロースは、ミルヴァスに深々と頭を下げた。耳にかけていた栗色の髪が、さらりと落ちる。

「ありがとうございます。」

「……改まらなくていい。当然のことをしただけだ。」

 無表情に言ったミルヴァスだが、その視線は珍しく泳いでいた。それに気付いたフロースは、いたずらっぽく笑ってみせる。

「ありがとうを言われたら『どういたしまして』です。はい、どうぞ」

「どういたしまして」

「ふふっ、おかしい」

 口元に手をやり、軽やかな笑いがこぼれる。小さく可愛らしい唇がグラスに吸い寄せられて、また、カラリ――

「はぁー……仕事帰りのお酒は最高ですね」

 フロースは、薄紅く上気した頬で眉間に皺を寄せた。その顔を何となく眺めていたミルヴァスは、匙ですくったスープにそっと口をつける。

「美味そうな顔には見えないが?」

「味じゃありません。酔うことが重要なんです」

「ニアが聞いたら怒りそうだな」

 スープが冷めているのを確認し、今度は持ち上げたカップを傾ける。コクリと喉を鳴らしてスープを飲み干したミルヴァスは、ふぅ、と息をついた。

「何か、あったか?」

 問いかけられたフロースが、デザートのベリーをつまみ上げる。

「色々……ありますよね……」

「聞くだけならでき……」

 言いかけた言葉は、グラスを乱暴に置く音で遮られた。

「聞ーいてくださいよぉ! 」

 普段の様子からは想像もつかない、子供っぽい声音だ。慣れているのだろう。ミルヴァスは(始まった)と頭の中で呟き、彼女の話に耳を傾ける。

「あの人がね! まーた絡んでくるんですよ! 食事に行こうって! 何回も断ってるのに!」

 『あの人』と聞いたミルヴァスの脳裏に、癖の強い黒髪が思い浮かぶ。

「……一度くらい行ってやればいいだろ」

「嫌です! 何で私が行かなきゃならないんですか! 教官が行ってくださいよ!」

「逆に何故私が行かなければならないんだ……」

 ミルヴァスは困ったように言いながら、デザートの焼き菓子をさりげなくフロースの皿に載せた。

「無理だぞ。彼には嫌われているようだしな」

「分かってますよ! 」

 苛立たしげに言ったフロースは、焼き菓子を乱暴に口に入れる。

「悪い奴ではないと思う。行ってみれば案外話が合うかも……」

「いやいやいや、それ以前の話なので。ほんと無理なんです!」

「そこまでか……」

 引き気味のミルヴァスを尻目に、フロースは盛大なため息をついた。

「はぁ……めんどくさい……。私に嫌な思いさせる人みんなどっか行っちゃえばいいのに……」

「極端なことを言うな」

「教官はそんな風に思うことありませんか?」

 彼が思い出したのは、昼間のことだ。『手ぇ抜いたらぶっ殺だかんね』と言った女の顔がまざまざと浮かび上がる。

「まあ、ないことはない」

「でしょ? みんな、居心地のいい人とお酒飲んでお喋りして、なーんのストレスもなく一日が終わる生活になればいいんです」

「もしかしたら彼がその相手になるかもしれないぞ」

「やめてくださいよ……」

 ギロリと睨まれたミルヴァスは、指を組んでひとつ咳払いをした。

「確かに、君が言うような生活を万人が送れたら、世界は平和になるだろうな」

「でしょでしょ? 教官もこうして愚痴を聞かされることもなくなるし、良いことづくしじゃないですか」

「そうだな」

「ちょっと! 否定してくださいよ!」

「そんなことはない」

「適当! 」

「面倒だな……」

「悪かったですね!」

 頬を膨らませるフロースを見ながら、ミルヴァスは食後のコーヒーを手に取る。

「別に、君の愚痴聞きをストレスに感じたことはないが」

「はいはい、いいですよそんなに気を遣わなくて。ありがとうございます」

「どういたしまして」

「また適当! もう、そういうところですよ」

「……どうすればいいんだ」

 すっかり冷めたコーヒーを、口に含む。

「教官はぁ、そういう人いないんですかぁ?」

 指先で前髪をいじりながら、フロースは呂律の回らない口調で問う。

「大分酔ってきているな。水を飲め」

「いるのかいないのか聞いてるんですよぉ!」

「絡み酒は嫌われるぞ……」

 眉をひそめたミルヴァスは、近くを通った店員に水を持ってくるよう言いつけた。

「どうなんです? 」

「特別そういう相手はいない」

「なぁんだ、つまんないです」

「悪かったな」

 運ばれてきた水のグラスを、フロースに手渡す。惚けたような目をした彼女は、ぐいっとそれを飲み干した。

「なんか面白い話聞かせてくださいよぉ。色恋話とか、持ってないんですかぁ?」

「君とあの子の惚気話ならさっきから聞いてるぞ」

「怒りますよ!?」

「すまん」

 ミルヴァスは少し肩を竦め、コーヒーに口をつける。

「っとに……。キュンキュンするような楽しい話をしたいんです。何か聞かせてくださいよぉ」

「そういう話を私に要求するのがそもそも間違いだ。ミリカに聞け」

「困ったらミリカさんの名前出すのやめましょ? 」

 フロースの脳裏に、よく知ったそばかすが思い浮かぶ。以前彼女を自宅に招いた時、話の流れで好きな人がいると打ち明けてきた。普段あまり動じることのない彼女が顔を赤くしている姿が新鮮で、やけに印象に残っていたのだ。

「だぁって、ミリカさんに聞いても核心のとこは誤魔化して教えてくれないしぃ……」

「まあ……そうかもしれないな」

「ミリカさんの好きな人……教官は誰か知ってるんですか?」

 ミルヴァスは皿に1粒だけ残ったベリーを口に入れた。

「知っているが……言わないぞ。プライバシーだ」

「真面目ですか……」

「真面目だ」

 コーヒーのカップが空になる。

「夜も遅い。そろそろ帰ろう」

「えぇー、まだいいじゃないですかぁ……」

「深酒は仕事に差し支えるぞ。送っていく」

 立ち上がったミルヴァスのジャケットが、テーブル越しに掴まれる。

「もうちょっとだけ! 」

 どうやらかなり酔っているらしい。ジャケットを引っ張ってイヤイヤと首を振るフロースに、ミルヴァスはため息をつく。

「毎度毎度、その酒癖は何とかならないのか?」

「私の酒癖が何だって言うんですかぁ!」

――こうなると、もうダメである。

 彼は店員に目配せして会計を済ませ、フロースの椅子の背にかけられたコートを無理やり着せる。

 そして、コートの後ろ襟を掴み、彼女を強制的に立ち上がらせた。

「ちょっ……! 何す……やめてください!」

 ミルヴァスを押しのけようとするフロースだが、その手は覚束ない。子猫のように空振りを繰り返す彼女を自らの肩で支えると、ミルヴァスは「帰るぞ」と言って出入り口へと向かった。

 店を出てからも千鳥足でくだを巻き続けるフロースを適当にいなしながら、ミルヴァスは木枯らしの吹く大通りを歩く。

「……重くなったな」

「デリカシー!」

フロースの抗議の声が、夜の闇に溶けていった――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る