第29話 ステラステルス②
30分後。
「ほ、ほんとにやるのか……?」
情けない顔で言ったルキオラに、ステラがビシッと指を突きつけた。
『レディ ふくぬぐ ルキオラ そとに』
『ついでに みはり』
「分かったよ! ったく……!」
ルキオラが頭をかきながら教室の外に出ていく。ビビりのくせに、なんだかんだでこの子は付き合ってくれるのよね。そういうところは、割と嫌いじゃない。
ドアが閉まるのを見たステラは、ワンピースのボタンをひとつひとつ外しだした。
お出かけした時とは違う、パフスリーブの可愛いワンピース。手芸屋さんでセールの糸をたくさん見つけたお礼にって、アルデアが作ってくれたもの。ワンピースだけじゃなくて、髪飾りやスリップ、下履きなんかも一式作ってくれて、ステラ、すごく喜んでた。
パサッと足元に落ちたワンピースの輪からぴょんと外に出て、今度はスリップに手をかける。
「でも……本当に大丈夫かしら……」
正直不安よ。だって、今までこんな『悪い』こと、したことないもの。
「大丈夫だよ。信じよう。」
ワンピースを畳みながら、アルデアはわたしを励ましてくれる。
ステラの透明化が分かってから、わたしたちは色々実験してみた。分かったのは、ステラが一人で透明化できるのは3分が限界。わたしが魔力を流し込んで、15分――。
つまり、その時間内で全部終わらせなきゃならないってこと。
下履きを脱いで裸になったステラが、ノートに『じゅんび オッケー』と書き込んだ。
わたしはステラに指先を向けてマリオネッタを呼ぶ。体の中が熱くなって、ステラの胸にわたしの魔法紋が浮かび上がった。
「どう? 見える?」
まばたきを、ひとつ。
アルデアが机越しにわたしの顔を覗き込んでいるのが見える。この視界は、わたしじゃなくステラのもの。
ステラの目を借りてるわたしの本体は、何だか目がうつろで、どこも見てないみたい。感覚共有中はこういう感じに見えてるのね……。ちょっと怖い。
「ばっちりよ」
わたしが口を動かすのと同時に、机の上に広げたノートが近づいてきた。小さな手が鉛筆を動かす。
『じゃ いてくる』
ノートが離れていく。アルデアの「わ、全然見えなくなった!」って声が頭の上から聞こえて、教室の風景がぐるっと回る。ああ、いつもの決めポーズね。もう、見えてないのに……。本当にお調子者なんだから。
「じゃあ、アルデア、時計を見ておいてね」
「分かった!」
机から飛び降りたステラは、ものすごい速さで教室を出て、暗い倉庫や階段を駆け抜けていく。
「足音したけど、行ったのか? 」
「うん! 今向かってるみたいだよ」
「マジで見えねえんだな……」
ルキオラとアルデアが話しているのを聞いているうちに、ステラはあっという間に教官室の前まで来てた。ここに来るまでに何人か看護師さんや普通クラスの子たちとすれ違ったけど、誰もわたしに――ああ、違ったわ。ステラには気付かなかった。
「ついたわ……。誰かがドアを開けたタイミングで入れば……」
そこまで言った時、部屋の中から誰かの話し声が聞こえてきた。
「あ、来た!」
教官室の引き戸がガラガラと開いて、2人分の脚が目の前を横切る。
『いやだから、ワザとじゃないって言うちょるじゃろ?』
独特の訛った言葉に、飴玉みたいなきれいな声――ルスキニア教官ね。ゴツゴツした重そうな靴、履いてるのね。もう一人は、誰かしら。
『限度があんのよ! アンタこれで武器壊すの何回目よ!』
男の人の声なのに、女の人みたいな話し方。ステラが上を見ると、素焼きの鉢色の長い髪が見えて、あれ? この人って?
『そげん言われても仕方なかじゃ。ちょーーーーっと力ん加減間違えることくらい誰でもあるじゃろ?』
『アンタの場合はちょっとじゃ済まないから問題なのよ!』
『分かった分かった、気ぃ付けます。すんませーん』
『せめて反省したフリくらいしなさいよね! ムカつくわね!』
「え……? ん? ん?」
思わず、声が出ちゃった。自分の記憶が確かか自信がなくなってきて、頭を抱える。この人って、こんな人だっけ……。
「ウルラ、どうかしたの?」
アルデアの心配そうな声が聞こえて、ハッと我に返る。
「う、ううん。何でもないわ……」
「今、5分経ったよ」
いけない。集中しないと。
わたしが混乱してる間に、もうステラは教官室の中に入り込んでた。
「教官室に入ったわ。誰もいない。間取り図の置き場所を探してる」
一番大きな机の引き出し、壁際のキャビネット――色んなところを慎重に開けていく。けれど、それらしいものは見つからなかった。
窓辺にある大きなキャビネットを開けようとしたとき、咳払いの音がした。ヒッ、と声が出て、慌てて口を押さえる。
「どうしたんだよ?」
「だ、誰かいる!」
冷静になって考えると、わたしが口を塞いだって意味はない。わたしはステラを通じて教官室の中を見てるだけ。こっちから声を届けたりってことはできないんだから。
「……大丈夫。続けるわ」
ああ、恥ずかしい……。
『ですから、彼女自身はあのことと何の関係もないでしょう』
部屋の奥に置かれた衝立の向こうから、声が聞こえる。この声はミルヴァス教官かしら? なんだか、いつもより冷たい感じがする。
『そうは言ってもな。出自が出自である以上、猜疑的な目で見ざるを得ない部分はあるだろう。そこは君も理解していると思うが?』
低くて、よく通る声。この声は知らない。話をしている間に、早く探さないと。
音がしないようにそっとキャビネットを開けたステラは、中の綴りをゆっくりと目で追った。
『ですが……』
『アンタが何て言おうとカンケーないから。あの子のやることなすこと、全部あーしら調査部に報告する。これ命令だから。逆らったらどうなるか分かるよね?』
何か言おうとした教官を、女の人が遮る。この声も知らない。すごくキツい言い方。「あの子」って、誰のことかしら? 命令って?
『脅すような真似はよせ、副隊長』
副隊長? どうして調査部の副隊長が教官室に?
ステラが顔の前に何かを差し出してくる。ああ、いけない。集中しなきゃ。
差し出されたのは、『教育棟配置図』って書かれた綴りだった。
「間取り図、あったわ。今書き写すから……」
右目をステラとつなげたまま、左目で手元のノートを見る。綴りの中にある配置図を、なるべく正確に、素早く、写し取っていく。
感覚共有したままこういう作業をするのは慣れてる。入院中はいつもこうして授業を受けてたから。けど、緊張してるからかしら。体が熱い。
『とりあえず、スピカ・ウィルゴーの殺害及びルーナ・ヘロディアスの傷害事件についての現時点での報告はこんなところだ。また追加事項が出しだい……』
鉛筆を握ったまま、「えっ」と声が出た。
スピカって、アルデアのおばあさんの名前、よね? ヘロディアスも、あの子の姓。殺害? 傷害? どういうこと? 一体何の話をしているの?
「10分経ったよ。大丈夫?」
アルデアの声に、うまく言葉を返せなかった。
『ルーナ・ヘロディアスが目ぇ覚ましたら、そっちにも聴取しないとね。まあ、死んだらそれまでってことで』
『その言い方はやめてください!』
今までに聞いたことのない、教官の怒った声。
死んだら……? 死ぬって……どういうことだっけ……? アルデアの家族って……もしかして……。
「え……え……」
体が、宙に浮いたみたい。空気が薄い。ビリビリする。配置図を眺めていたステラが、よろめく。
分厚い綴りが床に落ちて、バサッと音が響いた。
『……誰かいんの?』
『皆授業に出払っているんじゃなかったか?』
どうしよう、こっちに注意が向いた――
「さ、さっきからどうしたのウルラ。大丈夫?」
ステラが自分の手を見る。見えたり、消えたり、透明化の効果が切れ始めてた。
「大丈……夫……」
いけない……わたしが魔力を乱したら、ステラの透明化が解けちゃう。集中……集中……!
『見てきます』
ミルヴァス教官が衝立の向こうで立ち上がるのが見えた。足音が近づいてくる。
「マリオネッタ……マリオネッタ……!」
車椅子の手すりを握りしめて、叫んだ。早くどうにかしなきゃ、そうじゃないと、ステラが……。
教官が衝立からこっちを見た瞬間、チカチカしてたステラの体がまた透明を取り戻した。シン、と静かな空気が降りてくる。
『……誰もいませんね』
『ネズミでも出たかな』
『うわっ、最悪なんだけど……』
何事もなかったみたいに、声が聞こえてくる。
『今日のところは戻る。報告の件、よろしく頼んだぞ』
『手ぇ抜いたらぶっ殺だかんね?』
『……分かりました』
ドアが開く音や2人分の靴音に混じって、カタカタと小さい足音が聞こえた。
扉が閉まり、教官室に静寂が降りる。
一人窓辺に佇んだミルヴァスは、舌打ちして大きくため息をついた。
「……クソが」
自分の机に向かって歩き出した彼は、キャビネットの前に一冊の綴りが開いたまま置かれているのを見た。拾い上げ、あたりを見回す。
「誰か、いたのか?」
――――
教室。
ステラを通しての『調査』を終えたウルラは、机に伏して荒い呼吸を繰り返していた。
(何とか……なった、かしら……)
ミルヴァスと話していた2人が教官室を出るのを追いかけて、ステラは扉へと走った。閉まる寸前、彼女は滑り込むように廊下へ出た。服を着ていない体は床の上を滑りすぎ、勢い余って壁に激突。そこで共有は切れてしまった。頭を打ったのか、ズキズキと痛む。
「ウルラ、汗びっしょりだよ……? 医療部に行った方が……」
アルデアが心配そうにウルラを見る。何か返さなくてはと思案した彼女であったが、口を開けば心臓が飛び出しそうで、何も言うことが出来なかった。
「師長、呼んでくるか?」
「う、ううん。大丈夫っ……大丈夫、だから」
ウルラがようやくそれだけ絞り出した時、コツコツと教室の扉がノックされる。
「戻ってきたみたいだね」
「開けるぞ。ぶつかんないように避けてろよ」
ルキオラがそっと開けた扉の隙間を、何かが通り抜けるのが気配がした。
机の上のスリップやワンピースがヒラヒラと動き、人の形になると同時にステラは姿を現す。彼女は机の上に四つん這いになり、すぐにノートに鉛筆を走らせ始めた。
『しゅうちゅう きれてた あぶなかった』
怒っているのか、その筆跡はいつもより荒々しい。
「ご、ごめんね……」
「間取り図、あれで全部なのか?」
ステラが服を着ている間、律儀に後ろを向いていたルキオラが尋ねる。ステラは先ほどよりかは幾分柔らかい筆跡で『ばっちぐー』と告げた。
「とりあえず、あのページに載ってた分は全部描き写したわ……多分、全部……」
「ルキオラ、こっち向いていいよ。ステラ着替え終わったから」
席に戻ったルキオラは、アルデアと一緒になってウルラのノートを覗き込む。
「すごかったね。ササササーッて、機械みたいだった」
「定規使ってないのに、何でこんなにまっすぐ線が引けんだ?」
2人が口々に漏らす感想に、『ウルラ ゆうしゅう』と書かれたノートが自慢げに突き付けられる。
「んで? 地下書庫の場所はどの辺なんだ?」
こちらを見るルキオラに、ウルラは「うん」と言って黙り込んでしまった。
「どうしたの? さっきから様子が変だよ?」
自分を見る緑の瞳に視線を返すことが出来ない。
「あの、アルデア……あの……えっと……」
喉の奥が、鉛を飲み込んだように、重い――。
教官室で聞いた話が頭の中をぐるぐると駆け巡り、胃の中から突き上げるような吐き気が襲ってきた。
「お、おい、どうしたんだよホント!」
両手で口元を押さえるウルラを見て、ルキオラが焦ったように声を上げた。
「ウルラ? 何かあったの? 大丈夫?」
えっ……えっ……とえずくウルラに代わって、ステラが文字をつづる。
『まりょくぎれ ぐあい わるい』
「ほんと!? 大変、医療部に……!」
慌てるアルデアに、ステラは『だいじょぶ』と書いて見せた。
『ステラ ついてく ウルラ いける ね』
ガラスの瞳がウルラを覗き込む。深呼吸したウルラは、口の端を無理やり引き上げた。
「うん、うん……! ごめんね。大丈夫だから。ちょっと横にならせてもらってくるわ」
「私も……」
言いかけたアルデアに、ステラが走り書きを見せる。
『ふたり ちかしょこの ばしょ みつけてて ステラから しゅくだい』
「心配してくれてありがとう。でも、本当に大丈夫だから……。」
ステラを膝の上に乗せたウルラは、車椅子をきしませながら教室を出た。
窓から見える空に、いつのまにか分厚い雲が立ち込めていた。廊下の空気はしんと冷えていて、汗をかいた体が急激に熱を失っていく。
タイヤに取り付けられた金属のハンドリムを動かしながら、廊下を医療部とは逆方向に進む。当然だ。本当に具合が悪いわけではないのだから。
ウルラは、教室の扉が見えなくなったところでその手を止めた。
彼女の顔を見上げるステラの頬に、ぽたりと涙が落ちる。
「ステラ……どうしよう……! わたし、わたし……!」
あふれる嗚咽を止めようと口元を押さえるが、指の隙間からくぐもった声が漏れる。
『ないては いけません レディ つよく かしこく』
涙で歪む視界に、小さなノートがそっと差し出された。
「無理……! だって……あんなこと、知らなかったんだもん!」
次から次へと、涙が頬を伝う。
思い出していたのは、アルデアの道具入れを壊した時のことだ。机の上に置き忘れてあった道具入れを、思い切り床に叩きつけた。散らばったかぎ針や、真っ二つに割れた透かし彫りの蓋を見て、ほんの一瞬だけ、いい気持ちがした。
仲良し家族の自慢話をされて、胸の奥が痛かった。だから、これくらいのことはしても仕方ない。そんなことを、あの時の自分は信じて疑わなかった。
だけど、だけど――
「わたし……何てこと……!」
全身を寒気に襲われて、震えが止まらない。
アルデアは何も言わなかった。スピカという人が既にこの世にいないのだと。ルーナという人が、生死を彷徨っているのだと。まるで、2人がまだノーシアの家にいるかのように、キラキラと、優しい思い出だけをただ『見せて』くれていただけだった。
あの日、リネン庫でぶつかり合って、あの子について分かった気になっていた。けれど、自分はあの子の傷について何一つ理解してなんかいなかった。
自分は、自分が思う以上にひどいことを、あの子にしてしまっていたのだ。許されることじゃない。許されていいことじゃない。
(わたしは、あの子を踏みにじった……。わたしなんかの脚を動かすために、あんなに必死になってくれるあの子を……)
渦巻く後悔と罪悪感に、ウルラの胸はつぶれそうだった。
ステラは、蹲って嗚咽する彼女の髪をなでると、ゆっくりと文字をつづり始めた。鼻をすすり、しゃくりあげる息遣いと、鉛筆の滑る音だけが、静かな廊下に響く。
やがて差し出された言葉に、ウルラは小さな子供のように声を上げて泣き出した。
『だいじょぶ ステラ きょうはん ひとりじゃない』
『なみだ ふいたら きょうしつ もどる もどれる ね』
風の音がした。吹き上げられた枯れ葉が窓ガラスにぶつかり、からりと乾いた音がした。
登場キャラクター達による
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