第25話 絡まり②

 飛行訓練の授業を終えたアルデアとウルラは、制服に着替えて食堂に来ていた。

「さっきは本当にもうダメかと思ったよ……」

 箒から落ちる瞬間の浮遊感が、まだ体に残っている。落ち着きなく手いじりをするアルデアに、ウルラが同情するように言った。

「大変だったみたいね……」

「まさかあんなに飛ぶと思わなかった。ルキオラにも危ない思いさせちゃって……」

 鮮やかなオレンジの人参が、プス、プスとフォークでつつき回され、穴だらけになっていく。

「ちゃんと謝れなかったな……」

 ため息が、漏れる。

「ルキオラは今どこに?」

 アルデアは自分たちがいる席から大分離れたテーブルの方を示した。

「今日はあっちでご飯食べてる。この間のこともあったし……なんだか誘いづらくて……」

「……そっか……」

 沈鬱な顔のウルラを見上げ、ステラは何か考え込むように腕組みをする。

「ウルラはどうだった? 教官、猛スピードで飛んで行ったからびっくりしちゃったよ」

 重く降りかかる空気を払うように、アルデアは明るい口調で問うてみた。

「ミルヴァス教官が箒に乗ってきたところは覚えてるわ。でも、その後は……体がグラグラして、周りの景色がびゅんびゅん飛んでいって……気付いたら全部終わってたの……」

 アルデアとルキオラを地面に降ろした後、ミルヴァスは腕の中で気絶したままのウルラを医療部に運び込んだ。

 珍しくアズキもラルスも不在の処置室。ウルラをベッドに寝かせたフロースが「加減ってものを知らないんですか!」と声を荒らげる中、彼は「すまん」とだけ言って悠々と手袋をはめ直していた。

「すぐに目が覚めて良かったよ」

「それにしても、教官はすごいね。ウルラのこと抱っこして箒も2本持って、手放しで箒に乗ってたんだよ」

「抱っこなんて……! やめて、そんな……は、恥ずかしいから……!」

 ウルラは真っ赤になった両頬を隠すように手をやる。

「どうして赤くなってるの?」

「何でもないわ!」

 ふくれっ面で顔を背けるウルラを、ステラが下からわざとらしく覗き込む。

「あれ……そういえば……」

 2人の様子をぼんやりと見ていたアルデアは、ふとさっきのことを思い出す。

「どうしたの?」

「教官、手首に傷があったなと思って。どこかで怪我しちゃったのかな……」

「え? あれは……」

 スプーンを口に運ぼうとしていたウルラが、驚いたように顔を上げる。

「知ってるの?」

「知らないの? あれは……」

 言いよどみ、シチューの更に視線を落とすウルラ。彼女が何か言おうと口を開いた瞬間、アルデアは「あ!」と声を上げた。

「どうしたの?」

 顔を上げたウルラに、アルデアは向こうの方を指さす。

「ミコがまたルキオラのところに!」

 そちらを見たウルラは、少しだけ眉を顰める。

「ほんとだわ。また嫌なこと言うつもりかしら」

 ステラがパンチをするように両腕を前に繰り出す。勢いよく立ち上がったアルデアは、「ちょっと行ってくる!」と2人がいる方へ歩き始めた。

「あ、待って!」

 後を追うウルラの車椅子が、軋む。

 

 ――――


 一人昼食をとるルキオラのところへやってきたミコは、いつもの見下したような表情で彼を見下ろしていた。

「あれあれ? ワケありクラスのルキオラくん、今日はひとりぼっちなんだね。何? あの子たちともう喧嘩したの?」

 付け合わせの人参をフォークで突き刺したルキオラは、彼女と目も合わせず「関係ねえだろ」とだけ言って食事を続けようとする。

「やだぁ、怖いんだけど……」

 そんな彼の顔を覗き込む、シトリンの瞳――。

「もしかしてまた暴力沙汰?」

「だから関係ねえだろ!」

 囁くように言ったミコにルキオラが声を荒らげたとき、2人の背後から明るい声が響く。

「ミーコ! また絡んでるの?」

 腰に手を当てて立っていたのは、ミリカだ。

「絡んでません! お話してるだけです!」

 すねたように頬を膨らませたミコの手を、ミリカはがっしりと掴む。

「じゃあ私ともお話しようよ! ちょーっとこっちおいで」

「え、ちょっと、何ですか……?」

 ミコがいざなわれたのは、食堂の片隅にある、太い柱の影だ。

 彼女が自分をここへ連れてきた意図が分からず、ミコはあたりを見渡す。日当たりの悪いそこは昼間だというのに薄暗く、テーブルのある方からは完全に死角になっている。

「あの、な、何なんですか……?」

 向こうを向いたままのミリカの背中に声をかけるが、彼女は黙ったままそこに立っているだけだ。

「離して、くれません……?」

 自分の手首を掴む彼女の手に視線を落とす。筋張った手。腕まくりをしたブラウスから覗く白い腕には、油跳ねによるものだろうか、ところどころに小さな火傷痕が残っていた。

(この人、こんなに手が大きかったんだ……。)

「ねえ、ミコ」

 不意に聞こえた声に顔を上げ、息を飲む。

「教えてほしいんだけど」

 ミコの眼前に迫っていたのは、さらりとしたプラチナブロンドの前髪。そして、沼の底のような、目――。

「キャッ!」 

 思わず身をのけぞらせる。ぱっちりとしたムーンスト―ンの瞳も、そばかすも、いつも通りそこにあるのに、まるで違う。彼女がまとっているはずの温度が、まるで感じられない。

「どうか、した?」

 いつも笑みをたたえている口元が機械的に動き、ぐらりと、首をかしげる。耳にかけた髪が落ち、微かに柑橘が香る。

「あ、あの……あの……」

 後ずさろうとして、柱に行く手を阻まれる。掴まれた手首から体温が奪われていくような錯覚が、ミコを支配していた。

「あなたがいつも言ってる『ワケありクラス』ってさ、誰から聞いたの?」

 この人から出ているとは思えない、低い声だ。ぞわりと、背筋が粟立つ。

 カラカラになった喉から、かろうじて「え……」とだけ絞り出したミコに、ミリカは続ける。

「誰から聞いたのかって、聞いてんの」

 その場から逃げることもできず、光のない目から視線を外すこともできず、ミコはただ体を硬直させることしかできなかった。

「ルクスがそういうクラスだって、吹き込んだ人がいるんだよね? じゃなきゃそんな絡み方するはずないもん」

「そ、それは……」

 いつの間にかミリカの肩に乗っていたゼラチンが全員を毛羽立て、プルルルル……と威嚇の声を上げる。静かな圧に耐えられず、ミコは額に冷や汗を滲ませる。

「言えなきゃ別にいいよ。あたしが自分で調べるから」

 ミリカは掴んでいたミコの手を放し、肩のゼラチンを、ひと撫で。

「『ワケあり』って気軽に言ってるけどさ、その一言が人をどれだけ傷つけるか、分かる?」

 解放された手首に、まだ手の感触が残っている気がして、思わず手をやる。

「ねえ、分かるかって、聞いてるよ」

 鋭い視線が突き刺さる。ミコは反射的に気を付けをしてミリカに向き直る。

「は、はい……! 分かります……」

「分かってる子は言わないはずだよ」

 ミリカはミコに視線を合わせるように身をかがめると、汗で額に貼り付いた前髪をそっと指で払う。

「一回さ、周り見なよ。みんなあなたのことどんな目で見てるか、知った方がいいよ」

 憐れむような表情。そんなわけはないのに、食堂中の視線が自分一人に集まっているような気がして、ミコはキョロキョロと視線を泳がせる。

「そのサムくてイタいノリ、あたしはとっても見てらんないんだ」

 艶のある、薄い唇が、アルカイックな笑みを形作る。

「食事は、美味しく、楽しく。ね? あたしの言ってること、分かってもらえるかな? どう?」

 ミコを覗く目は、やはり沼の底にようにどろりとしていた。

「ご、ごめん……なさい……」

 うつむいて言葉を紡いだミコに、ミリカはすかさず言葉をかぶせる。

「謝らないといけないのはあたしじゃなくて?」

「ルクスの……3人、です……」

「いつ謝る?」

「すぐ、すぐ謝ります……。もう言いません……。ほんと、ごめんなさい……」

 ミコの言葉を聞いたミリカは、それまでの無表情が嘘のようににっこり笑って見せる。

「それが聞けて良かった!」


 ――――


 ルキオラとミコの方へ歩き出していたアルデア達は、柱の陰から出てきたミコがルキオラに何か言っているのを見た。焦った様子で彼に頭を下げたミコはあたりをキョロキョロと見渡すと、2人の方に駆け寄ってくる。

「何か用?」

 あからさまに眉をひそめたウルラが不機嫌そうに問う。しかしそんなウルラの態度など意に反さず、ミコは2人に向かっても深々と頭を下げた。

「その、ご、ごめん、なさい」

「ミコ、ど、どうしたの? 顔が真っ青だよ?」

 突然のことに戸惑ったアルデアは、ウルラと顔を見合わせる。

「あの……も、もう、ワケありって、い、言わないから……!」

「よしよし、ちゃんと言えたね」

 不意に降ってきた、明るい声。

「ミコ、ひどいこと言ったの、反省してるんだって」

 下げたままのミコの頭にポンと手を置いたのは、ミリカだ。

 「どう? 2人とも、許してあげられる?」

 いつもトレイを運んできてくれる白い手が、ポン、ポン、とリズムを刻むようにミコの頭に触れる。どうしてだろう。アルデアは少しだけ周りの気温が下がったような気がした。

「わ、私たちは……別に。ね? ウルラ」

「うん……。ちょっとイタい子なのかなって思ってただけだし……」

「イ、イタい!?」

 顔面蒼白なミコが顔を上げる。

「よかったねミコ!」

 ミリカがどんな顔をしてミコにそう言ったのか、アルデアからは見ることができない。

 怯えたような顔をしたミコは、踵を返して逃げるように食堂を後にした。

「さ、2人ともご飯途中でしょ? しっかり食べて午後の授業もファイトだよ!」

 笑顔でこちらを振り返ったのは、いつものミリカだった。

「ルキオラも、せっかく2人が来たんだから一緒に食べたら?」

「オレ、もう食い終わったんで。ごちそうさまっす」 

 空になったトレイを抱えたルキオラは、2人の横を無言で通り抜ける。

「ああ、ルキオラ」

 おずおずと声をかけたアルデアに目も合わせず、彼は「何だよ」とぶっきらぼうに言う。

「あ……あの……ミコが……いたから……。また嫌なこと、言われてないかなって……」

「余計なお世話なんだよ」

 冷たい声音だ。カウンターにトレイを戻したルキオラは、早足で食堂を出て行ってしまった。

「行っちゃった……」

「なんか複雑な感じだね。喧嘩でもした?」

 首をかしげるミリカに、アルデアもウルラも、何も言うことができなかった――。


登場キャラクター達による

ゆる~いボイスドラマ風スピンオフ短編集

『木漏れ日の日常譚』も更新中!

https://kakuyomu.jp/works/16816927859225434319

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