第26話 夢を聞かせて①
早朝。鶏の鳴き声で目が覚めたアルデアは、ベッドの上にむくりと体を起こした。
「トイレ……」
少し寒い空気の中、部屋を出たアルデアは廊下を歩く。
あたたかい布団の中から抜け出した反動で、背中がびりびりと寒気を帯びる。
「……もうすぐ、冬なんだなぁ」
薄くかかった靄の中、遠くに見える山が紅葉で赤く色づいているのが見えた。
(ああいう色のカーディガンが欲しいな。あったかいやつ。)
ぼんやりと考え、あくびをしながら階段を下りる。
彼女が裏庭に面した廊下に差し掛かった時、鋭い打撃音が響いた。
「ん……? 何だろう」
開けっ放しになった非常出入口から外を見る。
木や草が生い茂る裏庭に、あの大きな鶏と、黒い訓練着に身を包んだ誰かの影が見えた。踊っているかのように体を繰ったその人は、地面に据え付けられた的に向かって鋭い蹴りを何発も打ち込んでいる。
「すごい……」
力強いのにどこか優雅な蹴り技に見とれたアルデアは、思わず出入口から一歩踏み出した。扉と地面の境にかけられた鉄板がガタリと音を立て、こちらを見た鶏がコケッと立ち上がる。
(つ、つつかれる……! )
反射的に逃げ出そうとしたアルデアを見た鶏は、羽を広げて身震いする。その様子を見た人影は、アルデアの方を振り返った。
「セ、セダムさん……!?」
驚いたアルデアに、セダムは「おはよう」と手話で挨拶をした。そして、傍らの台に置いてあったソノリスを手に取ると、画面に指を滑らせながらアルデアの方に向かって歩いてくる。
『今日はずいぶん早起きさんね』
革の髪紐をほどき、ゆるゆると首を振ったセダムの首筋に、黒髪が流れる。
「セダムさん、すごく強いんですね! びっくりしちゃいました!」
『見られちゃった』
興奮してまくしたてるアルデアに、セダムはおどけたように舌を出して見せる。
「いつも、やってるんですか?」
『日課なの。体が鈍らないように』
「すごいですね……!」
柔らかく目を細めたセダムは、ほのかに上気した頬を手であおぎながら、ふぅっと息をつく。
『汗まみれで、恥ずかしい』
腰のところに挟んでいたタオルを取ろうとして、地面に落ちた。それを取ろうと身をかがめたセダムの背中に、朝日が当たる。
「あ……この服も……」
『どうかした? 』
軽く振るったタオルで額の汗をそっと押さえたセダムが、怪訝そうに首をかしげる。
「セダムさんの服、いつも肩のところが毛羽立ってますね? 何か背負ったりしてるんですか?」
驚いたように見開かれた瞳に、仄かな青色が走る。
(あ、また……。)
その光は、寄宿舎に来たばかりの頃に見た、水面の揺らぎのようで――
『それを言われたのは初めて』
「私、人が着てる服を観察するの、癖なんです。セダムさんの服、いつもきれいにアイロンがかけてあるのに、どうしてなのかなって」
『よく、見てる』
セダムが言った瞬間、「コケコッコー」と雄叫びが響く。
アルデアがびくりとしてそちらを見ると、先ほどまで少し離れたところにいた鶏が、こちらに向かってのそのそと走ってきていた。セダムの足元をぐるぐる回った鶏は、大きな羽音を響かせて彼女の背中に飛びつく。
「わっ! だ、大丈夫ですか!?」
慌てるアルデアだが、セダムは鶏が肩に乗ったまま、ただ静かに頷いてみせた。
『この子の、特等席なの』
セダムの頭よりも大きい鶏は、かなり重いはずだ。
真っ白な羽毛に覆われた立派な足が、がっしりと肩に爪を食い込ませている。
それなのに、彼女は姿勢を崩すことなく凛とその場に立っていた。
「と、特等席!? その鶏ってまさか……」
ウェーブのかかった黒髪に、白い羽毛がふわりと絡みつく。
『この子は、ハッピー。私の使い魔』
それを聞いて、すべてのことに納得がいった。
「やっぱり、セダムさんも、ウィザードだったんですね……」
(あの鶏、ハッピーって名前だったんだ……。)
――正直、セダムの正体もだが、鶏の名前が『ハッピー』だったことの衝撃の方が大きかった。
『今は、違う。私は準ウィザード』
セダムの指が、ソノリスの上を滑る。
「アズキさんも言ってましたね。その、『準』って、どういうことなんですか?」
確か、アズキは魔法が使えないと言っていた。ひょっとするとセダムもそうなのだろうか。
セダムは唇に手をやって少し考えると、ソノリスを置いて手話で話し出した。
「私のジェムは『ブレッサ』といって、口に出した言葉を現実にできるの」
アルデアがついてこられるよう、節くれだった指がゆっくりと動く。
「え……それってすごいんじゃ……!」
「そうね。だけど、現実にする事象が大きいほど、体に負担がかかってしまうの」
セダムの肩に乗ったハッピーが、卵でも温めるかのように彼女の頭に腰を下ろす。
「もしかして、声……」
「……昔少し、無茶をしてね。それで。私は共鳴者だけど、魔法が使えないの」
目を閉じたセダムは、後ろから押し付けられているふわふわとした羽毛の感触を楽しむように、頬ずりをする。
「だから、『準』……ってこと、ですか……?」
「そういうこと」
彼女の軽やかな指さばきとは裏腹に、アルデアの心にはぬかるみのような切なさがまとわりつく。
「……辛くなかったですか?」
「最初は、そりゃ。でも、たくさんの人を助けられたから。結果オーライって今は思ってる。寄宿舎でみんなのお世話をするのも楽しいしね」
早朝の冷たい風が、2人の髪と1羽の羽毛を揺らす。
「すごいですね。私だったら、そんな風に前向きになれないかも……」
「もう、16年だからね。時間が薬になってくれたのよ」
(あれ、まただ……。)
16年、その言葉がアルデアに思い出させたのは、先日サビアと中庭に行ったときのことだ。
『どエライ怪我をして……』『おふくろが死んじゃって……』『フロマークで……』『あたしもヤバかったんだけど……』
彼女が話していた断片が、少しずつ頭に戻ってくる。
(16年前、何が……)
アルデアが口を開きかけたその時、セダムの肩の上でハッピーがすっくと立ちあがり、羽を震わせる。
くちばしが示す先を見たアルデアは、廊下沿いの窓枠を歩く小さな影――
「あれ、ステラ」
アルデアにつられるように、セダムがそちらを見る。
「最近毎朝ロビーに来て文字を練習してるのよ。ウルラが起きるとちゃんと部屋に戻るの。お利口よね」
「そうなんですか? ステラ、頑張ってるんだ」
「どうして文字の勉強を?」
「セダムさんがしてるみたいに、文字でお話ができたら素敵だなって思ってすすめてみたんです。こんなに夢中になるなんて思わなかったけど」
それを聞いたセダムは、少しだけ驚いたような顔をしてアルデアを見ていた。そして――
「仲間が増えたってことね。嬉しい。ありがとう」
羽ばたいたハッピーの白い羽毛が、朝日の中をふわりと舞う。アルデアの目に映ったセダムは、なんだか力の抜けたような笑みを浮かべていた。
――――
セダムと別れ、朝食を済ませた後。アルデアは、玄関で会ったウルラと並んで歩きながら話に花を咲かせていた。
「寒い時に着る羽織物を作りたいんだよね。どんなのがいいと思う? やっぱりニットのカーディガンがいいかなぁ」
「え、カーディガンって、自分で作れるの?」
驚いたような視線を向けるウルラに、アルデアは得意になって告げる。
「私、仕立て屋の娘だからね!」
「すごいわね……。わたし、そういうのやったことない」
「そうなの? すごく楽しいよ」
2人の間をすり抜けていった秋風が、アルデアのスカートを、ウルラの金髪を、揺らす。
「ここに来る前は、お母さんとおばあちゃんがやってるブティックを受け継ぐ約束をしてたんだ。未来の店長さんって……」
意気揚々と語りだした言葉は、煮え切らずに地面へ落ちる。思い出したのは、魔法機関に来た時にミルヴァスから言われた言葉だ。
『泣いていても家族は帰らないし、これまでの生活も戻ってはこない。』
心の中に広がる、重苦しい苦さ――。だが、それをぐっと飲み下した彼女は、それまで通りの明るさで言葉を続ける。
「この先は……どうなるか分からないけど、職人になって自分のお店を持つのがずっと夢なんだ」
アルデアの言葉を聞いたウルラは、「夢……ね」と呟いて自分の脚に視線を落とす。
「ウルラの夢はある?」
風にあおられた長い前髪が、白い頬を撫でる。
「……聞いてどうするの?」
「手伝えることがあれば手伝いたいと思って」
「無理よ……。だってわたし、こんな脚だし……」
「分からないよ。ウルラ1人で難しくても、2人なら出来るかもしれないし」
アルデアはウルラに向かって笑顔を浮かべる。
「だから、教えて欲しいな」
ウルラは戸惑ったように黙り込み、膝の上のステラが彼女の顔をそっと覗き込む。
「わたしの……夢……」
その唇が答えを紡ぐ前に、2人は学校の入口の前にたどり着いていた。
「ああ、ついちゃったわね」
「開けるね。ちょっと後ろ下がれる?」
アルデアが扉を開けると、そこには見慣れたツンツン頭。
思わず「ルキオラ」と呼びかけた彼女であったが、ルキオラは2人の方をちらりと振り返っただけで、何も言わずにその場から歩き去ってしまった。
ウルラの膝の上のステラがワタワタと手を動かし、それを見たウルラは沈んだ表情で俯く。
(やっぱり怒ってるよね……。後でちゃんとお話しなきゃ。)
去っていく彼の背中を黙って見送りながら、アルデアは唇を噛んだ。
――――
終業の鐘が鳴り、午後の授業が終わる。ミルヴァスは、宿題として今日やった内容を復習してくるよう3人に告げ、生物学のテキストを閉じた。
そしてウルラを指名した彼は、車椅子を押して教室を出て行く。
下を向くウルラの膝の上でやたら陽気に手を振るステラを、アルデアは黙って見送った。
(なんだかステラ、嬉しそうだな……)
しんとした空気の降りる教室。タルシアを抱えて帰ろうとするルキオラに、彼女は意を決して声をかけた。
「……ねえ、ルキオラ。この間はごめんね。危ない目に合わせて……」
ぴたりと、ルキオラの動きが止まる。
「それと……私、ルキオラのこと誤解してたかもって……」
かすれる声。座った膝の上、広がるスカートの生地を指先で弄ぶ。
ルキオラはアルデアの方を見ないまま、「もういい」とだけ告げた。
「どういう意味?」
「だから、もういいって」
視線を避けるように出入口に向かう彼を、アルデアは早足で追いかける。
「ねえ待って、ちゃんと話そうよ」
「頼むから……もうほっといてくれ」
袖を掴むアルデアの手を振りほどいて、ルキオラは走り去ってしまった。
(また……お話できなかった……。)
廊下に一人取り残されたアルデアは、置き去りのタルシアを取りにとぼとぼと教室に戻る。
(どうすれば仲直り出来るんだろう……。)
振り払われた手の感触が、まだ残っている。何故だろう。自分から逃げていくルキオラが、ひどく悲し気な顔をしているように彼女には見えた。
タルシアを抱え、ため息をついて日のさす廊下を歩き出す。ぐるぐると考え事をしながら歩く廊下は、やけに長い。
登場キャラクター達による
ゆる~いボイスドラマ風スピンオフ短編集
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