第31話 地下書庫-2 ①

 草を踏む音と携行灯の光が、枯れ葉に埋もれた2人の脇で止まる。

「まあ、落ち葉がこんなに……」

 聞こえてきたのは、セネシアの声だ。雲で隠れていた月が姿を現し、凛、と背筋を伸ばした輪郭が浮かび上がった。

 月を背負ったその表情は窺い知ることができない。だが、そこに立っているだけで空気が張り詰めるような、そんな威圧感があった。

「後で片付けをお願いしなければ」

 ひとりごちた声は、淡々としている。

 セネシアは携行灯を手にしたまましばらくじっとその場に立っていた。

 風が吹いて、枯葉が肌の上を、滑る。

「……やはり、気のせいだったのかしら」

 息をつめる2人。枯葉の隙間を携行灯の光が通り過ぎて、セネシアは建物の方へと歩いていった。

 枯葉の中で身を寄せたまま、2人はしばらく動けなかった――

「い、行ったか……?」

 ルキオラが小さく呟き、口元を押さえられたままのアルデアが彼の手を引きはがす。

「みたいだね……」

 顔を見合わせた2人は、はぁー……と気の抜けた息を漏らした。

「ヤバかった……今のはマジで……ヤバかった……」

 ガサリ。体を起こしたルキオラが、まとわりつく枯葉を乱暴に払いのける。

「見つかったかと思ったよ……」

 アルデアが心臓を鎮めようと胸を押さえた時、胸ポケットに入れていたソノリスが微かに振動しているのに気付いた。画面を見ると、緑の魔法紋が浮かび上がる。

『2人とも大丈夫?』

 聞こえてきたのは、ウルラの声だ。

「……なんとか。そっちはどう?」

『それらしいのを見つけたわ。書き写してるんだけど、手元が暗くて……』

 声の後ろで、ガタっと音が聞こえた。扉が開くような音だ。

『あ、セ、セダム、さん……! えと……ちょっと勉強してて……。はい』

『お風呂? わ、分かりました。終わったら、行きますから……。な、何でもないです!』

 ソノリス越しでも、焦っているのが伝わってくる。アルデアが声をかけようとした時、ウルラがひそめた大声でまくしたてる。

『大変! 一瞬集中が切れた! 金魚がみんなこっちを見てる!』

 通信を聞いていたルキオラが慌てて立ち上がった。点け直した携行灯が枯葉の上に滑り落ちる。

「早く引き上げろ!」

「わ、分かった!」


――――


 同じ頃、廊下を歩いていたセネシアがハッとしたように振り向く。

「やはり……何かが入り込んでいる」

 カツン、とローヒールの靴が床を打つ。踵を返した彼女は、初等部の方へ早足で歩き出した。


――――


『急いで! 透明化し直したけど、金魚たちがステラを探してるわ! 』

 ウルラの焦った声が響き、アルデアはステラにつながった魔糸を慌てて引っ張り上げる。

 迷彩が切れかけているのだろう。覗き込んだ穴の中、下から押し寄せる金魚たちの光で、小さな人影が照らし出されているのが見える。チカチカと明滅するステラに向かって、金魚たちは猛スピードで突進してきていた。

 アルデアが入学の儀の時に見たような優美さはどこにもなく、ヒレを翻す金魚たちの姿はもはや化け物だった。

 あれに捕まってしまったらどうなるのか……考えるだけでも鳥肌が立つ。

 必死になって魔糸を手繰り寄せるアルデアの耳に、何か音が聞こえた。

 重いものを引きずって動かすような、低い音だ。

「何か音が……」

 ギィ……と扉の開く音がして、アルデアの気がそちらへ一瞬逸れる。

『アルデア!』

 声と共に、指先にプツン、とした感触があった。彼女が下を見ると、自分とステラを繋いでいるはずの糸が、なかった。先回りしていた金魚に噛み千切られてしまったようだった。

 ステラが下に落ちていくのが、やけにゆっくりに見える。眩く光る金魚たちが、口をパクパクさせながらステラに迫ってくる。

「ど、どうしよう! 切られた!」

「ったく!」

 ルキオラがアルデアを押しのける。その手から伸びた蔓のようなものが、落ちかけたステラの体を絡め取る。

 すんでのところだった――ステラを蔓で引き上げたルキオラが格子を閉めた瞬間、布越しに金魚たちが体当たりを食らわしてくるバラバラという音が響いた。

「糸持って走れ!」

 聞こえてきたルキオラの声に、反射的に体が動く。魔糸の糸玉を抱えたアルデアは、ステラを抱きかかえたルキオラの後ろを全速力で追いかけた。


――――


 コツコツとヒールを鳴らし、階段を下りたセネシアは書庫の扉を開く。中に足を踏み入れた彼女の周りに集まるのは、光の金魚たち。

 まるで何かを報告するかのように彼女の周りを舞う金魚たちに、セネシアは低く「そうですか……」と言葉を返す。

 部屋の中を見渡したセネシアに、一匹の金魚がふわりと何かを落としてきた。髪の毛のような、絹糸のようなそれは――

「これは……糸?」


――――


 寄宿舎。息を切らせたアルデア、ルキオラはウルラの部屋の窓辺に集合していた。

「っはー! ど、どうなるかと……思っ……」

 言葉もままならず、座り込んだアルデアを見たルキオラは、がくがくと膝を笑わせながら言う。

「お、おい。まだ部屋まで戻んなきゃ、なんない、んだ……ぞ……」

 そんな2人を見たステラは、ノートにちょこちょこと鉛筆を走らせた。

『ふたりとも がんばた』

 裸のまま、ガッツポーズ。いつもなら必ずルキオラに後ろを向かせるのに、もう気にしないことにしたらしい。

「ごめんね……わたしだけ何も出来なくて……」

 窓から顔を出したウルラが、しょんぼりと下を向く。

「そんなことないって! ウルラとステラは2人で1つなんだから」

 息を落ち着けたアルデアは、ブラウスの胸元をパタパタと動かして火照った体を冷ます。

 その隣で芝生の上に胡坐をかいたルキオラは、額の汗を手で拭いながら尋ねる。

「んで? 見つけたってのはどんなだったんだ?」

「それなんだけど、セダムさんが今ならお風呂のお手伝いできるって言うから、それからでもいい? さっき勉強が終わったら行くって言っちゃって……」

 気まずそうなウルラに、アルデアはにっこりと笑ってみせる。

「大丈夫だよ。その間に中に入るから。私もお風呂入りたいし」

「だな。オレもちょっと休憩したい……」

 3人の後ろで、ノックの音がした。「今行きます!」と声を上げたウルラは、2人にひそめた声で言った。

「じゃあ、後でロビーでね」

 窓とカーテンが閉まり、月がぼんやりと明かりを落とす。ステラもいなくなって、急に訪れた静寂。2人の間には、何となく気まずい空気が流れた。

「……戻ろっか」

「おう……」

 ウルラがこっそり鍵を開けておいてくれた玄関から中に入った2人は、「じゃ、また」「うん。また」とだけ言葉を交わし、それぞれの部屋へ戻った。


――――


 30分後、浴場で汗を流したアルデアは、ベッドの上でゴロゴロと転がりながら枕を抱きしめていた。

「……どうしよ。まだドキドキしてる」

 さっきまで体を包んでいた緊張感が抜けない。髪の毛からベッドに這い出してきたピコットが、ピロピロと舌を出しながらアルデアをじっと見つめている。

「ピコット……私たち、やっちゃったよ……。どうしよ、今日、眠れないかも……」

 目をぱちくりさせるピコットに、アルデアは一方的にまくしたてる。

「ふぁー……どうしよ……」

 興奮に一滴だけ混ざる、眠気。あくびがこぼれた。

「でも、これでウルラが歩けるようになったら、全部OKだよね!」

 ひとりごちたアルデアは、仰向けになって天井を見る。

 木目を目で追いかけているうちに、ふとさっきのことを思い出す。

(……そういえば……ルキオラの魔法、見たの初めてだったな。)

――あれは、何の魔法なのだろうか。

 突然降ってきた大量の枯葉、ステラを引っ張り上げた何か蔓のようなもの――確か彼は『シーディー』と唱えていた。

(ロビーに行ったらちゃんと聞いてみよう)

 『シーディー』と唱えた声が耳に蘇り、彼女は芋づる式に色々と思い出した。

 枯葉の中で自分に覆いかぶさった彼の体温、息遣い、ふわりと鼻をついた金木犀のような香り、そして、間近で見たアメジストの瞳――

 思い出せば思い出すほど、何とも言えない気持ちが胸の中を支配して、顔が熱くなる。唇を噛んだアルデアは枕に顔をうずめて叫んだ。

「もう! 知らない! 知らないから!」

 ピコットが、ひょこりと首を傾げた。



登場キャラクター達による

ゆる~いボイスドラマ風スピンオフ短編集

『木漏れ日の日常譚』も更新中!

https://kakuyomu.jp/works/16816927859225434319

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