第一章 魂の器⑨
「そろそろだな」
夕暮れ時。王都から少し離れた、いわゆる郊外にあるこの場所は、周囲に人工的な明かりがない。
太陽の光だけが明かりの頼りで、そしてそれはもうすぐその効果を失うだろう。
「ハーブティー、用意しておきますね」
「ああ、よろしく頼むよ」
リルがキッチンに向かい、俺は椅子の背もたれにその身を預けた。
彼女は、幸せな時間を過ごせただろうか。
「ん…んん…」
そうであってほしい。
俺はただ、そう願うばかりだ。
ゆっくりと意識が覚醒していく。
「ん…んん…」
何かが身体にかけられている。
軽い毛布だろうか。とても暖かく感じる。
突っ伏していた上半身を起こす。
それが身体から落ちた。
途端に寒く感じ、私の意識は途端に戻ってきた。
「お帰りなさい。はい、ハーブティーです」
リルさんが落ちた毛布をポンポンと軽くはたいて、再び私にかけてくれた。
軽く礼をし、目の前に置かれたハーブティーをそっと手に取る。
温かい。
「どうだった?」
クレアルドさんにもハーブティーが置かれる。
彼はそれを手に取り、そう聞いてきた。
「はい…幸せな時間でした。これから、この思い出があれば私は大丈夫、そう思えます」
ハーブティーに口をつける。
美味しい。なんて落ち着くんだろう。
これにもリルさんの魔法がかかってる、そう思えるほど。
「クレアルドさん、一つだけ確認したい事が」
「ん? いいよ」
「戻った過去には、元々の過去と何か違いはあるのでしょうか?」
「んー、難しい質問だね。なにせ、俺は時の器を使った事がないからなぁ。その辺はリルに聞いたらいいよ」
クレアルドさんは、事もなげにそう言った。
私はパッとキッチンを見る。リルさんが自分のハーブティーを片手にこちらに戻ってきている時だった。
「いえ、何も変わりませんよ。多少の言葉の相違くらいはあるかもしれませんが。基本的には過去に起こった通りに進んでいきます。少なくとも、私はそうでした」
リルさんは、時の器を使ったのは過去に2人だと言った。
「そう、ですか…」
「ええ、過去を変えられるなんて行為、そう簡単には出来る事ではありませんよ。それこそ、魔法でも使わない限りは」
「あぁ…そうですね…、魔法でも使わない限り…」
だからきっと、リルさんは。
「色々と、ありがとうございました。また、遊びに来ても良いですか?
太陽は明日に備えて休息に入り、代わりにと月が俺たちを照らしている。
今日は満月か。雲一つないお陰で、店の明かり以外強い光がない場所でも幾らかは安心して歩けるだろう。
「アンナさんならいつでも大歓迎ですよ! またお茶会しましょう。ね、クレアさん」
「ああ、アンナさんなら大歓迎。俺も美人の知り合いが増えて嬉しいよ」
「途中から思ってたんですけど、クレアルドさんって皆さんにそう言うでしょう」
「いやいや、そんな事はないよ? 俺の美人の基準ってのは難しいからね」
その点アンナさんは合格だね、と少しだけおちゃらけて言った。
「ふふ、そういう事にしておきますね。では、両親も心配するのでこれで。必ず、遊びに来ますから」
「はい、またのご来店をお待ちしております」
「ああ、またな」
辺りに、魔導バイクの振動が伝わっていく。
そしてゆっくりと、俺たちから離れていった。
俺たちはそのまま少しだけそこにいて、そして店内へと戻っていく。
2人に会話はなかった。
30分程かかっただろうか。
私は魔導バイクを停め、ゆっくりとそれから降りる。
明かりが点いている。お父さんも帰って来ているのだろう。きっとお母さんは夕飯
の支度をしてくれている。
今日は、あのパンだったらいいな。
おやさいがたっぷり挟まったパン。お母さん特製のソースがかかっていて、それはもう絶品だ。
そうだ、今度お店に行く時に持っていこう。
2人ともきっと喜んでくれる。
「お肉を挟んだらもっと美味しいとか言うかも」
その光景がありありと浮かんでくる。
私は嬉しい。
昨日とは気持ちのベクトルが違う。
自分でも驚く程に清々しい。
妹と過ごしたあの一時間は、確かにこの胸に生きている。
「ただいまー」
「あ、お帰り、おねえちゃん! 今日の夕飯はねぇ、魔法のパンだよ!」
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