第49話君の名前を思い出す前に
夜は、いつもより静かだった。
窓の外に広がる街の灯りが、
遠くで瞬いている。
彼女はソファに座って、
膝の上に手を置いていた。
何も話さない。
でも、空気が張りつめているのが分かる。
「……ねえ」
彼女が、先に口を開いた。
「……今日……
少しだけ……
変な感じがする」
俺は、隣に腰を下ろした。
「……どんな?」
彼女は、胸のあたりを押さえる。
「……ここが……
ざわざわする……」
それは、
“戻りかけている”兆しだった。
奏から来ていた最後の通知が、
頭をよぎる。
《最終ログ準備完了》
《干渉者の選択により、処理が確定します》
干渉者。
その言葉は、
もう、重くない。
俺は、深く息を吸った。
「……そろそろだ」
彼女は、俺を見る。
「……何が?」
「……世界が、
最後の確認をしに来る」
彼女は、少しだけ驚いて、
でも、すぐに理解した顔になった。
「……私の……
名前のこと……?」
俺は、頷いた。
沈黙。
長くて、
逃げられない沈黙。
彼女は、
それを壊すみたいに言った。
「……ねえ……
もし……
私が……
全部、思い出したら……」
声が、少し震える。
「……あなたは……
どうなるの……?」
答えは、
ずっと前から決まっていた。
「……多分……
俺は……
思い出さない」
彼女の目が、見開かれる。
「……それって……」
「……代償だ」
簡単な言葉で、
でも、重く。
彼女は、
唇を噛んだ。
「……そんなの……
嫌……」
俺は、
小さく笑った。
「……俺は……
嫌じゃない」
それは、
強がりじゃない。
「……君が……
ちゃんと……
選ばれて……
ここにいるなら……」
彼女は、
目を伏せた。
「……私……
あなたに……
何も……
返せない……」
その言葉が、
胸に刺さる。
俺は、首を振った。
「……返されるものじゃない」
一歩、近づく。
「……それに……
もう、もらってる」
彼女は、顔を上げる。
「……何を……?」
俺は、
静かに言った。
「……“選ばれた”っていう事実」
それだけで、
十分だった。
そのとき。
部屋の空気が、
ゆっくり歪んだ。
音はない。
光もない。
でも――
“世界”が来た。
《最終処理を開始します》
声は、
もう冷たくなかった。
《対象:未登録個体》
《名称復帰準備:完了》
彼女が、
息を吸う。
《同時に――
干渉者の記憶処理を実行します》
彼女が、
俺を見た。
「……待って……」
その声に、
胸が締めつけられる。
「……最後に……
一つだけ……
聞いてもいい……?」
世界は、
一拍だけ、沈黙した。
《許可》
彼女は、
俺の目を見つめて、
言った。
「……あなたは……
私を……
どう呼んでたの……?」
それは、
約束だった。
俺は、
息を吸って、
ゆっくり吐いた。
「……君の名前は……」
ここで、
言えばいい。
でも――
言わない選択も、
できた。
俺は、
微笑った。
「……それは……
君が……
思い出したときに……
聞かせてくれ」
彼女の目から、
涙が溢れた。
「……ずるい……」
「……そうだな」
でも、
逃げじゃない。
これは――
未来に委ねる選択。
世界が、
最終確認をする。
《干渉者・蓮》
《記憶消去を受諾しますか》
俺は、
一切、迷わなかった。
「……ああ」
その瞬間、
彼女が、
俺の服を掴む。
「……ありがとう……」
その言葉が、
胸に、深く沈む。
《処理を開始します》
視界が、
白くなる。
彼女の顔が、
ぼやける。
でも――
最後に見えたのは、
泣きながら、
笑う彼女だった。
それで、
よかった。
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