第47話 君を知らない朝
朝の光で、目が覚めた。
カーテンの隙間から差し込む光は、
いつもと同じ色をしている。
……いつも?
その考えに、
自分で違和感を覚えた。
天井を見上げながら、
胸の奥を探る。
昨日の記憶。
一昨日の記憶。
その前も。
全部、普通だ。
なのに――
何かが、決定的に欠けている。
理由は分からない。
ただ、
心臓の奥に“空洞”がある。
名前を思い出そうとして、
誰の名前か分からない。
俺は起き上がり、
キッチンへ向かった。
コーヒーを淹れる。
手慣れた動作。
なのに、
カップを二つ出してしまって、
そこで手が止まる。
「……?」
どうして二つ?
一人暮らしだ。
当たり前だ。
そう思うのに、
一つを戻すのが、
ひどく、嫌だった。
そのとき。
玄関の方から、
小さな音がした。
鍵が、回る音。
俺は、
反射的に振り返る。
ドアが開いて、
女の子が立っていた。
制服じゃない。
私服。
少し長い髪。
見覚えがあるはずなのに、
思い出せない。
彼女は、
少し困った顔で言った。
「……おはよう」
その声を聞いた瞬間、
胸が、強く鳴った。
理由は分からない。
でも――
この人を見失ったら、
もう取り返しがつかない
そんな確信だけがあった。
「……おはよう」
声が、少し遅れた。
彼女は、
俺の反応を確かめるように、
一歩だけ近づく。
「……大丈夫?」
「……ああ」
嘘じゃない。
でも、真実でもない。
彼女は、
キッチンを見て、
カップを二つ見て、
少しだけ、目を伏せた。
「……やっぱり……」
何が“やっぱり”なのか、
分からない。
分からないのに、
謝りたい気持ちになる。
「……悪い。
俺……君のこと……」
言葉が、続かなかった。
彼女は、
首を振った。
「……いい」
それだけ言って、
靴を脱ぐ。
その仕草が、
不思議と“自然”だった。
まるで――
何度も、ここに来ていたみたいに。
彼女は、
テーブルの椅子に座る。
俺の向かい。
距離感が、
近い。
でも、
嫌じゃない。
彼女は、
指を組んで、
ゆっくり言った。
「……覚えてない、よね」
その言い方が、
責めていないのに、
胸を締めつける。
「……ああ」
正直に答えた。
「……名前も……」
彼女は、
一瞬だけ、目を伏せて、
それから笑った。
「……うん」
その笑顔に、
理由もなく、
泣きそうになる。
「……でも」
彼女は、
まっすぐ俺を見た。
「……それでも……
ここに来た」
心臓が、
また、強く鳴る。
「……どうして?」
彼女は、
少し考えてから、
答えた。
「……分からない」
正直すぎる答え。
「……ただ……
あなたのところに……
行かなきゃって……
思った」
それは、
記憶じゃない。
選択だった。
俺は、
ゆっくり息を吸った。
「……座ってて。
コーヒー……淹れ直す」
彼女は、
小さく頷いた。
コーヒーの香りが、
部屋に広がる。
その匂いが、
なぜか、
懐かしかった。
カップを差し出す。
彼女は、
両手で受け取った。
「……ありがとう」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥で、
何かが“確定”した。
名前がなくても。
記憶がなくても。
この人を、
選び続けたい。
理由は、
いらなかった。
彼女は、
カップの縁を見つめながら、
ぽつりと言った。
「……ねえ」
「ん?」
「……私……
ここにいても……いい?」
俺は、
即答した。
「……ああ」
その答えに、
彼女は、
安心したみたいに、
少しだけ笑った。
その笑顔を見て、
分かった。
――ああ。
俺は、
この人を、
何度でも失って、
何度でも、
選ぶ。
たとえ、
名前を知らなくても。
たとえ、
理由を忘れても。
それでも、
君を選ぶ。
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