第43話 呼ばれない選択
夜の公園は、昼より広く感じた。
街灯の光が届かない場所が多くて、
ベンチも遊具も、輪郭だけが浮かんでいる。
俺と彼女は、
並んでブランコの前に立っていた。
「……ねえ」
彼女が、先に口を開いた。
「私さ……
今日の昼のこと、
ずっと考えてた」
「……あの子のことか」
彼女は頷いた。
「うん。
名前、聞かなかったのに……
ありがとうって言われて……
それで、少し……嬉しかった」
その“少し”が、
彼女らしかった。
「名前がなくても……
ちゃんと、届くんだなって」
俺は、黙って聞いていた。
彼女はブランコの鎖に触れ、
指でゆっくり滑らせる。
「……でもね……
分かったことも、あって……」
嫌な予感がした。
彼女は、顔を上げて俺を見た。
「私……
“呼ばれたい”って気持ち、
まだ……残ってる」
胸が、きしんだ。
「……それは……
悪いことじゃない」
彼女は、首を振る。
「ううん。
悪いかどうかじゃなくて……
“選ばなきゃいけない”って、
気づいたの」
その言葉で、
分かった。
世界が、来た。
空気が、
ほんの少しだけ冷える。
背後から、
足音が一つ。
ゆっくり。
確実に。
振り返らなくても、
誰だか分かった。
「……いい夜だな」
回収者だった。
前と同じ黒いコート。
でも、目が違う。
奪う者の目じゃない。
待つ者の目だ。
奏はいない。
ここは、二人と世界だけ。
彼女が、俺より一歩前に出た。
「……あなた……
また、来たんだ」
回収者は、頷いた。
「条件が揃ったからな」
俺は、歯を食いしばる。
「条件って……」
回収者は、彼女を見る。
「“自覚”だ」
彼女は、逃げなかった。
「……私が……
呼ばれたいって……
思ってること……?」
回収者は、淡々と答える。
「そうだ。
名前を失っても、
なお、呼ばれたいと願う」
一歩、近づく。
「それは“未練”じゃない。
選択可能な欲求だ」
胸が、嫌な音を立てる。
回収者は続けた。
「だから、選ばせに来た」
白い光が、
足元に円を描く。
そこに、
三つの言葉が浮かぶ。
呼ばれる
選ばれる
残される
回収者が言う。
「前回は、世界が選ばせた。
今回は――本人が選ぶ」
彼女が、息を吸う。
「……選ぶ……?」
回収者は頷いた。
「“呼ばれる”を選べば、
新しい名前を与える」
俺の喉が鳴る。
「……代わりに……?」
回収者は、俺を見る。
「彼との関係は、消える」
彼女の肩が、震えた。
回収者は続ける。
「“選ばれる”を選べば、
誰かの物語に組み込まれる」
「……それは……?」
「学校、家族、社会。
だが――彼は含まれない」
最後の選択肢。
「“残される”を選べば、
今のままだ」
彼女は、目を伏せる。
「……名前も……?」
「ない」
「……でも……
この人と……?」
回収者は、静かに言った。
「関係は、続く。
呼ばれないまま、な」
沈黙が落ちた。
重くて、
逃げ場のない沈黙。
俺は、
何も言えなかった。
言ったら、
選ばせてしまう。
彼女は、
長い時間、考えていた。
そして――
顔を上げた。
「……私……」
声は、震えていた。
「……名前、欲しい」
胸が、締めつけられる。
彼女は、続ける。
「呼ばれたいし……
覚えてほしいし……
自分が“誰か”だって……
ちゃんと、思いたい」
それは、
人として、当然の願いだった。
俺は、
唇を噛んだ。
彼女は、
でも――
「……でも」
一歩、俺の方へ近づく。
「この人といた時間を……
なかったことにするのは……
できない」
回収者が、眉をひそめる。
「……それは、矛盾だ」
彼女は、首を振った。
「違う」
はっきりした声。
「呼ばれなくても……
選ばれなくても……
この人と一緒に“選んだ時間”は……
消したくない」
回収者は、
しばらく黙っていた。
そして、
初めて、困ったように言った。
「……それは……
仕様外だ」
彼女は、真っ直ぐ見返す。
「じゃあ……
私は……
“仕様外”でいい」
その言葉が、
世界を揺らした。
円が、
ひび割れる。
回収者が、低く呟く。
「……なるほど……」
彼女は、俺を見た。
その目に、
迷いはなかった。
「……蓮」
名前を呼ばれたわけじゃない。
でも――
確かに、俺だった。
「……私は……
“残される”を選ぶ」
世界が、沈黙した。
回収者は、
ゆっくりと笑った。
「……最も不安定で、
最も厄介な選択だ」
そして、
言い残す。
「だが覚えておけ。
呼ばれない選択は、
いつか“呼ばれる瞬間”を生む」
光が、消えた。
回収者も、
そこにはいなかった。
夜の公園に、
二人だけが残る。
彼女は、
大きく息を吐いた。
「……怖かった」
俺は、
彼女の隣に立つ。
「……ああ」
彼女は、
小さく笑った。
「でも……
後悔はしてない」
俺は、
何も言わず、
ただ頷いた。
呼ばれない選択。
それは、
名前よりも、
重い覚悟だった。
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