第34話 理由の作り方
少女が去った後の屋上は、
風の音と、紗奈の浅い呼吸だけが残った。
紗奈は袖で涙を拭きながら笑おうとする。
「……ね、蓮くん。
忘れられるのって……こんなに痛いんだね」
その笑顔は笑顔じゃなかった。
俺は手を離さない。
奏は淡々としていたが、目だけは優しかった。
「今のが“第一段階”よ。参照率が半分を切ると、同級生レベルから順に“名前が口に出なくなる”。」
紗奈が震える声で聞く。
「……私、まだ……家族は呼べるかな?」
奏は即答しなかった。
その沈黙が答えだった。
紗奈の表情が崩れそうになった瞬間、
奏は端末を閉じて言った。
「だから急ぐ必要があるの。
名前は“理由”がなければ存在しない。」
俺は眉を寄せる。
「理由……?」
奏はフェンスに指を触れながら言葉を継ぐ。
「世界はラベルだけを受け取らない。
『なぜその名前なのか』
『どこにその名前の根っこがあるのか』
それがなければ定着しない。」
紗奈が小さく呟く。
「……根っこ……」
奏は紗奈の目を見ながら言った。
「名前は、理由の上に咲く“現実”。
理由のない名前は、雑音と同じ扱い。」
俺は息を吸い込んで、覚悟を決めるみたいに言う。
「理由は……俺が作るんですよね」
奏は頷く。
「そう。
蓮君は“干渉者”。
紗奈の未来に手を入れた存在。
干渉した分だけ、責任は重くなる。」
それは逃げ場のない言葉だった。
紗奈がフェンスに背中を預けて、夜を見た。
「……私、自分の名前の理由、ちゃんと聞いたことなかったな」
風が髪を揺らす。
「小さい頃から呼ばれてたから
当たり前みたいに思ってた…
それが“私の始まり”だって信じてた。」
紗奈は苦笑した。
「でも、始まりって勝手に決まってるんだよね。
自分のことなのに。」
その言葉に俺は胸が刺された。
奏は静かに付け足す。
「紗奈。
あなたは“名前の理由”を知らないまま生きてきた。
だから、今度は蓮君が作る番。」
紗奈は俺に視線を向けた。
露骨に怖い目だ。
逃げたいんじゃなくて、縋りたい目だ。
俺は嘘をつくような人間じゃない。
だからちゃんと聞いた。
「……紗奈。
お前は、どんな“理由”で生きたい?」
紗奈は目を閉じて、長く息を吐く。
そして、震えながら笑った。
「それ聞くんだ……ずるいよ、蓮くん……」
その声は強がりじゃなくて、本音だった。
「……ありがとうって言われる理由が欲しい。
誰かに助けられるんじゃなくて、
私が誰かを助けた理由で……
“呼ばれたい”。」
紗奈は涙を拭って、上を向いた。
「私は、そういう名前で生きたい。」
それは紗奈の“初めての願い”だった。
俺ははっきり答えた。
「じゃあ……俺は“助ける理由”を用意する。」
紗奈は目を丸くした。
「……え、私じゃなくて?」
「紗奈が助けられる理由は俺が作る。
お前が呼ばれる理由は、お前が生きればいい。」
紗奈は手で口元を押さえて、泣き笑いみたいになった。
奏は静かに言う。
「理由は形になった。
次は“言葉”にしなさい。」
俺は一瞬だけ考えたあと、紗奈を見た。
名前を言うわけじゃない。
言うべきなのは“理由”だ。
だから俺は短く言った。
「紗奈は……誰も置いていけない人だから。」
紗奈は息をのんだ。
「優しいとか、いい子とかじゃない。
放っておけないんだよ。
誰かが泣いてたら見てしまうし、
困ってたら気付くし、
助けられなかったら、自分が苦しい。」
紗奈の肩が震えた。
俺は続けた。
「俺はそれで助かった。
だから今度は、紗奈が誰かを助ける番だろ。」
紗奈は涙で顔をぐしゃぐしゃにして笑った。
その笑い方は“生きてる人間”の笑い方だった。
奏は腕を組みながら、
「理由は十分。
あとは……名前を決めるだけ。」
と締めた。
その瞬間、奏の端末が震えた。
画面には新しいログ。
《参照率:38%》
《第二段階へ移行/家族・近親に影響》
紗奈の顔から血の気が引いた。
「……お母さん……」
その小さな声で、俺は決めた。
後回しにはできない。
もう待てない。
猶予は奪われている。
俺は紗奈の肩に手を置いて言った。
「紗奈。」
「お前の名前の“理由”はできた。
あとは――俺が“名前”を持ってくる。」
紗奈は目を見開く。
「持って、くる……?」
俺は頷いた。
「今の俺が忘れてない場所にある名前を。」
風が強く吹いた。
奏は目を細めて言う。
「……蓮君。“過去”へ行くつもりだね?」
俺は答えない。
答える必要はなかった。
紗奈は震える声で言った。
「……帰ってきてね」
俺はうなずいた。
そして、それだけ言って屋上の扉を開けた。
世界はまだ名前を奪っていく。
なら――奪われる前に奪い返すだけだ。
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