第31話選ばれた未来と選ばれなかった未来
病室の薄いカーテン越しに、夕日が差し込む。
紗奈はベッド脇の椅子に座り、俺の顔をじっと見ていた。
まるで“確認”しているみたいに。
心電図は落ち着いている。
何も問題はない。
けれど、胸の奥はずっとざわついていた。
──紗奈が“全部を覚えている”ことに。
それはつまり、代償をすり抜けたということ。
叔母の奏も言っていた。
「干渉の代償は発動には条件がある。
未来の改変者本人にだけ発生する代償もある」
俺は干渉した本人。
未来を変えたのも俺。
だから“俺の方だけ”が失うはずの記憶だった。
だが紗奈は全部覚えていて、
奏も紗奈も“俺の失った部分”を補うように振る舞ってくる。
それが怖かった。
冷静な紗奈が口を開いた。
「……蓮、今『なんで私だけ覚えてるんだ』って思った?」
「いや……まあ、その……」
紗奈は淡々と言う。
「それはね、元々“私の能力”はあなたより先だったからだよ」
理解が追いつかない俺に、淡々と続ける。
「叔母さんは研究者。
私は被験者。そして蓮は──」
紗奈はわずかに笑う。
「“巻き込まれた天才”」
「巻き込まれた……?」
紗奈は頷き、
「蓮は本当は能力者じゃない。
でも能力者より早く気づいて、動いて、改変までした」
そう言った。
そして紗奈は息を整えて告げる。
「だから代償は蓮だけなんだよ。
だって“選ばれたのは蓮じゃない”から」
刺さるような言い方だった。
俺は喉が乾く。
「……選ばれた、って何に」
紗奈は少し目をそらし、カーテンの向こうの光を見た。
「“未来を見る権利”と“守る義務”。
どっちも私の方が先に与えられてた。だから……」
言葉が詰まった。
「蓮は、本当は無関係で、
でも私を助けたせいで“未来のログ”に巻き込まれたの」
その声音は苦しげだった。
俺は思わず言った。
「それでも俺は……助けて良かったと思ってるよ」
紗奈はヘッドホンのコードを指先でいじりながら、小さく笑った。
「そう言うと思ってた」
呼吸が少し楽になる。
だが安堵も束の間、病室の扉がノックされた。
叔母の奏だ。
白衣の袖をまくり、端末を持っている。
研究者の顔。
「検査、出たわ」
落ち着いた声。
「蓮君の“欠落した記憶”……特定できた」
俺は息をのむ。
奏が端末を渡してきた。
画面にはたった一行。
“紗奈に関するエピソード13件”
頭が真っ白になった。
紗奈は唇を噛む。
奏は説明を続ける。
「代償で消えるのは“特定の人物の詳細記憶”。
蓮君の場合は紗奈。
ただしこれは──」
奏が指で画面をスクロールする。
「“未来を改変した者の負担を軽減するための処理”なの」
紗奈が呟く。
「未来を守るために、過去を捨てさせる……?」
奏は静かに頷いた。
「そう。だけど問題がある」
奏の表情が少し険しくなる。
「蓮君のケースでは“紗奈が覚えている”状態になってる」
紗奈も気づいている。
それはつまり──
改変者の記憶だけが削られ、
当事者は全て保持している異常状態。
奏ははっきり言った。
「この状態を放置すると、
蓮君の中で“矛盾”が膨らむ」
俺は眉を寄せる。
「矛盾……?」
奏は医者みたいな口調で説明した。
「心の構造はシステムよ。
失われた記憶の“空白”に、蓮君の脳は勝手に『別の事実』を埋め始める」
息が止まる。
「それはどうなるんですか」
奏は淡々と言う。
「──紗奈を“ただの他人として再構築する”」
紗奈の指先が震える。
俺は身体が冷えていくのを感じていた。
奏は続けた。
「でも救いもあるの。“例外”がひとつだけ」
紗奈も、俺も、奏を見る。
奏は微かに笑みを浮かべた。
「再構築より先に、“上書き”が起きれば助かる」
紗奈が息を飲む。
「上書き……?」
奏は頷き、
「“新しい記憶”で紗奈が埋まればいい。
他人としてではなく、“これからの関係”として」
俺は言葉を失った。
つまり──
失った分を取り戻せなくても、
これから積み重ねればいい。
どれだけ過去を失っても、未来で埋められるなら。
気づけば俺は言っていた。
「……それなら、間に合うよな」
紗奈がこちらを見た。
奏は静かに笑う。
「間に合わせなさい。
選ばれなかったあなたの未来を、選ぶのはあなたよ」
そう言い残し、病室を出ていった。
扉が閉まると、静寂が降りた。
紗奈は指を組んだまま、小さく呟いた。
「……蓮くんはさ」
俺は顔を向ける。
「もう一度、私を“好き”になれると思う?」
問いはあまりにもストレートで、
呼吸が止まった。
だが紗奈の目は真剣だった。
俺は笑うしかない。
「なるかどうかじゃなくて……」
ほんの少し間を置いて言った。
「これからなるんだよ」
紗奈は目を丸くし、それから少し俯いて笑った。
その横顔を見ながら思う。
選ばれなかった未来でも、
自分で選べる未来はある。
その時──
胸ポケットのスマホが震えた。
知らない番号からの着信。
俺は眉をひそめながら出る。
「もしもし──」
その瞬間、冷たい声が耳に落ちた。
『ようやく“分岐”に辿り着いたな、七周目』
膝が凍る。
紗奈がこちらを見る。
声は続けた。
『蓮。お前だけが知らない真実が一つある』
『干渉の代償で消えるのは──“一人分だけじゃない”』
呼吸が乱れた。
『紗奈の番はもうすぐだ』
通話が切れた。
手が震えていた。
紗奈は不安げに言う。
「……誰?」
俺は答えられなかった。
胸の奥に、最悪の予感だけが残った。
紗奈を守るために失った記憶。
でも次は──紗奈の“番”。
そして、代償は終わっていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます