第29話未来のログは誘惑する

通知音の残響が屋上に貼りついたまま消えない。

紗奈は時間が止まったみたいに蓮の胸に顔を押しつけていた。


【未選択時の標準結果:紗奈の死亡】


それは“何もしなければ死ぬ”という宣告。

“もう誰も触れていない未来”のデフォルト設定。


紗奈は震えて言う。


「……ねえ蓮。

 これ、私を脅してるよね……?」


蓮は答えなかった。

言葉が無かったわけじゃない。

喉に詰まっただけだった。


奏が画面を覗き見て、小さく息を吐く。


「ログの仕様ね。

 干渉と周回で未来が崩れた時、

 “最も確率が高かった死因”で補正がかかる」


蓮は顔を上げる。


「確率……?」


奏は淡々と言った。


「六周分で、死んだ回数。

 交通事故三回、老朽化一回、転落一回、心臓一回。

 統計的には、紗奈は“死ぬ未来が成立しやすい”」


紗奈は小さく息を呑んだ。


蓮は拳を握りしめた。


「確率で人の死を……?」


奏は静かに蓮を見る。


「“未来”にとって人間は変数よ。

 あなたが生かしたい人でも、

 世界にとってはただの“補正対象”」


蓮は怒りで言葉を失った。


奏は続ける。


「でも──確率は書き換えられる。

 ログを上書きするほどの“強い選択”があれば」


紗奈は蓮の服を握りながら言った。


「逃げるんじゃだめ……?

 二人で外に出て……ログを捨てて……

 未来を諦めて……ただ生きるのは、だめ……?」


奏は優しく微笑んだ。


「それは“幸福の代償”を払う選択。

 未来は救えないけど、命は救える」


紗奈は蓮を見た。

その目はもう泣いていない。

守りたいものが一つに定まった人の目だった。


蓮はその目が眩しくて苦しかった。


蓮は言う。


「紗奈。

 俺は……逃げるのは嫌じゃないんだ。

 むしろ、逃げたいって思う」


紗奈の目が少し見開かれた。


「だって……お前が死ぬ原因は未来じゃない。

 俺が“救えなかった過去”だ。」


六周分の死因が胸に積み重なる。

見えてなくても、感じることはできる。


紗奈は震えた声で問う。


「じゃあ……蓮はどうしたいの……?」


蓮は紗奈の手を取った。


「俺は……

 “世界に勝ちたい”」


紗奈が息を呑む。


蓮は続けた。


「逃げるってことはさ……

 俺たちを傷つけた未来に負けるってことだろ?


 俺が覚えてなくても……

 紗奈は六回死んでる。


 その未来に、俺は勝ちたい。

 お前を守って勝ちたい」


紗奈の瞳に一瞬で火が灯る。

泣きそうで、でも笑いそうな顔。


奏は蓮に問う。


「勝つ手段は一つだけよ。

 死因を“修正する”。

 事故なら道路、倒壊なら設備、

 心臓なら医療介入。

 未来を丸ごと“守備”に変える」


蓮は息を飲む。


「つまり……

 今夜以降、紗奈が死ぬ可能性を全部潰すってことか」


奏は頷いた。


「そう。

 選択とは、“未来への介入”だから」


紗奈は困った顔で笑った。


「できるかな……そんなの……

 私は多分、何度でも死んじゃうのに……」


蓮ははっきり言った。


「紗奈。

 “何度でも死んだ”なら──

 俺も“何度でも守る”しかないだろ」


紗奈の目が潤み、息が震えた。


スマホが再び震える。


【干渉支援ログを開きますか?】

【Yes/No】


奏は目を見開いた。


「……出たわね。“誘惑”」


紗奈が蓮を見る。


「誘惑……?」


奏は説明した。


「ログはあなたを支援する。

 事故の予兆、心臓の不整脈の発生予想、

 道路の危険度……

 “紗奈が死ぬ未来の詳細”を教えてくれるの」


紗奈は凍りついた。


蓮も呼吸を止めた。


「つまり……

 “見なければ気づかない未来”を

 敢えて可視化してくれる」


奏は低く続けた。


「その代わり、強い副作用がある。

 未来を知れば知るほど──

 “選択に縛られる”」


蓮は理解した。


知ってしまえば、

守らなければならない場所が増える。


知れば知るほど、逃げ道が消える。


蓮はスマホを見つめた。


【Yes/No】


紗奈は震える声で言う。


「蓮……見ない方がいいかも……

 未来なんて知らない方が……

 ただ生きられるなら……」


蓮は静かに首を振った。


「違う。

 知らないから守れなかったんだ」


そして、迷わず──

Yesをタップした。


奏は目を閉じた。


スマホ画面にスクロールバーが現れ、

大量のテキストが流れ始める。


表示された最初の行はこうだった。


【未来危険ログNo.001:交差点事故・死亡確定】


紗奈が喉を詰まらせた瞬間、

次の行が出る。


【No.002:老朽化による落下・死亡確定】

【No.003:転落事故・死亡確定】

【No.004:心室細動による突然死・死亡確定】


蓮の拳が震えた。


だがログは止まらない。


スクロールは続き、

見たことのない死因が並び始める。


【No.011:刺殺】

【No.013:毒物混入】

【No.017:放火】

【No.021:溺水】

【No.024:不明死体】


紗奈が震えながら呟く。


「……やだ……これ……

 私……未来で何されてるの……?」


蓮は読みながら理解した。


周回で事故死を潰せば潰すほど、

死因は“事件”へ移っていく。


蓮は舌打ちした。


「クソ……

 交通も、施設も、医学も、

 守れる場所を守れば……

 次は人間かよ」


奏が囁く。


「それが“世界の補正”。」


紗奈は泣きそうな声で聞く。


「……蓮、どうするの……?」


蓮は画面を閉じた。


そして紗奈の手を握り、笑った。


「全部潰す。

 事故も、病気も、事件も、

 世界の補正も──

 ログごと全部、ぶっ壊す」


紗奈は一瞬息を止めて──

涙で笑った。


奏は蓮を見て言う。


「蓮君。

 その覚悟の名前を、

 私たちは“選択”と呼ぶの」


時計は動く。


通知は鳴り続ける。


夜はまだ、終わらない。

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