第26話 カウントダウン2
紗奈は救急室へ運ばれていった。
俺は廊下に置き去りにされたまま、机の脚に背中を預けて座り込んだ。
スマホの画面が消えるたびに震えて、表示は変わらず残っている。
【次の代償:対象の“蓮に関連する感情記憶”剥奪】
対象:紗奈
猶予:22:47:33
この“感情記憶”が何を指すか、もう分かってる。
理由を奪われた紗奈は、
今はまだ混乱してるだけだ。
けど、その理由を支えてる“好きそのもの”が消えた瞬間──
紗奈は俺を知らない誰かとして扱い始める。
それは死と同じだ。
心臓が止まった時と同じ。
転落した時と同じ。
でも死体は残らない。
代わりに“関係が死ぬ”。
奏さんが隣にしゃがんだ。いつの間に来たんだ。
「蓮君。呼吸して」
言われて初めて、息が乱れてることに気づいた。
「……呼吸なんかしてる暇ねぇよ」
「あるわ。落ち着かないと判断が狂う。今はそれが一番危ない」
奏さんは淡々と言った。
感情を刺激しないプロみたいな声だった。
俺はスマホの画面を見せた。
「なあ……
これって、止める方法あるのか」
奏は少しだけ間を置いてから言った。
「世界の権限は絶対じゃない。
ただ、それを覆すには“対応する価値”が必要になる」
「価値?」
「紗奈の感情を守りたいなら、それと等価以上の価値を差し出す必要がある。
それは世界側の均衡を保つため」
世界は均衡。
分かってたけど、口にされると殴られてるみたいだ。
俺は目を伏せた。
「紗奈が死ぬのは嫌だ。
でも紗奈が俺を知らないのも嫌だ。
ただ……紗奈が生きてるなら、それでいいはずなのに……
胸が、追いつかない」
奏さんは俺を見た。
ただの研究者の目じゃない。
「蓮君。それは普通のことよ。
“守る”と“失う”は別の痛みだから」
そう言ってから、小さく続けた。
「でもね──紗奈には、蓮君と同じだけの権利があるの」
その言葉に眉をひそめた。
「権利?」
「生きる権利だけじゃない。
選ぶ権利。
好きになる権利。
好きでいる権利。
そして──忘れない権利」
心臓が跳ねた。
それは俺が六周使って必死に守ったものだ。
奏さんはその視線を紗奈のいる病室に向けた。
「今のままだと紗奈は一方的に奪われる。
“好きである理由”を奪われ──
次は“好き”そのものを」
「止められるのか」
「一つだけ方法がある」
奏さんは俺に向き直った。
「紗奈と“対等になる”こと」
「対等……?」
「蓮君は干渉者。
紗奈は当事者。
この差がある限り、紗奈は奪われ続ける。
均衡を取るには蓮君も同じ領域に立たなければならない」
“同じ領域”。
つまり紗奈の見てる夢の世界──未来のログ。
奏さんは言った。
「干渉者には二段階あるの。
今の蓮君は“観測干渉者”
紗奈は“夢観測者”
対等じゃない。
だから奪われるのは紗奈だけ」
つまり。
俺が紗奈の夢を見る側になれば、世界のバランスは変わる。
代償を“交換”できる。
「……どうすればいい」
奏さんは一枚の小さな透明なケースを差し出した。
中に入っているのは、薄い銀色のカプセル。
「これを飲めば蓮君も夢のログにアクセスできる。
未来の死因も、蓮君の表情も、紗奈と同じ重さで記録される。
世界は“誰の記憶を奪うか”選べなくなる。
その場合、蓮君と紗奈の代償は分割される」
分割。
奪われる量が半分になる。
つまり。
“紗奈だけが全部失う世界”が終わるってことだ。
俺は喉を鳴らした。
「それの副作用は」
奏さんは静かに言った。
「夢で死ぬ」
俺は息を止めた。
奏さんは淡々と続ける。
「これは観測を共有する代わりに、夢の死因を蓮君にも同期させる。
夢で死んだ時、実際には呼吸が止まって数秒遅れる。
対応しなければ本当に死ぬ」
夢の中で一緒に死ぬ。
共有する。
対等になる。
奪われ方を分ける。
俺は笑ってしまった。
「最高だな、それ」
奏さんは驚きもせずに答えた。
「冗談じゃなく、本当に危険よ」
「危険でもいい」
俺はケースを握った。
「紗奈が一人で奪われる世界の方が危険だ」
その瞬間、保健室の扉が開いた。
泣きはらした目の紗奈が立っていた。
保健の先生が後ろから支えようとしてるけど、紗奈は手を振って断った。
紗奈は俺を見つけた瞬間、小さく笑った。
「よかった……蓮、まだいた……」
名前を呼んだ。
理由は消えてるのに、感情の形は残ってる。
でも次に言われた一言が胸を刺した。
「ねえ……どうして、私……蓮のこと好きだったんだろ……?」
理由が消えた証拠だ。
でも“好き”だけは残ってる。
まだ間に合う。
俺は紗奈に向かって、ケースを握りしめた手を見せた。
「紗奈。俺、選ぶ」
紗奈は近づきながら涙を浮かべて言った。
「分かんないけど……蓮が選ぶなら、私も選ぶ……
私……蓮を忘れたくない……」
夢みたいなセリフだった。
でも現実だ。
泣きながら笑う紗奈は今までで一番生きてた。
俺はケースを開け、カプセルを指に乗せた。
世界権限が自動で起動する。
【干渉者ログの同期を検知】
【紗奈の感情記憶剥奪を保留します】
【交換条件:蓮の夢観測者化】
キャッチした。
世界は止めない。
だけど条件を突きつけてくる。
奏さんが囁いた。
「飲むなら今。
飲まなければ紗奈の“好き”は24時間以内に消える」
俺はカプセルを舌に乗せた。
紗奈は息を止めて見つめてた。
そして飲み込んだ瞬間、
世界が崩れた。
耳鳴り。
心拍。
視界のノイズ。
脳に流れ込む映像。
そして世界権限はこう表示した。
【蓮:夢観測者に同期しました】
【紗奈の代償は分割されます】
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