第24話 心電
奏さん(相良奏)が去った夜から、俺は眠れなくなった。
紗奈の寝息は穏やかで、柔らかくて、心臓のリズムも安定してる。
それなのに、俺の頭だけがうるさい。
干渉の代償──紗奈の記憶が消える。
奏さんは“選ばせる”と言った。
だがそれは選択なんかじゃなかった。
だって俺は紗奈を救いたいし、紗奈を失いたくないし、紗奈の笑い声も癖も全部覚えていたい。
でも世界はそれを許さない。
紗奈の死を回避する度に、代償は加速する。
世界は均衡を取りたがっている。
その均衡の崩れた先に起きること──奏さんは言わなかった。
ただ、俺の手が震えてるのを見て、静かにこう言った。
『“干渉者”は最後に一番大切なものを失うの』
それが“紗奈”だった。
⸻
翌朝、紗奈は普通に学校へ行こうとした。
いつも通り髪を結んで、いつも通り靴紐を結んで、いつも通り俺を呼んだ。
「遅刻しちゃうよ、蓮」
俺はその声を聞いて胸が苦しくなる。
たぶん紗奈にはまだ何も消えていない。
だが奏さんは言った。
『記憶は“一度に全部”じゃないの。
最初は断片から消えるわ。
最初に消えるのは“感情の理由”。』
つまり──
「なんで蓮と一緒にいたいのか」
「なんで蓮を見て不安になるのか」
そういう“理由”が先に奪われる。
やがて感情そのものも消える。
そして最後に──名前。
俺は自転車を押しながら隣を歩く紗奈を見る。
歩幅を合わせてくる癖。
髪を耳にかける癖。
気まずいとほっぺを触る癖。
全部いずれ俺だけの記憶になる。
俺は冗談っぽく言ってみた。
「なぁ紗奈。もしさ──全部忘れても俺のこと助けてくれる?」
紗奈はキョトンとして、笑った。
「忘れるわけないじゃん」
俺の胸がチリって焼けた。
“忘れるんだよ”って喉まで出たけど、飲み込んだ。
それを言った瞬間、俺は紗奈を巻き込む。
俺が肩に力を入れすぎてたのか、紗奈は不思議そうに言った。
「蓮ってさ、たまに急に世界の終わりみたいな顔するよね」
言われて気づく。
俺は笑えてない。
「世界の終わりかもしれねぇんだよ、俺にとっては」
本音が漏れた。
紗奈は立ち止まり、俺を見る。
その目はまだ消えてなかった。
俺の知っている紗奈だ。
「蓮。私死なないよ?」
その言葉に心臓が締め上げられる。
“死なない”って言葉ほど怖い言葉は無い。
今まで六回死んだことを、紗奈は知らない。
いや──夢で知っているのかもしれない。
紗奈は小さく続けた。
「だから、そんな顔しないで」
俺は返事ができなかった。
⸻
学校に着くと、異変はすぐ分かった。
廊下の向こうで教師と救護の先生が慌てて走っている。
生徒達がざわついてる。
俺は耳が勝手に拾った。
「突然倒れて──」
「心臓が……」
「救急車……」
心臓。
紗奈の心臓じゃない。
でも心臓という単語だけで血の気が引く。
紗奈が不安そうに俺を見る。
手が袖を掴んだ。
「蓮……」
その瞬間──
スマホが震えた。
“非通知”
出たくねぇ番号だった。
だが指が勝手にスワイプした。
『聞こえる?蓮君』
奏さんだ。
『時間が早まってる。
干渉が進んでるわ。
本来この段階で一般生徒の“心臓イベント”は発生しないはずなの』
俺は息を飲んだ。
奏さんの声は焦っていない。
でも“まずい”って空気が滲んでる。
「干渉って……俺のせいですか」
『いいえ。あなたが“止めすぎたから”よ。』
世界は均衡を欲しがる。
紗奈が死ねないなら、誰かが死ぬ。
それが世界の補填だ。
俺は言葉を失った。
『蓮君。選択は迫られるわ』
「選択?」
『紗奈を救う世界か。
世界を正常に戻すか。
どちらも選ばなければ、崩壊する』
そして奏さんは言った。
『紗奈の死のログは──既に七つ存在するわ』
七。
たしかに七周目だ。
そして“六度目の死”が心臓だった。
奏さんが続ける。
『七つ目の“死因”はまだ確定していない』
七つ目。
つまりこれから訪れる死。
紗奈が袖を掴んだまま、小声で問う。
「蓮……誰?」
俺は声が出なかった。
その時、廊下の奥から先生の叫び声が響いた。
「AED!早く!!」
俺の背筋が凍る。
紗奈の心臓が、脈が、夢が、死のログが、全部重なった。
奏さんの声が低く落ちた。
『蓮君。七つ目は──もう始まってる』
通話が切れた。
俺は紗奈の手を握る。
手が震えてるのは紗奈じゃなかった。俺だ。
紗奈が囁く。
「……ねぇ蓮、怖いの?」
俺は喉が張り付く感覚のまま答えた。
「怖ぇよ。紗奈がいなくなるのが一番怖い」
紗奈は目を丸くして、それからふっと笑った。
「大丈夫だよ。私は消えないよ?」
──その言葉が、
一番最初に消えるってことを、俺だけが知ってる。
そして扉が開き、先生が叫んだ。
「搬送先が──!?」
だがその言葉の途中で、教室中のスマホが同時に震えた。
アラートでも、地震速報でも、警報でもない。
見たことのない通知。
【世界権限:干渉者の選択を要求します】
俺のスマホにも同時に表示された。
紗奈が震える声で言う。
「これ……蓮の?……違うよね……」
俺は息を呑んだ。
世界が──選ばせている。
紗奈を救うか。
世界を救うか。
そして表示はゆっくり点滅した。
【選択猶予:23:59】
タイムリミット付き。
その瞬間、俺は確信した。
ここからが本当の地獄だ。
俺は紗奈の手を握り直し、口を開いた。
「紗奈。ここから先、全部言う。絶対に置いていかない」
紗奈は泣きそうに頷いた。
世界は敵だ。
でも紗奈は味方だ。
そして俺は干渉者だ。
タイムリミットは24時間。
死のログは七つ目。
代償は紗奈の記憶。
干渉の結果は──世界崩壊。
読者にとってはここからが一番美味しい。
そして画面の奥の世界が、残酷な文字を追加した。
【干渉の代償:対象の“感情依存記憶”剥奪】
対象──紗奈。
俺の手が震えた。
“好き”の記憶から消えていくって意味だ。
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