第22話 管理区

施設の外観は想像よりも普通だった。

高いフェンスと監視カメラはあるけど、基地とか研究所みたいな物々しさはない。

むしろ──病院に近い。


車を降りると、夜風の匂いが急に変わった。

消毒液と草の匂い。それに、何か金属っぽい匂い。


紗奈は俺の手を掴んだまま。

手が冷たくなっている。


奏が受付に声をかけると、電子ロックが開いた。


中は白い光に満ちていて、静かすぎた。


沖田が案内しながら説明する。


「ここは“管理区域07”。

未来干渉能力の適性が確認された者を保護・観測する場所だ」


紗奈が震え声で聞く。


「保護……って言うけど、研究もするんでしょ……?」


沖田は隠さない。


「する。

だが、拘束や解剖はしない。

今はもう非効率だ」


その“今はもう”の部分が不気味だった。


廊下を曲がるたび、

壁の向こうから“心電の電子音”、“ゆっくり歩く足音”、“押し殺した泣き声”が聞こえてくる。


紗奈が不安そうに俺を見る。


俺は言う。


「大丈夫だ。俺がいる」


それは紗奈を安心させるための言葉だった。

でも、本当は違う。


──俺がいないと紗奈を守れない。


それだけだ。


奏が一室の前で立ち止まった。


「ここが“居室”。

入所者用の部屋よ。

今夜はここで寝て、明日から検査と面談がある」


部屋にはベッドが二つ。

机、本棚、洗面。

病院の個室みたいだ。


紗奈が意を決したように聞く。


「ねぇ……叔母さん。

どうして、私のこと……こんなに詳しいの?」


奏は扉を閉め、ゆっくりと紗奈の目を見る。


「紗奈。

あなたは小さい頃から“視ていた”。

未来の断片を。

夢を通して」


紗奈の呼吸が止まる。


「そんなの……知らない……!」


奏は静かに首を振る。


「忘れたのよ。

脳が勝手に“夢だった”ことにした。

あなたが怖がりすぎたから」


紗奈は震えて言う。


「嘘……そんなの……」


奏は続ける。


「ここに来たのは初めてじゃない。

あなたは何度も検査を受けた。

私も一緒にいた。

ただあなたは何も覚えてない」


紗奈は一歩後ろ下がる。

目は揺れて、涙が浮かんでいる。


俺は奏を見る。


「なんで紗奈は覚えてないんだ」


奏は短く答えた。


「副作用よ。

未来認知は脳の“視覚領域”を強制的に上書きする。

結果、短期の記憶と夢の記憶が混ざる」


沖田が淡々と補足する。


「ああいうタイプの認知能力者は珍しい。

未来映像がそのまま“夢”になる個体は数人しかいない」


紗奈は声を震わせた。


「じゃあ……あの“白い部屋”も……?」


奏は頷いた。


「未来の存在よ。

あそこは“事象選別室”。

あなたが未来に進むか死ぬかを決める場所」


紗奈は壁に手をついて息を吐いた。


俺の視界はクリアなはずなのに、胸だけが重かった。


奏が振り返って俺を見る。


「蓮君。

あなたの能力は純粋な未来改変。

対して紗奈は未来観測。

干渉者と観測者はセットで現れることがある」


俺は声を出す。


「……じゃあ、この未来は変えられるのか」


奏は頷く。

だが同時に、目に微かな苦味も走った。


「変えることはできる。

ただし──代償がある」


紗奈が顔を上げる。


「代償……って、蓮くんの記憶……?」


奏は静かに頷く。


「ええ。

それもただの記憶じゃない。

“世界が矛盾を嫌う部分”ほど早く消える」


沖田が時計を見ながら言う。


「説明は明日続きをする。

二人とも疲れてる。

検査もある。今日は寝ろ」


奏が出口へ向かう前に一度だけ振り返った。


「紗奈。

あなたの夢はもうすぐ“未来”ではなくなる。

近いうちに、あなたは“今から死ぬ自分”を見るかもしれない」


紗奈の顔から血の気が引いた。


扉が閉まる。


静寂。


ベッドの端に座った紗奈は、両手を膝の上で握り締めていた。


しばらくして、小さな声で呟く。


「蓮くん……怖い……」


俺は隣に座り、手を握った。


本当は俺も怖い。

紗奈を失うことが。

紗奈を忘れることが。

紗奈の“死ぬ未来”を見ることが。


全部怖い。


でも俺は言った。


「大丈夫だ。

紗奈は俺が守る」


紗奈は涙をこぼしながら笑った。


「守ってばっかりで……蓮くんが壊れちゃうよ……?」


俺は答える。


「壊れてもいい。

紗奈だけは失いたくない」


紗奈は息を呑む。


目の奥まで震えて、涙が落ちた。


「私……蓮くんのこと……」


その言葉の続きを聞いた瞬間──

頭の奥でまた何かが“落ちた”。


ノイズみたいな白い音。

瞬間的な空白。


紗奈の手が強く震える。


俺は呼吸を乱しながら言う。


「……ごめん。

また……何か抜けた」


紗奈は泣きながら首を振る。


「いいよ……いいよ蓮くん……

忘れても……私がずっと……繋いでるから……!」


その言葉が刺さった。


俺は紗奈の額にそっと額を合わせた。


紗奈は目を閉じ、小さく息を整えた。


二人の距離は世界で一番近くて、

それと同じだけ──世界で一番脆かった。


その夜、俺たちは眠りについた。


その数時間後。


紗奈は初めて夢で“自分の死”を見る。


そして世界は、また動き始める。

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