第17話 夢
翌朝。
紗奈を家の前で待つ俺は、奇妙な既視感に襲われていた。
七周目ともなると季節の匂いすら“二度目”に感じる。
春の乾いた朝の空気。
うるさいくらい元気な鳥。
通学途中の小学生の足音。
全部一度は見た風景だ。
でも今日だけは違った。
俺は目的を持ってここに立っている。
紗奈を死なせないために。
「おはよ、蓮」
振り返ると、いつもの制服姿の紗奈がいた。
だがその顔色は余裕がなかった。
「眠れてねえだろ」
そう言うと紗奈は苦笑した。
「まあ……昨日の電話のせいでね」
確かに。
死ぬとか世界とか未来とか、そんな言葉を投げられたら普通は眠れない。
俺はごめんとは言わなかった。
謝罪は弱さだ。今は不要。
「行くぞ。病院」
「……学校、休むの?」
「俺一人で先生に言っとく。心臓は学校より優先だ」
言い切ると、紗奈は一瞬黙ってから頷いた。
「うん」
バスに乗り、最寄りの循環器専門病院へ向かう。
俺が選んだのは、紗奈が六度目に死んだときに救急搬送された病院だ。
あの日、紗奈は心室細動を起こして20分で死んだ。
けど今の俺はもう知ってる。
予兆があるなら殺せる死じゃない。
受付を終えると、しばらく待合室で時間を潰すことになった。
白い椅子に腰掛ける紗奈は、落ち着かずに足を揺らしていた。
「ねえ蓮」
「ん」
「昨日の話、本当なの?」
“六回死んだ”という話のことだろう。
俺は嘘は嫌いだから、誤魔化しもしない。
「本当だ。
交通事故で一回、廊下で一回、階段で一回、そして……最後は心臓だ」
紗奈が息を飲む。
「……私が死んだら、時間が戻るの?」
「そうだ。代償は俺の記憶だ」
そう言うと紗奈は目を丸くした。
「記憶……消えてくの?」
「思い出の分だけ。取引みたいなもんだ」
紗奈は震えながら声を搾り出す。
「そんなの……そんなのひどいよ……」
違う。
一番ひどいのはそこじゃない。
俺は紗奈の目を見て言った。
「紗奈、お前は俺のことを覚えてても、俺はお前を忘れる。
それで平気そうな顔して隣にいろってのが……一番ひでえ」
紗奈の表情が歪む。
涙が滲んで、そのまま頬を伝った。
やっと泣けたらしい。
泣いていい。
生きてる証拠だ。
そんな空気の中、名前が呼ばれた。
「相良紗奈さまー、診察室へどうぞー」
紗奈が立ち上がり、俺も横に並ぶ。
診察室に入ると、そこには中年の医師がいた。
白衣姿で、落ち着いた目をしている。
「相良さんですね。今日は心臓のチェック…と」
医師がカルテを見て眉を上げた。
「あれ。以前にも救急搬送歴がありますね」
紗奈の肩が跳ねた。
俺の背骨が冷える。
“六度目の死のログ”がカルテに残っている──!
俺が思考を巡らせるより早く、医師がカルテをぽんと叩いて笑った。
「といっても一年以上前の記録だけどね。心室性不整脈。
若い子では珍しいけど、今は落ち着いてるようだね」
一年以上前?
違う。
俺の七周目では“昨日”だった。
つまり──
過去の死が世界線に残ってる。
俺の手のひらに汗が滲む。
医師は紗奈の方を向き、言葉を続けた。
「胸が苦しい日があるって記録にも書いてあるね。
じゃあ心電図とエコー、それから血液検査もしよう」
そのまま検査室へ移動。
紗奈は胸に電極を付けられ、静かに検査が進む。
俺は外の椅子で待ちながら考える。
(死のログは消えない。
でも紗奈の意識はリセットされる。
俺の記憶は消費される。
世界線は塗り重なる。)
改めて気づく。
俺はタイムリープしてるんじゃなくて──
世界がやり直してるだけだ。
検査は15分ほどで終わった。
廊下に出てきた紗奈は薄く笑った。
「平気だったよ」
その笑顔は俺にはどう見ても“平気”じゃなかった。
戻った診察室で医師はモニターに結果を表示した。
「相良さん、心電図に少し気になる波形がありますね。
PVC(期外収縮)が頻発している可能性があります」
そして紗奈に向かって言う。
「あなた、最近悪い夢を見たり、胸が締め付けられたりしない?」
紗奈は小さく頷く。
「……します」
そこで医師はペンを置いて、俺たちをじっと見た。
そして口にした。
「“突然死”っていう言葉、聞いたことありますか?」
紗奈が固まる。
俺は握り拳を作った。
医師は続ける。
「多くは心臓の電気的な問題です。
でもね、その背景に“ストレスや強い恐怖”が関与している例が多い。
不整脈の誘発因子としてね」
“恐怖”
“夢”
“突然死”
全部繋がった。
だがここで終わりじゃない。
医師はカルテをめくりながら付け加えた。
「心臓は脳と同じで“記憶”を持つ臓器です。
怖い夢が続くなら、心臓を通して身体が“何かを覚えている”のかもしれない」
紗奈の夢──蓮が死ぬ夢。
それは“未来の記憶”か?
医師はふと時計を見て、言った。
「……紹介したい人がいます。
心理学と心臓の研究をしている方で、時々ここに来るんです」
そしてその名を告げた。
「相良 奏」
相良。
紗奈と同じ苗字。
血の気が引いた。
「俺の叔母さんだよ」
紗奈がそう呟いた。
叔母。
心臓と記憶の研究者。
夢の裏側を知る人物。
ここでやっと核心に触れる。
医師は立ち上がり、診察室の扉を開いた。
「今日はちょうど来ています。
奥のラウンジにいますので、お会いになってください」
外の廊下には大きなガラス窓があり、
光の中で一人の女性が資料をめくっていた。
紗奈と同じ黒髪。
紗奈より少し鋭い目。
だが優しい雰囲気。
“紗奈が未来に生きた姿”みたいな女性。
俺と紗奈は歩き出す。
心臓がやけにうるさかった。
そして、叔母は顔を上げた。
紗奈を見るなり、柔らかく笑う。
「紗奈。久しぶり」
だが俺を見た瞬間、笑みが止まり──
表情が一変した。
まるで“俺を知っている顔”。
「──あなた、やっと来たのね」
息が止まった。
世界のルール。
死のログ。
紗奈の夢。
俺の記憶。
心臓の電気。
運命の周回。
全部知ってる目だ。
七周目にして、俺は初めて確信する。
紗奈は一人じゃない。
俺も一人じゃない。
世界は丸ごと敵だ。
でも──味方もいる。
叔母は名乗った。
「相良奏。
“夢で見た未来”の研究をしています」
紗奈が震えた声で言う。
「叔母さん……まさか……」
奏は静かに答えた。
「紗奈。あなたの夢は──ただの夢じゃないわ」
そして俺に向けて告げた。
「蓮君。あなたの戦っている“未来のログ”の話をしましょう」
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