第10話心臓の音と世界の意地

 「蓮、ほんとに大丈夫?」


 放課後の図書室。

 俺は机に突っ伏したまま、顔だけ横に傾けて紗奈を見た。

 息が詰まるくらい綺麗だった。


 紗奈はいつも通りだった。

 何事もなかったみたいに笑ってて、無警戒で、俺に近い。

 すべてを知らない。

 五回も死んだことも、その度に俺が時間を戻したことも、記憶の一部を代償にしていることも。


 何も知らずに、ただただ心配してくれる。


「寝不足? 最近ずっと顔色悪いよ」


「……寝てないだけ」


 本当は寝てないわけじゃない。

 寝付く前と目覚めた後に、毎回紗奈の死にざまがフラッシュバックして、呼吸が狂うだけだ。


 紗奈は俺の前にしゃがんで覗き込む。

 距離が近くて、心臓が変な音を立てる。


「ほら、顔上げて。……見せて?」


 細い指先が俺の頬に触れた。

 触れた瞬間、熱が走って、脳がぶっ壊れたみたいに痛む。

 紗奈のことを好きだった記憶が、ごっそり抜けてる感覚が一瞬した。


 ——まだ抜けてない。まだ忘れてない。


 その事実にほっとした。


 指先を離した紗奈が、ちょっとだけ眉を寄せた。


「馬鹿。なんでちゃんと人に頼らないの?」


 それは多分、五回死んだ世界の紗奈の中で一番優しい顔だった。


「……頼ったら迷惑かけるだろ」


「迷惑かけていいよ。蓮なら」


 その一言が刺さった。

 簡単に世界は壊すのに、紗奈は簡単に救う言葉を言う。



 図書室を出ると、帰り道は夕焼けで赤く染まっていた。

 紗奈がコンビニの袋を揺らしながら言う。


「蓮、家寄る? お母さんカレー作ってるよ」


「今日平気」


「平気じゃないでしょ」


 容赦なく刺してくる。


「紗奈さ、なんでそんなに俺のこと構うんだよ」


 聞いた瞬間、紗奈が困ったように笑った。


「なんでって……蓮のこと好きだからだよ」


「……っ」


 世界が止まったみたいだった。


 好きってそういう意味か?


 友達の好きか?

 家族みたいな好きか?

 それとも、俺が望んでる好きか?


 分からなかったけど、紗奈は気にした様子もなく歩き出してしまう。


「ほら、なにしてるの。追いつきなよー」


 俺は追いかけた。

 理由なんていらなかった。



 横断歩道の前で立ち止まった紗奈が言う。


「ねぇ蓮」


「ん?」


「もしさ、私が死んだらどうする?」


 心臓が握り潰される音がした。


 なんで今、その話題を出すんだ。


「死なねえよ、お前は」


「そんなの分からないじゃん。明日事故るかもしれないし」


「事故らせねえよ」


「どうやって?」


 信号が青に変わる。

 車が止まる。


 紗奈は笑った。


「蓮が助けてくれるの?」


 俺は返せなかった。

 五回助けられなかったことを知っているから。



 家まで送ったあと、紗奈は玄関の前で振り返った。


「また明日ね」


 絶対的に自然な“また明日”

 五回とも、これで終わった。


「……紗奈」


「なに?」


「明日、迎えに行く」


 紗奈が目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。


「……うん。じゃあお願い」


 それだけ言ってドアが閉まった。



 夜。

 俺は机にノートを広げていた。


 死因、発生日、時間帯、条件、不確定要素。

 四周分の情報を全部書き出す。


 交通事故 → 老朽化 → 転落 → 交通事故

 順番じゃない。

 共通点もないように見える。

 だが一つだけあった。


 必ず“放課後に”起きている。


 しかも全て“帰宅の導線”に絡んでる。


 紗奈が学校を出て、家に帰るまでのあいだで必ず死ぬ。


 帰路のルートを変えても、時間を変えても、俺が張り付いても。


 紗奈は死ぬ。


 例外はない。


 世界の意志は単純だった。


“紗奈は生存を許されていない”


 それが前提条件。


 そしてもう一つ。


 紗奈が図書室で言った言葉。


「なんでそんなに構うの?」

「蓮のこと好きだからだよ」


 その言葉が、世界の意志を殴りつけてくる。


 紗奈は、生きているから優しい。

 生きているから笑って、俺を好きでいてくれる。

 その全部が、生存の証拠だ。


 死んだらなくなる。


 世界はその証拠を奪い続けてくる。


 なら、俺はその証拠を守る。


 例え何十回死んでも、思い出が全部剥がれても、名前を忘れても。


 その時はまた好きになるだけだ。


 紗奈が生きてる限り。


 心臓が痛いほど跳ねた。


 明日が来るのが怖いのに、同時に楽しみだった。


 迎えに行く。

 守る。

 奪わせない。


 それが俺の全部だ。

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