第5話 紗奈side〜秘密は、誰にもバレないように
六月の終わり。
チャイムの余韻が消える頃、私はそっと振り返った。
蓮はまた私を見ていた。
癖みたいなものなんだろうけど、正直あれは反則だ。
見られると、心臓が勝手に忙しくなる。
でもそれを悟られるのはもっと嫌だから、あえて軽く言った。
「……ねぇ、見すぎ」
本当は“見てくれて嬉しい”のほうが近い。
でもそれは一生言わない。
言ったら終わる気がするから。
放課後、私は早足で自販機に走った。
屋上は好きだけど、上る前に呼吸を整えないといけない。
蓮と会う時の呼吸は、いつだって上手くできない。
ペットボトルを二本買う。
蓮の好きなレモンティーは、特に迷わない。
私が覚えているという事実が、蓮にとっては大したことはなくても、
私にとっては“特別の証”だ。
屋上に着いた時、ちょっと息が上がっていた。
階段が長いんじゃなくて、気持ちが急いでるからだ。
「蓮、飲み物買ってきた」
そこから先は、いつものやり取り。
私が勝手に押して、蓮が困って、でも結局付き合ってくれる。
それが好きで、同時に苦しい。
蓮はフェンスにもたれて空を見ている。
横顔が昔より大人っぽくなった。
私よりずっと先を歩いているみたいで、時々寂しくなる。
「今日さ、天気予報では雨だったんだよ。だから屋上来れないなって思ってたのに……ちゃんと晴れた」
そう言ったら、蓮に否定された。
たぶん普通ならムッとするんだろうけど、私は笑った。
蓮のそういう理屈っぽさは、意外と好きだ。
私の曖昧を綺麗に整えてくれるところがあるから。
体育祭の話をしたのは、あれが本当に嬉しかったから。
蓮はあっけらかんと“幼馴染”を選んだ。
周りにどう見られてるかとか、面倒なことを考えないで言ってくれた。
私の立場から言えばそれは結構な事件なんだ。
蓮が無自覚で私を選んだ、っていうそれが。
でもそんなこと、絶対言えない。
幼馴染は便利だ。
恋も友情も曖昧で済む。
傷つかない。
期待しすぎない。
終わらない。
そのくせ、距離は誰より近い。
——ずるい関係だ。
でも私はそれを壊す勇気がない。
蓮の隣で笑える現状を手放したくないから。
ふと靴紐が緩んでいたので結びなおす。
視線を下げると、蓮の影が地面の隣に落ちている。
それだけで少し安心した。
スマホを開いて写真を見せた。
体育祭の集合写真。
私は蓮の表情を指差した。
「あ、この蓮、私的に優勝なんだけど」
蓮は困った顔をした。
でもそれがいい。
蓮は、自分の良さを全然分かってない。
そこがまた好きだ。
「知らないとこで優しいやつが一番優しいんだよ?」
それは私の持論だけど、蓮には当てはまる。
蓮は気づかないうちに人を助けたり、庇ったりする。
本人は照明の端に立っているのに、気づけばステージの中心にいるような人だ。
——好きになるに決まってる。
でもその気持ちは隠しておく。
秘密は秘密のままのほうが綺麗な時がある。
階段を降りながら、口が勝手に質問を漏らした。
「ねぇ、蓮。私っていいやつ?」
我ながら面倒な質問だと思う。
他人に性格評価をされたいんじゃなくて、蓮の言葉が欲しかった。
蓮ならどう見るのかを知りたかった。
蓮は少し考えて、静かに言った。
「“ちゃんと生きてる感じする”」
その言い方は初めてだった。
良いとか悪いとかじゃなくて、存在そのものを肯定された気がした。
胸の奥で何かが溶けて、じんわりしみる感じがした。
「……そっか。よかった」
それしか返せなかった。
嬉しいときほど、人は言葉が減る。
校門を出たところでクレープの匂いがした。
匂いに気づいたのは私で、蓮は鼻が鈍いらしい。
「後悔しに行こうよ。食べて」
蓮は呆れた顔で笑った。
笑うとき、蓮の右頬に薄くえくぼができる。
あれを知ってるのは幼馴染の特権だと思う。
「……分かったよ。行くわ」
許可をもらう必要なんてないのに、私の胸はその一言で軽くなる。
私はよく喋るけど、蓮は大事なところだけ喋る。
だから刺さる。
商店街を走りながら、私は思った。
——私は蓮のことが好きだ。
でもそれは誰にも言わない。
言わなくても隣にいられる関係が、今は一番大事だから。
クレープ屋の行列に着いて、並びながら蓮を覗き見る。
蓮は気づかない。
気づかないって、なんて残酷で優しいんだろう。
蓮が買ってくれたクレープを受け取り、
紙ナプキンで包まれたそれを頬張る瞬間、私はこっそり願う。
——どうか今日が終わりませんように。
でも世界はいつも残酷だ。
時間は止まらないし、終わりは必ず来る。
だから私は笑う。
笑って誤魔化して、誤魔化した分だけ日常が延命する。
蓮がクレープを一口齧る。
苦そうな顔。
それが面白くてたまらない。
そんな一瞬の光景が、誰にもバレない私の宝物だ。
蓮の横顔を見ながら、私は心の中で小さく呟いた。
——お願い。全部失くなりませんように。
その願いが叶わないことを、この頃の私はまだ知らない。
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