第3話夏の中の体温

紗奈とのLINEは、夜中まで続いた。


くだらない話ばかりだったのに、いつのまにか日付が変わっていた。

既読の数と返信の速さが、全部“生きてる”証拠みたいで苦しかった。


翌日の朝、俺が靴を履いているとインターホンが鳴った。


「れーんー、いるのー?」


その声だけで心臓が跳ねた。

玄関の扉を開けると、紗奈が立っていた。

部活のジャージに、寝癖を隠すためのキャップ。

顔は化粧してないのに、そういう時の方がよほど可愛い。


「おはよ。水筒忘れたから取りに来たら、ついでに蓮呼んだ」


「ついでってなんだよ」


「なんか、来る気がした」


そう言って笑う。

紗奈は理由なく人を誘える。

それが当たり前のようにできるのは、好意を“負担にしない”人間だけだ。


外は朝の熱を含んだ空気が漂っていた。


「走って部活行く?」


「走る気か」


「うん。どうせ早く着きすぎるし」


そこで紗奈はポニーテールをキュッと結び直す。

その一連の仕草が、男子が死ぬやつだと知っているのだろうか。


走り出した紗奈は速かった。

息を切らしながら追いつくと、横目でニヤつかれる。


「ほら、運動不足ー」


「俺は文系なんだよ」


「文系とか関係ない。命は走るのが仕事」


さらっと言って先に行く。

こういうセリフがいちいち刺さる。


学校に着くと、校舎の前に部活の仲間が集まっていた。


「紗奈っ、音楽室開いてた!」


吹奏楽部の後輩が叫ぶ。

紗奈はそっちへ向かいながら振り返った。


「蓮、またね」


“またね”じゃなくて“じゃあね”じゃない。

これが距離を決定的に近づける。


***


その日の昼休み。


購買前は戦場だった。

焼きそばパンが秒で消えるのは全国共通らしい。


取れなかった俺は廊下でため息をついていた。

そのとき背中をつつかれた。


「敗北の背中って感じ」


振り向くと、紗奈が焼きそばパンと牛乳を持っていた。

しかも焼きそばパンは二つ。


「……お前まさか」


「はい、英雄参上。蓮の分も確保」


「ありがとう。いやでも、並んだのお前だろ」


「並んだのは私で、食べるのは蓮。持つべきものは幼馴染だねぇ」


軽く笑いながら購買横の階段に座る。

俺も隣に座る。


「……代金は?」


「焼きそばパンの代金は、焼きそばパンで返すのがルール」


「そんなルール聞いたことねえよ」


「私が作った」


紗奈はパンをちぎって口に入れ、牛乳を少し飲んで、言う。


「それにさ……どうせ蓮、私に何回も救われてるし」


その言葉に胸が跳ねた。


たぶん紗奈は、ちょっとしたことを言ってるだけなんだ。

宿題を写させてもらったとか、プリントをもらったとか、そういう類いの話。


でも俺は知っている。

本当に救われているのは、もっと深い部分だ。


そのまま視線は前に向いていて、顔は見えなかったけど、

ふっと紗奈の声が低くなった。


「……蓮ってさ、いつも自分のダメなとこ先に言おうとするじゃん」


「え?」


「文系だからとか、運動不足だとか、モテないとか、なんか知らないけど」


「いや、事実だろ」


「そういうの、別にいいのに。先に自分で自分の価値低くするの、もったいないよ」


焼きそばパンを食べる手を止めずに、淡々と言う。

説教っぽくない。

むしろ“気づいたことを共有”しているだけに聞こえる。


「私は好きだよ。自分の弱いとこを先に出せる人」


喉が詰まった。

告白じゃない。

でも十分だった。


「あとね」


紗奈は牛乳を飲み干して言った。


「弱いとこ言える人の方が、強い人より優しいんだよ」


ここまで言える女子高生がどれだけいる?

中身の話ができる子だ。

価値の話ができる子だ。


そりゃ好きになる。

読者だって好きになる。

これで沼らなきゃ嘘だ。


***


放課後、紗奈は練習室でフルートを吹いていた。

吹奏楽部の練習は外にまで響いてくる。

扉の小窓から覗くと、細い腕が楽器を構え、音を滑らせていた。


フルートは紗奈に似ていた。

音は柔らかいのに、芯が強い。

息の使い方が難しいらしいが、紗奈はそれを苦にせず奏でる。


中間休憩のタイミングで、紗奈が練習室から出てきた。


「あ、見てたの?」


「ちょっとだけ」


「どーだった?私の才能」


「……ずるい」


紗奈は目を丸くして笑った。


「ずるいって何」


「何やっても似合うし、何やっても本気だろ」


「褒めてる?」


「褒めてる」


「ありがと。でもね、私そんなに器用じゃないよ?」


その言葉に俺は首を傾げた。


「どう見ても器用だろ」


「そう見えるだけ。私、努力するしか能がないの」


淡々とした声だった。

自慢でも卑下でもない。

ただの事実。


「才能なんて無いから、やることを面白くするしかないじゃん。だから本気に見えるんだよ」


その笑顔は太陽みたいだった。


部活に戻る前、紗奈は言った。


「蓮、夏休み、予定入れてこ。逃げられないように」


「……誰から」


「私から」


俺は思わず笑ってしまった。


「逃げないけど」


「そーいうことは逃げない人しか言わない。だから楽しみにしとく」


紗奈は軽く手を振って戻っていった。

部室の扉が閉まる。

音が再び校舎に広がる。


(……これを失う未来があるのか)


考えただけで胃がねじれた。


***


夜、家で風呂上がりにスマホを見ると、通知が一つ。


──紗奈今日の練習の音、送っとく


音声ファイルが添付されていた。

再生すると、吹奏楽の合奏が聞こえた。

フルートの旋律が空気の上を走る。


それを聞いていたら、不意に思い出した。


小五の自由研究で、紗奈は“音の研究”をしていた。

楽器の音を波形で比較するっていう謎の研究。

俺はその研究を見て笑っていた。


——そう、笑っていたはずだ。


だが、具体的に何を話したか、何を笑ったのかが思い出せない。

記憶が輪郭だけになっている。


(……まただ)


巻き戻しの代償は、思い出の“詳細”を奪っていく。

しかし不思議と“好意”だけは残っている。


好意は記憶に依存しないのか。

依存してるはずなのに。


紗奈から新しいメッセージ。


──紗奈てかさ、今日の昼のあれ、ちょっとカッコよかったから言っとく


──どれ


──紗奈焼きそばパン負けて落ち込んでた時。背中で分かった


──それ褒めてるのか?


──紗奈褒めてる。落ち込むのって生きてる証拠だよ


心臓に刺さるような言葉ばかりだ。

紗奈は、誰かの価値を拾うのが上手い。

そして拾った価値を返すのが更に上手い。


そんな人間、好きになるしかない。


布団に潜り込み、スマホの光に照らされながら目を閉じた。


(……この夏を守りたい)


そう思った。


守るために、俺は時間を使う。

記憶を削る。

感情を燃やす。


代償なんて、もうとっくに払う覚悟はできている。

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