第2話 思い出という代償
巻き戻し後の教室は、放課後のざわめきに満ちていた。
窓から吹き込む風がカーテンを揺らし、黒板の粉が淡い白を描く。
俺はまだ心臓の奥にさっきの痛みを引きずったまま席に座り込んでいた。
周囲の会話は呑気なものばかりだ。
友人がテストの愚痴をこぼし、女子たちがアイドルの話で盛り上がっている。
その“普通”さが、逆に異常だった。
さっきまで紗奈は死んでいた。
葬儀場にいた。
俺は白い布に包まれた彼女を見た。
それが今は……生きている時間の中にいる。
世界が雑に“元に戻した”みたいな違和感が喉に引っかかる。
机の上に置かれたスマホが震えた。
──
文字だけで脳が熱を持つ。
昨日、いや一度目の昨日も同じ文面だった。
俺は立ち上がり、カバンを掴んで教室を出る。
また同じコンビニに向かう。
また同じ道を歩く。
だが、違いは確かにある。
俺はもう紗奈の死を知っている。
そして巻き戻しの代償を知っている。
角を曲がると、紗奈はいた。
ランドセルじゃなくスクールバッグを片手に、石垣に腰掛けて、スニーカーの踵を踏んづけている。
「おそーい!」
声が弾んでいる。
その声が、死ぬ時もこんな風に生きてたのかと思うと喉が詰まる。
「何ジロジロ見てるのさ」
「……生きてんなって思って」
紗奈は瞬きをした後、ふっと笑った。
「生きてるよ?そりゃ。まだ夏休みの宿題終わってないし」
軽く言って笑えるのが紗奈だ。
そこには“恥を見せることを恐れない素直さ”があった。
思い返すと、紗奈はいつだってそうだった。
たとえば小学校の頃。
ピアノの発表会で、緊張しすぎて最初の音を外した俺に、袖で小声で言った。
『やり直せばいいじゃん。誰も最初のことなんて覚えちゃいないよ』
慰めじゃなくて、前に押す力だった。
それで本当に弾けたし、終わった後に紗奈は笑ってハイタッチをしてくれた。
それから中学のとき。
俺がサッカーの試合に出られなくなった時、
部活帰りに汗臭いままコンビニの駐車場に座り込んでいたら、紗奈が出てきてジュースを投げて寄越した。
『控えってそれ、必要だからいるんでしょ?いないと回んないのが控え。ちゃんと偉いじゃん』
そういうところがズルいのだ。
上からでも、慰めでもなくて、ただまっすぐに“価値”を見つけてくれる。
それを当たり前にできる女は滅多にいない。
人は普通、自分のことで忙しくて、他人の小さい挫折なんていちいち拾わない。
拾えても言葉に変換できない。
ましてそれを笑って渡せるなんて、才能だ。
だからこそ俺は──惹かれた。
そういう積み重ねが、淡々と、日常の中に刺さっていた。
「アイス買ってきた?」
紗奈に聞かれ、袋の中を見て固まった。
……買っていない。
1回目では確か買った気がするのに、今回は買ってない。
コンビニへ向かう道にあったはずの買い物の記憶がごっそり抜けている。
(……まさか、これが代償か?)
巻き戻しの瞬間に失ったのはコンビニ帰りの会話だけじゃない。
細かい流れごと抜け落ちている可能性がある。
「もしかして忘れたの?」
「……悪い」
紗奈は笑って立ち上がった。
「いいよ。じゃあ一緒に買いに行こ」
文句を言わない。
責めない。
簡単に許すでもない。
ただ自然に隣を作る。
それができる女は、本当に強い。
***
コンビニの冷凍ケースを覗き込みながら、紗奈が言う。
「で、どれ?」
「好きなの選べよ」
「聞いてるのは蓮の方。私はこれ」
そう言ってアイスバーを抱えた紗奈は、視線をずらさない。
“相手にも選ばせたい”という姿勢がある。
自分だけじゃなく、ちゃんと相手も参加させる。
結局俺はチョコモナカを取る。
レジを出たあと、紗奈は歩きながら冷えたアイスを頬に当てて感嘆した。
「この冷たさで生き返るんだよなぁ。文明最高」
こういう馬鹿みたいなセリフすら、妙に胸に刺さる。
死んだ人間が言ってた言葉だからじゃなく、言葉に生きる温度があるからだ。
***
コンビニを出てすぐの横断歩道の前で、俺は呼吸を整えた。
この先をどう変えるべきかはわかっていない。
けど、一つだけ確かなことはあった。
紗奈は“死に収束する”。
なら、俺は“どう死ぬか”を先に知る必要がある。
「紗奈。今日さ、家戻ったら俺に連絡入れてくれ」
「ん?なんで?」
「……ちょっと確かめたいことがある」
紗奈は目を細めて言った。
警戒ではなく、観察の目だ。
「そういう言い方されると気になるじゃん」
「頼む」
「……まあいいけど。つまんない用事はナシだからね?」
「つまんないわけがねえだろ」
「……何その言い方」
照れたように目を逸らす紗奈。
柔らかい部分を見せる瞬間は、いつだって一瞬だけだ。
横断歩道が青に変わり、車が止まる。
俺たちが渡りきろうとした瞬間、紗奈のポケットからスマホが滑り落ちた。
「あっ──」
地面に落ちる。
拾おうと屈んだ紗奈。
その向こうから自転車が飛び込んでくるのが見えた。
咄嗟に腕を掴んで引っ張る。
タイヤが俺の足のすぐ横を通過し、金属音が弾ける。
「危なっ……!」
自転車の男は叫びながら行ってしまった。
紗奈は腕に抱えられた格好になり、目を丸くしている。
「び、びっくりした……」
「もうちょいで轢かれてたぞ」
「……ありがと。蓮、早すぎ」
頬が赤い。
死に近づいた緊張なのか、助けられたからかはわからない。
けどその顔は、確かに生きている顔だった。
***
その日の夜。
家で待っているとスマホが鳴った。
──
俺は短く返信する。
──
すぐに返ってきた。
──
そんな他愛もない文面に、胸が詰まる。
だがその瞬間、俺はふと気付いた。
(……紗奈が俺の好きな味のプリンを知ってることを、どうして知ってるんだ?)
幼い頃、俺が牛乳プリンばかり食べていたこと。
紗奈はそれを見て、家の買い物にそれを追加するよう兄の智久に言っていたこと。
その思い出を、俺は今“思い出せなかった”。
脳に空白がある。
痛みではなく、穴だ。
巻き戻すたびに穴が増えるのか?
ベッドに倒れ込み、天井を見つめる。
(……思い出を削りながら救うってことか)
なら問うべきは一つだ。
どれだけ削っても、俺は紗奈を好きでいられるのか?
その問いは怖かった。
けど、答えはとっくに決まっている。
──紗奈を失う未来の方が、よっぽど怖い。
俺はスマホを胸に乗せたまま、目を閉じた。
(次は、絶対死なせない)
世界はまだ静かだった。
だが確かに動き始めている。
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