とおーはち くる

 夜の川は意識を流し草木は佇む。

 月が恥をささやかに照らし、夜の散歩は絶え間なく存在が入れ替わるから、楽しい。


くる、こない、くる。


 わざわざ靴音がよく響く靴を選んだ。コツ、コツ。

 空が落ちて来るから走らないといけない。靴擦れが酷いから走れない。だから潰される。存在はくる、こない、くる。

 靴を血まみれにしてコココッ、と鳴らしてみれば労働は川に溶けて消え、照らされたわたしの影はねじれて跳ねる。

 暴力的なまでの植物の成長に怒りを感じるからそれを一つ引き抜こうとする。

 きしきしと音を立てて千切れ、やっぱり手は血まみれになる。草の反抗、柔らかな皮膚は佇んでいるものを拒絶しているから傷つく。


 足も手も血を流して、意識は川に流れて、月は日増しに巨大に見えるから、ささやかな恥が途轍もなく、容赦のない光でわたしを潰している。

 潰れても形が変わるので、それはすぐにくる、こない、くる。

 夜に入れ替わる存在は川と草木で、鉄とコンクリートと人のままだから行けず、来れず、磨滅していく。潰れればそこから擦れてなくなる。

 入れ替わるべき存在がもうなくなってしまったから、夜の散歩はアスファルトと吸い殻と犬の糞と、わたしの唾液で満ちている。


 満ちている。月の光で。

 頭の中を追い出そうとするから、唾を吐き、潰れないよう大地を踏みしめる。


 くる、こない、くる。


 夜の散歩は楽しいから、川に足を浸して、飛び回る羽虫を手の中に隠して遊ぶ。

 子供のころは嫌だった。虫は何もしなくても死んでしまうものだと思っていたから。

 家から離れるほど、靴の音は弱弱しく、また川も大きな川に合流してしまって、車とバイクの喧騒に照らされる。

 ここでは存在が絶え間なく入れ替わることもなく、ただ散歩、ただ歩行だけが浮き彫りになっていく。

 わたしは歩く人で、空は落ちてこないし、夜の散歩はここでおしまい。

 靴音も響かず、そのまぶしさに眩み、背を向ける。

 対向車がやってきて、どちらへ向いても固定される存在が気に入らない。


 だから、小道へ、支流へと、入り組んだ世界へと、夜の散歩を求める。

 大通りはただ過ぎるだけで、


 くる、こない、くる。


 そうしたものがないから、音がないから、さっき付けた傷が痛くてたまらない。

 ぎゅっと拳を握って、引き返そう。

 夜の川に、意識を流して、佇むのだ。

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