解説欲
人は、なぜ自らの創作を解説したくなるのだろうか。分からん。というか、私がしたくなるというだけの話に依拠して、主語を人類全体まで拡大したことを、ここに詫びておこう。ごめんね。ともかく分からんのじゃよ。
作者みずから作品を解説するなど恥ずかしいったらない。
私はわりとそう思っているが、実際のところは、別にそんなことはない。個人の好みなので当たり前である。たとえば、筒井康隆の御大はたまーに自分の作品を解説していらしたりする。そうでなくても創作本を書くとき自作を例にとる作家は多いように思う。
解説したいし、されたいのだ。たぶん。
イカニモもっともらしい解釈をすれば、創作というのは自己を表現する手段であり、自己表現を公開するとはつまり、俺(私)をみてくれーーー!! という比較的穏やかな変態性欲である。すまん。性は余計だった。
しかし、先のはあくまでもっとらしく見える解釈でしかなく、実態は違うように思う。もちろん、分からん。
少なくとも私に限れば、作品を書き上げて公開するたびに、一万字に迫る勢いであーだこーだ語りたくなってしまうが、それを見てほしいからの一言で切って捨てられると泣きそうになっちゃう。と、思う。
近しい概念に承認欲求というのがあるから、それかもしれんとは思う。これだけ色々と考えてるんだよ、凄いでしょ、凄いって言えである。そら恥ずかしい。
なので、語るとしたら質問に答える形にしたいが、まずもって作品に質問を送ってくる人など変態の域に最接近している善人だ。目的も分からん。いや分かる。お前(私だ)の作品よくわかんねーから教えろ、が多そうだ。
とすると、語りたくなるのは自作の稚拙さを自覚しているからで、解説で補足するのは不安感を低減せしめようとする己の浅薄な以下略である。むつかしい言葉はきらい! なので、言い換えよう。
どうせ私の作品に興味ある人なんかいないから自分で自分の――いかん惨めになりすぎてしまう。さすがに、これはこれで恥ずかしい。
だが、悲しいかな、私の作品のうち初期の作品については『小説家になろう』の方で、烏滸がましくも『あとがき』なんてのをつけちゃってたりする。とても、とても恥ずかしい。消したい。けれど、あえて残しておく自虐もまた美味で困る。
ようやく、解説がしたいのかしたくないのか、わからなくなってきた。アンビバレンツ。青春の香りだ。友達未満、恋人以上の関係。金銭の授受を伴うセ○レ。
なんで今回に限って性的な単語が散りばめられているかというと、たぶん、本当に恥ずかしがっているからです。脳が感情に引っ張られて出てくる単語がそっちに偏っているのです。
だいたいにして、こんな創作論めいたものを書きたがるうぜー輩(私だ)なんてものは解説したがりに決まっておる。
でも、解説したくない。のは。
解説したいと思わない人に、ある種の憧れがあるのかもしれない。超然的っていうか、かっこよい。気がする。つまり、私が解説をしたくないのは、解説したい欲があるからだ。
んでは、解説しようとは思わない人は、どう考えているのだろう。
これをトレースすれば私も余計なこの欲を捨てられるのだが、これが分からん。分かりたい。聞いて、答えてもらえたとして、私は納得できるのだろうか。
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