「助けてください―②」
「だっでぇ……春宮先生っ、助けてくれなかったもん」
薬師寺の本音。
どういった事情か封をされ、決して吐き出すことのなかった薬師寺の気持ち。
取り繕ってるわけじゃない。嘘でもない。
初めて、本当の意味で薬師寺の心が視えた気がした。
そうだ……、俺は薬師寺を助けなかった。
「いま……いまそんなこと言われても、もう知りません」
涙混じりに続けて拒絶される。
反応が出来ない、返す言葉が浮かばない。
本当に……本当に、薬師寺からすればどの面下げてって話だから……。
わかってる。
それがわかってて、それでも言わなくちゃいけない。
「ダメだよ薬師寺。このままじゃダメだ」
「……ぅ……んっ」
扉越しに嗚咽が聞こえる。
息遣いも荒く、少し興奮してるのかもしれない。
今の薬師寺の気持ちを想像は出来ても本当の意味で理解してあげることは出来ない。
芝居を打って寄り添うふりはしたくない。
だから、今から伝える言葉は偽善者による世界一薄っぺらい言葉。
こんな人間の言葉が薬師寺の心に刺さるとは思わない。
だけど、どうか受け止めて欲しい。
受け止めて……俺じゃなくてもいいから、信頼出来る誰かに頼って欲しい。
「ここで間違えると、これから先も間違え続けるかもしれない……。事情は違うけど先生がそうでさ、今も間違い続けてる最中で……こういうのって引き延ばせば引き延ばすほど後で凄く後悔して、どこかで必ず精算させられる……。逃げ切れるなんてことはないんだよ」
「先生の場合は完全な自業自得だから今の薬師寺を当て嵌めて言うのはお門違いかもしれないけど……それでも、ここなんだよ。ここで向き合わないとずっと狂い続ける」
「帰って……」
「先生は……俺は、そんなふうになって欲しくない。今の俺が、何もしなかった俺が、何言ってんだって思ってると思う。俺も思いながら話してる……。でもな薬師寺」
「……わない………もう、絶対会わない。裏切り者」
「薬師寺っっっっ」
自然と、大きな声が出た。
勢い任せでいい。
ここで押し切れないなら居る意味がない。
「俺じゃなくていい、信頼出来る誰かでいい。言伝てでも手紙でも手段は何でもいい……。一番楽なやり方でいいから、薬師寺の気持ちを伝えて欲しい」
「ん……ぅ……」
「自分から助けてって言わないと助からない」
それでも。
「それでも、どうしても話せない事情があるって言うなら、どうして話せないのか教えて欲しい」
「他の誰かじゃない俺に、今、教えて欲しい」
涌き出てくる言葉を全部吐き出す。
口が開く度に身体に籠る熱がどんどん上がっていって……凄くどうしよもない気持ちになって、抑えきれない。
こんなものが詰まってたのかって、今までどうやって抑え込んでたのかって、不思議に思う。
10秒、20秒とゆっくり過ぎていき、薬師寺からの返事は返って来ない。
代わりに嗚咽を抑えながらすすり泣く音だけが聞こえて……。
まだ……まだ、ダメか?
そこまでして、まだ我慢する必要があるか?
顔を見よう……薬師寺の。
もう一度、顔を見て伝えよう。
ここで逃げ道を残しちゃいけない。
扉に手を添える。
ドアノブを握ってるせいか少し固くて、力を込めるも扉は開かない。
これ以上は立ち入って来ないで欲しいと、薬師寺の意思が感じられる。
立ち入らないわけにはいかない。
力を緩めるわけにはいかない。
今扉を開けないと、ずっと向こう側で立ち止まったままになっちゃうから。
だから。
もうやめよう、薬師寺。
「わたし、なにもしてない……。わたしからは……なにも、やってないのにっ……ぅ……んっ…。ど、どうじで、学校に行けないのでしょうか……?」
聞き逃しそうなぐらい震えた声で、薬師寺が囁く。
開かない扉の向こうで、薬師寺が……。
「あ……頭を、叩かれました……。荷物持ちも……させられました……」
「う……んっ……ビ、ビンタゲームとか言って、顔も叩かれました。冗談とか言って……スカート
「首を絞められました。変な貼り紙を貼られました……。うっ………ぅ……い、一生、イジメ続けるって言われました」
「あ……明日までに死んで来いって言われました」
「体育の授業に参加出来なかったのは……た、体操服を隠されて、着替えられなかったからです。ん……んんっ……お、音楽の授業に行けなかったのは……お腹を蹴られて、痛かったからです」
「色々……されて、色々、言われました……。くるじがったしごわかったでず」
「だ……だがらぁ、もういいやっでなりまじだぁ………。もういいやっでなっで、じのうとおもいまじだぁ」
――――(♠️)――――
身体中の穴という穴全てに針を刺されるという感覚は、今の状態を示すのかもしれない。
薬師寺の零す言葉一つ一つが神経を刺激して、心も身体もぞわりと浮き足立つ。
こんな……ここまでかって……。
薬師寺がイジメられていることは察していた。
察して何もしないでいた。
授業中、薬師寺にきつく絡む村上と南原を何回も見ていた。
あんなものただのイジメでしかないのに、イジリなんだって無理やり思い込もうとしていた。
そういう絡みをするのは初めのうちだけで、時間が経てばなくなるよなって心の中で願っていた。
薬師寺が、村上達から受けてるイジメを知っていた……知ったつもりでいた。
見ていたのなんて、察していたのなんて、ほんの一部でしかないのに。
こんな……こんなことまでやっていたのか。
涙を流して、嗚咽を挟んで、薬師寺は続ける。
ゴールデンウィークに入る前日、帰り際、村上に笑いながら告げられたらしい。
『ちゃんと死んどけよ』
その言葉を受けた薬師寺は帰宅後、自宅のマンションから飛び降りようとした。
初めは自分の住んでる8階から飛ぼうとして、いざ下を見下ろすとあまりの高さに足がすくみ飛ぶことが出来なかった。
8階が無理なら7階、7階が無理なら6階と少しずつ階が下がっていって……最後、2階から薬師寺は飛んだ。
着地の際、手足を地面に打ち付け軽い打撲と捻挫の軽症で済むも、そのとき感じた痛みから嫌でも想像してしまう。
もし8階から飛んでいたらどうなっていたのだろう……。
今、自分がしようとしたことは……。
想像して想像して想像して、たくさん嫌なことを考えて、薬師寺の心は壊れた。
「どうじで……どうじでこんなこどしたんだろうっでっ、こわぐなりまじだぁ……。じにたぐありまぜんっ」
「でも……ん……でもぉ、がっごうにいっだらまだなんがいわれで……いや、だがらぁ……いぎだぐないっでなりまじだぁ」
薬師寺の気持ちが溢れてくる。
ぽつりぽつりと呟いて、涙して、言葉を聞くたびに張り裂けそうになる。
思わず口が滑りそうになって……。
「ごめ」
ごめんって言っちゃいけない。
そんな資格どこにもない。
見捨てて、その後だって何もしなかったのは誰だ?
今の薬師寺を見て、同情して、途端に手のひらを返してごめん?
どの口でそれを言う。
薬師寺が苦しんでるってわかってて動かなかった。自分を優先した。
悩みも葛藤も逃避も、全部が薬師寺を犠牲にした上で成り立っていた。
あぁ。
俺はずっと、罪を犯し続けて来たんだな……。
扉の向こうにいる女の子を踏み台にして、自分が楽でいるために……ずっと。
償わなくちゃいけない。
「ひっ……ぅ……お、おごっでぢゅういしでもっ、ぜっだいまだやっでぐるもん」
「も、もじ……ぃ……もじおどなじぐなっでもっ……ご、ごんどはほかのごたちにぢゅうもぐされで……う、うわさされるじ……がらがわれだりする……ぅもんっ」
「だがらぁ、いまのままがいぢばんいいんでずぅ……。な、なにもしないのがぁ……ぃ……いぢばんあんぜんだもん……っ」
しゃっくりが出るたびに何度も言葉が切れて、それでも薬師寺の思いはちゃんと伝わる。
「だから話さなかったのか?」
「……ぃ……ひっ……ぅ……ううぅ……っ」
返事は返って来ない。
だけど、もう大丈夫。
何があったのかも、薬師寺の気持ちも、全部伝わったから。
勇気を出して踏み出してくれた。
踏み出してくれたなら、俺も正しく答えないといけない。
ここだけは、何があっても絶対に間違うことは許されない。
橘先生に任せればなんて、そんな考えはもうどこかへ吹き飛んでしまった……。
なんだろう、今の気持ち。
凄くしっくりくる。
初めて正しい形を見つけた気がする。
そっか。
そうだよなぁ………俺、先生なんだ。
薬師寺のこと、守ってあげないといけなかったんだ……。
春に合縁中学へやって来て、今までずっとごちゃごちゃした気持ちを抱えてた。
ス――って、そのごちゃごちゃが洗われていく感じ……。
よかった、気付けて。
――――(☆)――――
会話が切れて、しばらくが経つ。
荒々しく聞こえた息遣い、嗚咽、しゃっくりの音もだいぶ落ち着いてきた。
開くなら、今しかない。
ドアノブに手を添えて……力を込めずとも、きっと開く。
―――向こう側の景色を。
薬師寺がいる。
薬師寺が膝を抱えて、顔を
扉を開いたことに気付いたのだろう、気まずそうにより深く
泣き顔は見えない。見せてくれない。
だけど、さっきと違ってちゃんと薬師寺を見て言葉を伝えられる。
立ったままじゃいけないよな……高さ、合わせないと。
膝を着いて、手を着いて。
目の前の薬師寺になんて言葉を伝えよう。
「薬師寺さ、月曜日学校に来いよ。薬師寺が不安に思ってること、全部消しとくから」
薬師寺に対する謝罪もおばあちゃんへの説明も、やるべきことをやって資格を得た後でいい。
まず初めにやるべきは、行動で示すこと。
薬師寺を……この子を、元の場所に帰してあげないと。
それこそ物語の主人公みたいに、学校に通って、友達を作って……まあ恋に落ちたりとか、薬師寺が歩むはずだったあるべき居場所に戻してあげないと。
なかったことには出来ない。
心を修復してあげることも出来ない。
だけど、取り返しの付く部分が少しでも残ってるなら、一つ残らず全て返してあげないと。
「そんなごど……そんなごどでぎるならっ、いまずぐなんどがしでぐだざい……っ」
「するよ」
さっきよりも聞こえやすくなった……。
大切な話をするのに、やっぱり扉は必要ない。
「もう一度言うぞ、薬師寺。月曜日学校に来て欲しい。月曜日の学校には嫌なもの全部なくなってるから……。村上達のグループもちょっかいを掛けて来ないから……普通に通えるようになってるから」
「……うぅ……だがらぁ」
「月曜日がダメなら火曜日でもいい……火曜がダメなら水曜でも。一週間後でも二週間後でも、夏休みが明けた後でもいい」
「……ぅ……もぅ……」
「教室に入って、何となく嫌な雰囲気を感じたらその時点で帰ってもいい。恐くなって教室の扉が開けないなら無理して入らなくていいから……薬師寺が大丈夫だって心の整理がついた後で、学校に来て欲しい。今薬師寺が出した勇気を無駄にしちゃいけない」
信用出来ないよな、俺の言葉。
でも、信用してもらえないのに信用してもらいたいなら、結局はお願いするしかないんだ。
どれだけ自分勝手で都合が良くても、無理やり押し切る形でも、嫌々でも、どうか聞いて欲しい。
いつもの自分なら間違いなく固まって何も言えないだろうこの場面で、薬師寺にとっての酷なお願いをしよう。
「だからな薬師寺、ここは一つ、漫画好きの好美として先生のこと信じてくれないか……? もう、これっきりでいいから」
目が合った。
顔はぐちゃぐちゃで、涙で濡れて髪がそこらじゅうに引っ付いてる。
思春期真っ盛りの女子には絶対に見られたくないって顔してる。
でも、これでいい。
お願いをするならちゃんと目を合わせて言わないといけないから。
答えが返って来なくとも、思いが届いたと信じて今日の話はここでおしまい。
これ以上言葉なんて出て来ないし、しつこく迫っても薬師寺を困らせるだけだから。
薬師寺は薬師寺で今からたくさん考えて、悩んで、最後には答えを出してくれると思う。
俺は俺で帰ってしなくちゃいけない準備がある。
学校での雑務はサボり確定。
職員会議も、次の授業の計画も、提出書類の確認も、宿題のチェックも、全部が後回し。
そんなことよりも第一に優先すべきことが出来た。
何度も間違えて、間違い続けて。
繰り返し行われた現状の維持に甘んじるだけの誤魔化し合う日々は、今をもって終了とする。
終了とするから、ここで変わろう。
誤魔化す相手はもういない。
薬師寺の気持ちは伝わった。
自分が先生なんだって、本当の意味で初めて理解出来た。
だから、他に必要なものは二つだけ。
覚悟と、辞表と。
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