❀第139話「花咲 薫」と「花咲 桜子」

 五月八日、火曜日。真新しい制服を身に纏い、私たちは手を繋いで家を出た。


 花咲 薫と、花咲 桜子。同じ家に暮らし、同じ高校に通い、同じ名字をしている。けれど私たちは、兄妹ではない。


「花咲 桜子です。これから、よろしくお願いします」


「花咲 薫です。よろしくお願いします」


 朝のホームルームにて。私は三階で、彼は四階で、新しいクラスメイトの前で自己紹介をする。


 慣れない環境に不安はあるけれど、きっとふたりなら乗り越えられると思う。薫くんは、ずっと私の心の支えだった。


「――桜子ちゃん、帰ろ?」

「あ、薫先輩。ちょっと待ってー」

「あっ、桜子ちゃんの彼氏さんですか? イケメンですね!」


 前の席になった女の子が、興味津々といった様子で彼に駆け寄る。薫先輩は微笑を浮かべ、「花咲 薫です」と端的に名乗った。


「あれ? ハナサキってことは、彼氏さんじゃなくてお兄さんですか?」

「ううん、違うよ。私の夫」

「へ?」

「ふふふ。先生に呼ばれてるから、詳しいことはまた明日。今日は話しかけてくれて、ありがとね。バイバイおんちゃん!」

「ん! また明日」


 きょとん顔の凜音ちゃんに手を振って、私は薫先輩の隣に行く。ここは誰にも譲れない、私の定位置だ。


「なんかね、確認とかで、一回職員室に寄ってってだって」

「あ、本当に呼ばれてたんだ」

「そうだよ。友だち作りたいのに、変な嘘をつくわけないでしょ」

「そっかそっか、頑張ってね」


 校内地図を頼りに、私たちは職員室に辿り着いた。要件はなんてことなく、書類のちょっとした確認だ。


 花咲 桜子って、いい名前だなぁ。と、字を見るだけで心がぽかぽかする。これから何度、私はこの名前を書けるのだろう。




 いつもどおりに、手を繋いで家へと帰る。


 彼と一緒に高校生でいられる期間は、彼が私の「先輩」でいてくれるのは、あと一年未満だ。


 夫婦として歩む道はもっと長いだろうけれど、この日々を噛み締めて生きないとなぁ、としみじみ思う。毎日毎日、大切にしたいと思う。


 彼に手を引かれて歩いた、入学式の日を思い出す。グレーのブレザーを羽織った背中を。手のたくましさと、ぬくもりを。なぜか泣きたくなった不思議な気持ちを。





 ――契約から始まったあの一年間の日々は、夢のようなものだった。嫌なことをみんな忘れて、後ろめたさを感じずに、無邪気に、何度めかになる初めての恋をした。

 被害の記憶を持ったままなら、あんなふうに恋に夢中にはなれなかったと思う。夢見たような幸福だった。「花泥棒先輩」のおかげで、私は今も彼の隣で生きられている。


 優しい嘘の魔法にかけられた一年間だった。つらいことのあとに記憶がおかしくなって、時には性格まで大きく変わってしまって……そんな桜子は彼にとって、文字どおり何度も「別人」になったのかもしれない。

 事件に遭うたび、死にそうになるたび――変わってしまった桜子を、彼はいつでも愛してくれた。記憶を失って、何度めかになる初恋に落ちた桜子を、彼はいつも「初めて恋をした女の子」として扱ってくれた。

〝ループ〟という魔法は、彼にとっても救いだったのかもしれない。ループしたから、彼女は変わった。そうことで、恋人に自分を忘れられた苦しい日々を耐え抜いたのかもしれない。


 彼は、いつでも真っ直ぐだった。一本の筋が通ったひとだった。途絶えぬ記憶、変わらぬ愛。彼はいつでも「彼」だった。


 そう、桜子は心から信じている。

 ――この世界は、本当にループしていたのか。おかしくなったのは、実はなのか。

 人格が分かれてしまうこと。記憶を失ってしまうこと。記憶を改変すること。すべては、身と心を守るための防衛機制。少なくとも私は、ループしていないふたりをいる。

 しかし、ふたりが思い出さないのなら、私も口を噤んでおこう。おかしくなったのは、こちらの頭の中だけかもしれないのだから。


「私は、薫くんの全部ぜんぶ、すべてが好きだよ。貴方のすべてを愛してるよ」


 あるいは、もしかすると……彼は桜子の「罪悪感」を背負ってくれたのかもしれない。

 何度「桜子ちゃんは悪くないよ」と言われても、桜子は心からそう思うことができなかった。ちょっとした言葉でも傷ついて、また「私が悪いからこんな目に」って考えてしまった。

 だけど彼の意志で時を巻き戻してループした、ということにしたならば、彼は「俺のせいで苦しめちゃった、ごめんね」と言うことができる。彼のせいではないのに、彼は「自分のせいで」と罪悪感を背負うことができる。

 そんな自己犠牲精神をもった愛も、彼は桜子に与えてくれたのかもしれない。

 ……なーんて、これは単なる私の妄想。


「ごめんね、桜子ちゃん」


 薫くんは、いつもこう。自分を責めて自罰に走る。言っても言っても、深い傷には、なかなか勝てない。それでも――いや、それだからこそ、私は何度だって彼に伝える。


「薫くん。薫くんは、なんにも悪くないよ。何度も助けようとしてくれて、ありがとう。貴方は私の光だよ」


 桜子も彼も、大きな傷を抱えて生きている。心療内科のお世話になるし、薬もいろいろ飲んでるし、フラッシュバックにいつも怯える。

 もしかすると、一緒にならないほうが良いふたりなのかもしれない。一緒になると破滅するふたりなのかもしれない。

 

 傷を抱えて生きる人生は茨の道で、過去の記憶に何度も苦しめられる。現在だって怖くって、そんな道を歩んだ未来も、明るいものだとは思えない。そう塞ぎ込んでしまう日だって、未だにあった。


 あの四月一日をふたりで迎えられる可能性は、4.9パーセントだった。当たりが1パーセントの確率のガチャを五回引いて、当たりがひとつ以上出る確率が、およそ4.9パーセント。

 でも、一回以上なんてそもそも存在しなくて、もしかすると五回の繰り返しも存在しない。それは間違った計算式で求められた最大限の希望だった。


 4.9パーセント。まるで魔法みたいな数字だった。4.9パーセントの魔法に守られて、五回ループした世界のなかで、私たちは最後の恋をした。


 これは優しい嘘か、狂気の妄想か、悪魔の呪いか、救いの魔法か……真実は、わからない。


 私たちが永遠の眠り姫になるまで、この茨の道は続いていく。きっと、つらいことばかりの人生になる。でもね、これは悲しいことじゃない。


 私たちの恋は、悲劇じゃない。幸せに繫がる道なんだ。たとえ棘に刺されて血を流しても、私はこの道を歩き続ける。貴方の隣で、たくさん笑って、時には泣いて、幸せを目指して生きていく。


 甘酸っぱい恋、とはよく言うけれど、私たちの恋は何味だろう。ラズベリー味のグミも悪くないけれど、私はカフェオレだと思ってる。ミルクたっぷりで甘くて、ほっとして、でもほろ苦いから、飲むとちょっと悲しくもなる。甘くて苦い、恋だった。


 眠りに落ちるそのときに、幸せだったと心から思えるように。この影に、いつか晴れ間が差すように。



 雲間から覗いたお日様が、彼の桜色の髪を儚く照らす。あたたかな肌を直に触れ合わせ、ベッドの上で迎える休日の朝。


「あいしてるよ、薫くん」


 桜子の呟きに、彼は花のような笑みを咲かせた。キスをして、ハグをして……愛し合うふたりを、私はずっと見ていた。

 こちらまでニヤけてしまうくらい、今のふたりは幸せそうだ。

 つらいことがたくさんあっても、最後はこんなふうに幸せでいてほしい。この希望は、透明な私の願える最大限。


 またいちゃついてら、と私は密かに呟いた。




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4.9パーセントの四月の桜 幽八花あかね @yuyake-akane

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