✿第138話「花咲 薫」と「紫月 桜子」
「おはようございます、薫先輩」
隣にいる桜子ちゃんが、俺に朝の挨拶をする。引越し先でも、俺らの寝室は一緒だった。ベッドは前より広いダブルベッドだ。
「おはよ、桜子ちゃん」
「十八歳ですね。お誕生日、おめでとうございます」
「ん、ありがとう」
五月七日の月曜日。今日は、俺の十八歳の誕生日。これで、俺も彼女も婚姻可能な年齢だ。
――今日、俺と桜子ちゃんは、役所に婚姻届を出しに行く。
書類に不備がないことを再確認し、ふたり一緒に家を出る。今は同居している母さんと父さんも、先月中頃に俺らの結婚を許可してくれた。
まあ仲良くやりなさいよ、とのことだ。たまには喧嘩もするだろうけれど、離婚するつもりはまったくない。ま、そりゃそうか。婚姻届を出す日から離婚のことを考えているカップルなんて、そうそういない。
ハート柄のピンクの婚姻届の上には、彼女と俺の名前が並んでいる。花咲 薫と、紫月 桜子。無事に受理されれば、彼女は今日から花咲 桜子だ。
「ふふふ。花咲、桜子。おめでたい感じがする名前だよね。サクラサクってことで、薫くんの現役合格にも期待ができます」
「桜子ちゃんと同学年になりたいから、一年浪人しよっかなぁ」
「薫くんも、国公立目指すの?」
「大学も桜子ちゃんと一緒のところ行きたいし」
「わぁ、私って愛されてるー」
彼女はえへへへと笑みを浮かべた。一緒に暮らすようになって、この世界だけでも一年以上。恋人になって、三ヶ月ちょっと。たまに病むことはあるけど、倦怠期らしいものはなく、今のところデレデレらぶらぶだった。
「いよいよですね、薫くん」
「いよいよですね、桜子さん」
「では行きましょう」
「はい」
ぎゅっと手を繋いで、市役所の自動ドアをくぐる。不安そうにキョロキョロとする彼女に「こっちだよ」と俺は言って、ふたりで窓口に向かった。
「――おめでとうございます」
窓口の方がにこりと笑う。意外にすんなりと、婚姻届は受理された。ふたりで手を繋いで、再び自動ドアをくぐる。
「出せましたね」
「はい、出せました」
「……私たち、今日から本当の夫婦?」
「ん、そうだね」
「私、花咲 桜子」
「うん、そうだよ。俺のお嫁さん、花咲 桜子ちゃん」
「なんか、夢みたい。薫先輩の『本当のお嫁さん』になれたなんて」
「桜子ちゃん」
「ん?」
青葉が茂る桜の木の下、俺はふと立ち止まる。彼女は優しい笑みで、俺を待っていてくれた。
「一生、大切にする。不倫も浮気も絶対しない。花泥棒には、もうならない。俺が愛したいのは、桜子ちゃんだけだ」
「うん……知ってるよ。自分がどれだけ愛されてるか。私も、薫くんを大切にする。これから先、自殺は絶対にしないと約束します。大好きな貴方と生きていきます。――今度の終わりは、一緒がいいね。心中したいわけじゃなけいど、置いてかれるのは寂しいから」
「ああ、そうだね。……一緒がいいね」
大好きなひとと、今日も一緒に生きている。隣の彼女の手のぬくもり、やわらかさ、息遣い。すべてが尊くて、きっといつまでも愛おしい。
「そうだ、桜子ちゃん。これから何か食べに行く? さっき来るとき、いい感じのカフェ見かけたんだよね」
「じゃ、そこに行こう。お家には私が作るケーキもあるってこと、忘れないでね。チョコレートケーキ、今年も作ってあげたんだから」
「うん、ちゃんと覚えてる。めっちゃ楽しみにしてるよ」
俺らは再び歩きだし、初夏の桜から離れていく。彼女は「どういうメニューあるのかなー」と、楽しそうにルンルンしていた。
隣で生きる彼女は、俺の最愛。永遠に一緒にいたいと思うから、いつか来る別れのことは想像もしたくない。でも、きっと考えないといけない。
もうループすることのないこの世界。俺たちは、いつか絶対に死んでしまう。
第一希望は、同時に終わること。置いていかれる寂しさも、置いていく悲しさも感じず、ともに旅立ってしまうこと。
そして彼女には言えない、俺の第二希望は――俺が彼女を看取ること。
どの並行世界でも、俺は彼女の死に目にあえなかった。寂しく、苦しく、死なせてしまった。
もう、そんな思いをさせたくない。今度は安らかに、これまでの日々の幸せを感じて終わってほしい。
「そういえばさ、桜子ちゃん。『心に描き求めたものを具現化して行き先が決まる死後の世界』って、何?」
「具現化? 死後の世界? あー……わかった。あの子に聞いたのね。いいよ、教えてあげる。かつて死にたがりな女の子だった私は、死んだらどうなってしまうのか、毎日調べて泣いていた頃がありました」
「死にたがりな桜子ちゃんを、俺が抱きしめて慰められたらいいのにね」
「生気に満ちた桜子ちゃんなら、お隣にいますよ。お家で存分にハグしてください」
「いちゃいちゃ権を獲得しました。思う存分、愛します。それで――なんだっけ? あ、死後の世界の話だ」
「そうそう。これはね、もう生まれ変われない人たちの話なんだけど。神さまがね、尋ねてくれるの。『天国に、持っていきたいものはなんですか』って。天国も広いからね、その答え次第で行き先が決まるんだって。似たもの、同じものを心で思い描いていれば、彼らは向こうで再会できる。ま、たぶん作り話なんですが」
「なるほど。ちょっと面白いね」
「あの子が望んだのは、インクか紙でしょう?」
「そう、水飴のインクと薄氷の紙だって。ひとつだけなら、水飴のインクをって」
「――向こうでも書きたいんだね、貴方のこと」
図書室で会った、紫月さんは言っていた。ずっと近くで見ていたと。俺に姿が見えなくても、そばにいてくれたのだと。
俺らのことを、描いていたと。
「桜子ちゃんは……頭の中じゃなくて、リアルで小説を書いたことってある?」
「………………ある」
「なに、その謎の間」
「司書も目指してるけど、作家もなの」
「えっ?」
「私、小説家になりたいの。ジャンルで言えば、恋愛ミステリかな。公募に向けて書いてる」
「え、初耳なんだけど」
「はい、初告白ですから。……もー、恥ずかしい。ちゃんと結果だしてから言うつもりだったのに」
「なんか、ごめんね? でもすごいね。応援するよ」
「妻の夢を応援してくれる素敵な夫ですこと。わぁ嬉しい。薫くんには、なんかそういうのないの? 言って恥ずかしくなるような隠し事」
「……今すぐは、無理だけど」
「うん、なんかあるのね? 超楽しみにしておく」
「いつか――俺の話も知ってほしい。ループしていたときのこと。君のことを、どう思ってたか。桜子ちゃんがいなくなった世界で、どうしていたか。黒い感情もいっぱいあったから、恥ずかしいけど。繰り返した恋を、俺の視点で知ってほしい。俺も、書いてみるから」
「超超長文のラブレターってこと?」
「ま、そういう感じかな」
「わかった。首を長くしてお待ちします」
店のドアを開けると、カランコロンとベルが鳴る。席に案内され、ふたりで仲良くメニューを見た。
彼女はカフェオレを、俺はアイスコーヒーを注文する。彼女が作ったバースデーケーキが家にあるので、ここで食べるのはプリンにした。
「桜子ちゃん、大好きだよ」
「うん、私も大好きー」
コーヒーはほろ苦く、プリンは甘くて美味しい。にこにこ笑顔の彼女は、どうしようもなく可愛かった。
互いのスプーンで「あーん」をして、食べさせ合う。もっと何倍も美味しくなる。
幸せだな、と思った。ずっとこのままでいたいと思った。
この世界のふたりの最後。もしも同時が叶わないなら、俺は長生きして、桜子ちゃんより遅く死にたいと思う。
4.9パーセントを乗り越えた君が、どうか――俺の隣で、一秒でも一瞬でも長く生きられますように。
そして君が、今度は俺の隣で死ねますように。
最後まで、俺がそばにいてあげられますように。
最愛の妻の笑顔を見つめ、青空に密かな願いをかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます