❀第137話 ありきたりな青春のワンシーン −後−
「ねーね、先生。この当番表って、すぐ捨てちゃいますか」
「ゴールデンウィーク明けにはシュレッダーにかけて捨てる予定よ」
「そうですか……。あ、なら! 転校記念にこれ、私たちにくれませんか? あ、個人情報とかの問題で駄目ですかね。そしたら私たちの名前の部分だけでいいです」
「自分らの名前のところだけ、他の部分はその場でシュレッダーに入れること。っていう条件を守ってくれるなら、いいわよ」
「ありがとうございます! ね、先生。転校記念に、
「あー、はいはい。しつこいわね。わかったから。好きにすればいいわよ。栞の一枚や二枚、勝手に作りなさい。後片付けはちゃんとして。……もしかしてあなたたち、最終下校時刻まで居座る気?」
「ふふふ、正解でーす!」
「頃合い見て閉めたかったんだけど?」
「あ、大丈夫です。口頭で許可だけ頂ければ。戸締まりとかはちゃんとしますよ。ご安心ください。元図書委員として、図書室はしっかり守ります!」
「ええ、お願いね。余韻だか追憶だか何だかよくわからないけど、無駄な心残りがないように去ること。立つ鳥跡を濁さず」
「はいはい、わかってます。本当、ありがとうございます先生。お世話になりました。――薫くん、あっち座ろ」
「……うん」
画用紙や折り紙、ハサミやのりを持って、作業用のテーブルにつく。
「こうやってさ、画用紙チョキチョキして、図書委員会で本紹介のポップ。作ったりしたよね」
「うん、したね。文学から選ぶやつで、たしか六月の委員会のときと、十一月かな」
「六月の私のオススメは、どの世界でも夏目漱石の『こころ』だった。今回の十一月では、夢野久作の『少女地獄』。貴方は毎回変わった。六月。一回目の貴方はエドガー・アラン・ポーの『ポー詩集』で、ポップでは「アナベル・リー」を紹介してた。二回目の貴方は高村光太郎の『智恵子抄』から「レモン哀歌」を。今の貴方は、六月に宮沢賢治の『春と修羅』から「永訣の朝」を、十一月に谷川俊太郎の『自選 谷川俊太郎詩集』から「二十億光年の孤独」を。……アナベル・リーはさておいて、教科書に載ってる詩が多かったね。たぶん、紹介に使った詩しか読んでないんでしょ? 薫くん、面倒くさがりだもん」
「正解。よく覚えてるね。あ、でも『智恵子抄』は全部読んだよ」
「あ、そうなんだ。やっぱり、私との思い出の一冊だから?」
「そうそう、思い出だから」
会話をしながら画用紙を切って、当番表の火曜日の部分を裏に貼る。ちょっと不格好かもしれないけど、落としたときに手元に帰ってきやすい……かもしれない。他の当番表の部分は、ちゃんとシュレッダーにかけておいた。
桜と葉っぱの形の穴あけパンチと折り紙で、栞をデコレーションする。最後に手貼りのラミネート加工をすれば、栞の完成だ。
「ふふふーん、『思い出の当番表・永久保存版』だね。ま、私本人も、貴方の隣に永久にいますけど」
「もう、いなくならないでね」
「はい、もういなくなりません。長生きして、貴方のそばにいてあげます」
私が栞を持ってにこにこしていると、彼は貸し出しカウンターのほうを見た。そして私のほうを振り返り、切なそうに笑う。
「図書委員の当番で、君の隣のあの席に座る。あれが、特等席みたいで、好きだった。委員会の集まりでも、隣にいられて嬉しかった。一年F組と二年A組だったから、隣り合っただけだけど。……でも、好きだった。とても。君と図書室だけで会う、あの頃も。俺はひどく愛していた」
「そっか。……最後、もう一回、座る? 今の当番の子たちが帰ったあと。こっそり」
「ん、座る」
時間つぶしに、そのへんに置いてあった本をテキトーにふたりで読むことにした。ドストエフスキーの『罪と罰』だ。どうせ読み切ることはできないだろうけど、のんびり最初のページからめくっていく。
図書室が閉まるのは、司書先生の気分によって変わることもあるけど、基本は最終下校時刻の一時間前。律儀に委員の仕事をしていた子たちと「戸締まりとかお願いします」「わかりました」という話をして、私たちはふたりきりになった。
ゆっくりと、なにかの儀式を行うように相手の手をとって、あの席に腰掛ける。とても懐かしい光景だった。あふれた思いが口から滑る。
「もしも、あの頃に帰れたら……。私は夏休み前最後の当番の日、貴方に告白する。それで、どんなにつらくたって、自殺しない。……私が自殺したせいで、貴方を何度もたくさん苦しめたと知っているから」
あの自殺さえなければ、悲しいループは起こらなかった。私が死なない世界でも彼と恋人になれるかはわからないけれど、もしも叶うなら、彼を苦しませない私になりたかった。
「俺は……あの頃に帰れたら。リスカ痕を見た日、ちゃんと相談に乗りたい。月に隠された告白に気づきたい。心に秘めずに、君を可愛いと思ったって、言いたい」
「帰りたいね、あの頃に。何も知らなかった頃に戻りたい。この図書室だけで会う、先輩と後輩に。今だって幸せだけど、記憶のなかのあの日が色褪せないの。ずっと輝きを失わない。あのとき、私はいじめられていて、つらいこともいっぱいあったって、知ってるのに。黒髪だった貴方に会いたい」
――私が桜子に憧れるように、桜子も私に憧れているのかもしれない。やっぱり、生者はすぐに割り切れないのかな。
過去に戻りたいと思ってしまう。人生の終わりがいつか見えないから、過去ばかりを見てしまう。桜子は、悲しそうに呟いた。
「……生きる時が、ずれてしまったからなんだね。こんなに悲しいと思うのは。貴方の記憶は一本で繋がっているのに、私は枝分かれしてる。貴方は私をずっと覚えていたのに、私には貴方を忘れていた頃の記憶がある。貴方を忘れた私と生きていた、貴方のことを覚えている。重なれないんだね、ずっと。ループした記憶と連れ添って生きた貴方と、ループした世界を
「わからなくて、いい。悲しむ必要はないけど、悲しいなら悲しんでいい。ループしなくたって、他人のことなんて全部わかることはできない。他人の苦しみをまったく同じ気持ちで味わうことなんてできない。俺も、桜子ちゃんが死んだときの苦しみは、絶対に理解できない。でも、わかろうとすることが。近づこうとすることが。相手と重なろうと会話をし続けるのが、愛なんだと思う。夫婦なんだと思う。……だから、俺は会話を続けるよ」
「……そうだね。私も、これからたくさんの会話を貴方とするんだと思う。あの頃が懐かしいけど、もう帰れないんだって知ってるから。私たちは、今の世界を生きるしかないんだね。桜色の髪の貴方と、生きてくんだね。……すべての私と時を重ねて、生きて、愛してくれた貴方と」
「……ああ」
ふたりが肩を寄せ合う姿を、私は離れたところから眺める。お似合いだな、と思った。不思議と嫉妬の感情は湧いてこない。
……紫月 桜子。貴女は生きているからこそ、彼に愛される権利がある。頑張って生きている桜子こそ、ご褒美に愛されるべきなんだ。
私は十五歳の幽霊だけど、貴女を見守るお姉ちゃんみたいな存在になりたい。桜子と彼の幸せな姿を見届けたい。
だから、心中なんてしないでね。死にたいって思うことは許してあげるけど、自殺はしたら駄目だよ。
頑張って生きて。幸せになって。私が叶えられなかった夢を叶えて。
日が落ちて、窓から見える月がぼんやりと輝き出す。まんまるではない、でも美しい。
「綺麗な月だね、薫くん」
「あぁ、とても」
最終下校時刻五分前を告げる放送が鳴りはじめる。桜子と花咲先輩は今日も仲良さそうに手を固く繋いで、この高校をしっとりと去っていた。
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