❀第132話 桜子と私 −前−

 最後の二〇一七年、四月二十四日。私は暇つぶしに彼女を描きはじめた。彼女のふりをして小説を書いた。


 桜子の脳内の図書館にしか存在し得ない物語。書き出しは、私が筆を執った瞬間の桜子の心の声から。


 ――『また女といちゃついてら、と桜子は心のなかで呟いた。』


 彼女を描くのは白々しかった。私はすべてのふたりを目にしてきた。半端な記憶の桜子は滑稽で、すべてを隠して桜子を愛する彼の姿は痛々しかった。


 桜子が羨ましく妬ましかった。彼に愛される彼女が羨ましかった。


 桜子に記憶の呪いがかけられて以来、私は彼女に付属するようになった。苦痛でならなかった。リードをつけられた犬のように、彼女から離れることができなくなった。


 少しでも気を紛らしたくて、彼女を描いた。きっと、私は彼女のようになりたかった。彼に愛されてみたかった。


 今日は、二〇一八年の四月二十五日。いつかの私が彼に恋した日から、一年が経った日。この恋を終わらせる日。


 これから再び自殺する――幽霊でさえもなくなるつもりだった私は、自分が書いた原稿を読み直した。


 透明な紙に透明なインクで書いたその文字は、紫月 桜子という存在にしか読まれない。桜子の精神世界にしか存在せず、桜子の精神世界ならば必ず存在する。


 ページをめくるうちに、何かがおかしいと気づいた。こんなこと、私は書いていない。そんな文章がちらほらとあるのだ。


『もしもし。――ねえ、聞こえる?』


 忌々しい声がして、私は顔を上げた。彼女は私を見ていない。きっと私が見えてない。


 視線は外れていたけれど、彼女の話し相手は明白だった。私の死に場所に来た理由、それは私に会うためだ。


『私の書いた文章、読んでくれた? ……貴女も返事を書いてくれれば、私に伝わると思うから。聞こえているなら、返事してほしい』


 ああ、まったく面倒くさい。労働を強いるなら金を払え。払われたところで私は使えないけど。


 そう思いつつ、硝子ガラスペンを手に取った。インクに漬けて、書いていく。彼女の文字の隣に並べる。


 なにが『私は貴女に生きていてほしい』だ。桜子の嘘つき。自分勝手に自殺した私なんて、いないほうがいい。って、思ってるくせに。


 ――うるさい


 四文字を書くと、彼女が笑った。まったくムカつく女だ。焼いて煮て食ったろか。


『……貴女に、お願いがあるの。今日の放課後、図書室に来て』


 誰が行くものか。そんな場所。彼との大事な思い出の場所なんだ。もう行きたくない。思い出を嫉妬で汚したくない。綺麗なままで保存したい。


 ――絶対、行かない


 彼女は私の言葉を読んだのか読んでないのか、瞳を伏せて頭を振った。


『ううん、こんな誘い方じゃ駄目か。――今日の放課後、私は図書室に行く。そのとき、私の中に入っていて。彼と話して。貴女にしか、できないの』


 ――あら。まさか貴女が消えて、私に主人格の座を譲ってくれると言うの?


 問うと、彼女の目が泳いだ。呆れたこと。どうせ自分が消える覚悟はないのだろう。他の桜子の可能性を奪ったくせに。


 今の桜子の中には、五人の桜子がいる。一人目、九月一日に自殺した二回目の桜子。二人目、クリスマスイブに殺された三回目の桜子。三人目、バレンタインデーに殺された四回目の桜子。四人目、五回目の三月一日までを覚えている桜子。五人目、〝花泥棒先輩〟と四月七日に出会った、すべてを忘れた最新の桜子。


 今の主人格は、五人目の最新の桜子。他の桜子は脇役で、脳内会議のメンバーで、たまに現実にも顔を出す。


 最新の桜子が忘れている間、他の桜子たちは箱に入っていた。ときどき隙間が開いて声を出せても、すぐに閉まって暗闇に戻る。付属した私も似たようなものだった。ナンバリングするなら六人目? 本当は一人目だと名乗りたいところだけれど、離脱したのでしょうがない。まあ、とにかく狭い暗闇に閉じ込められていた。


 一番に外に出られたのは、四人目の桜子。十五歳の誕生日にレモン味のキスをした桜子。クリスマスイブの観覧車で、彼女は記憶の箱から飛び出した。彼女が帰ってきたおかげで、最新の桜子にも記憶が共有された。平易な言い方をすれば、記憶が戻った。五回目の人生の記憶が一本の線に繋がった。


 次いで外に出られたのは、その他のみんな。三月一日の夜、フラッシュバック。箱がパーンと爆発した。私を繋いだリードも切れた。全部の時空の桜子が帰ってきた。枝分かれした全部のルートの記憶を、桜子は共有することになった。


 ――『バラバラだったものが、ゆっくりと繋がっていく。白雪姫が王子様のキスで目覚めるように、は目覚めた。』


 ここまでが、私の書いた物語。私は彼女から逃げ出した。桜子から離脱した。彼に愛される桜子を見続けるのが、つらくて。


 それ以降のふたりがどうなったか、私は知らなかった。……最新の桜子が勝手に加筆した、この原稿を読むまでは。


 大好きな彼が、桜子のせいで死にかけた。全部の桜子が戻ってきたのに、最新の桜子が未だに女王さまをしていた。司令塔となっていた。


 こんな女に主人格を乗っ取られても、他の桜子は抗議しない。いったい、どうして。


 桜子は言う。


『主人格の座は、渡せない。私たちの意思じゃ変えられない。みんなで暮らしていくうちにわかったことだけど、私が起きてる間は、主人格は私なの。たまに出てくる子もいるけど、一時的で、主人格にはなれない。だから、貴女もこの体の主人格にはなれない』


 ああ、バッカみたい。


 ――なら、その誘いには応じない。私抜きでラブラブしててよ


『それじゃあ駄目なの! もうラブラブできないのっ!』


 桜子が叫ぶ。怪しまれないように誰かに電話をかけているふりをしているようだけれど、こんな大声を出したら不気味です。情緒不安定なのかしら。


 ――どうして駄目なの?


 仕方ないから聞いてやると、桜子は唇を震わせた。いや、泣きたいのはこっちのほう。二度目の自殺を邪魔されて、鬱陶しいったらありゃしない。


『薫っ、先輩が……このままじゃ、自殺しちゃう。助けて、桜子』


 ―― ..・..・


 すぐにでも反論できるようにと構えていた硝子ペンから、インクが落ちた。点々と、点々と。……先輩が、自殺する? どうして??

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