❀第130話 あなたのせいじゃない、のに

 幸せは、ずっと続くものじゃない。わかってた。わかったうえで、私たちは生きることを選んだはずだった。


 夜。薫先輩がこそこそとベッドを出ていく。しばらく経ったあとで、私は彼を追いかける。彼の手には、犬の散歩用のリードがあった。しかし、私たちは犬を飼っているわけではない。


 このリードが首吊り自殺を行うために用意されたものであることを、元自殺志願者であった私は知っている。


 微かな音から彼の動きを察して、手遅れになる前に――部屋の明かりをパチリと点ける。


「さ、桜子ちゃん?」

「かおるくんも、おきてたの? わたし、お水のみたくなっちゃって。用事おわったら、一緒にベッドもどろうね」

「う、ん。そうだね、うん……」


 寝ぼけたような声で言って、彼の自殺未遂に気づいていないフリをする。今日で何回目だろう、彼が死のうとしたことは。


 私と一緒に生きてくれるはずだった彼が、私を裏切ろうとしたことは。




 別の日。また彼は死のうとした。寝室のドアのところで、非定型の首吊りで死のうとしていたから、私がハサミでリードをちょん切ってやった。彼は驚いたような顔をしたあと、泣いた。


「ねえ、薫くん……。薫くん。どうして、私のこと置いてこうとするの?」

「……ごめん」

「私のこと嫌いになったなら、そう言ってよ。死んじゃ嫌だよ。なんで、私より先に死のうとするの?」

「……」

「薫くん」


 ぼろぼろと泣く彼を抱きしめて、私は彼をベッドへと連れていく。


「桜子ちゃん」

「ん?」

「最近……寝れてないでしょ」

「うん、そうだね」

「俺のせい?」

「違うよ」

「じゃあ、フラッシュバックのせい?」

「…………そう、だね」


 眠りにつくと悪夢を見るから、私は最近眠れていない。殺された日を鮮明に思い出すから、寝るのが怖い。


「薫くん。明日も休みだし、しよ?」

「うん、いいよ」


 彼に抱かれて、気持ちよくて幸せで、いっそこのまま死んでしまいたいと思う。彼に置いていかれるくらいなら、ここで一緒に死んでしまいたい。


「――薫くん」

「なぁに、桜子ちゃん」

「月曜から、過去の私が死んだ場所に行こう。お話をしよう。それでも、あなたの死にたい気持ちが変わらなかったら――」


 私も、あなたと一緒に死ぬよ。





 月曜日の放課後。大学校舎の最上階に行く。一回目の私が、飛び降り自殺をした場所。


「このときの私の最後の言葉、知ってる?」

「知らない」

「『好きでした、花咲先輩』だよ」

「……そう、なんだ」



 火曜日の昼休み。高校校舎の屋上に行く。二回目の私が、飛び降り自殺をした場所。


「ここからね、あの中庭が見えるの」

「うん、知ってるよ」

「あのとき、私の左目は失明していたから……こんな感じかな」


 私は薫先輩の左目を手のひらで覆った。手のひらがじわりと濡れる。


「そっか。……これが、あの日の桜子ちゃんが見てた景色なんだね」



 水曜日の放課後。私が前に住んでいたアパートに行く。三回目の私が殺された場所。この世界でのお母さんとお父さんが死んだ場所。


 いわくつき物件でお安くなったあの部屋は、無事に入居者が決まったらしい。小さな女の子を連れた母親らしき女性が、部屋から出てくるのが見えた。


「……あの場所に、私のパパとママの幽霊はいるのかな。大丈夫かな、ケンカしてないかな」



 木曜日の放課後。とある工務店の倉庫に行く。四回目の私が殺された場所。この世界の薫くんが襲われた場所。


「……倉庫、なくなっちゃったんだね。更地だ」

「そうだね、もうなんにもないんだね」

「ありがとう、薫くん。この世界の私を、助けてくれて」

「……うん」



 金曜日の放課後。私たちは公園に行く。


 三回目の私たちが出会った場所。レモン味のキスをした場所。この世界の私が、薫先輩に助けてもらった場所。


「ねえ、薫くん。私が、この世界で生きていられたのはね、薫くんが、あの日に私に会いに来てくれたからだと思うの。過去の世界では、喧嘩したり、言葉が足りなかったりして、駄目だったけど……私には、薫くんさえそばにいてくれれば、幸せに生きられると思うんだよ」

「別に……俺がいなくても、桜子ちゃんは幸せになれるよ」

「過去の私が死んだのは、あなたのせいじゃない。あなたのおかげで、私は今日も生きてるの」

「……」

「だから……だから、叶うなら、もう死にたいって思わないでほしいよ。罪悪感はいらないよ」



 みんなで話したのに、いっぱいいっぱい話したのに、薫先輩の気持ちは変えられない。


「来週。学校の図書室に行こう。私たちが出会った場所に行って、そして……」


 これで無理なら、もう諦めるから。

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