❀第129話 二年D組、紫月 桜子 −後−

 放課後。制服姿で、彼の実家へと足を運ぶ。薫先輩は私をリラックスさせようとしているようだったけれど、てんで効果は発揮されなかった。バックバクの心臓の音を聞いていたら、あっという間に着いてしまった。


 深呼吸を何十回としてから、彼に玄関扉を開けてもらう。過去には訪れたことがある花咲家でも、この私が行くことは初めてだ。怖い。怖すぎる。


「やっほー、桜子ちゃん。緊張してる?」

「ゆ、雪美さんっ!」


 扉が開くと、真っ先に出てきたのは雪美さんだった。私は勢いで彼女に抱きつく。


「お会いできて良かったです! 雪美さん、ありがとう。本当に不安でいっぱいで……」

「そっか、不安だよねぇ。よしよし桜子ちゃん。あっ、こっちがうちのお母さん、こっちがお父さんね」

「へっ?」


 雪美さんの言葉に顔を上げると――なんということだ。もうすぐそこにご両親がいらっしゃった。なんということだ。


「あっ、ああ、おおお、お邪魔しています! は、ひゃ、はじめまして。こんにちは。薫さんとお付き合いしておりますすし、紫月 桜子と申します」

「俺から話していたとおり、結婚予定の恋人だよ。可愛いでしょ? あの姉貴とも仲良しだし、良いカノジョだよ」

「薫。あの姉貴ってなに? こんなときまで雑に扱われたら、姉ちゃん悲しいよ?」


 雪美は片腕で私を抱きしめながら、隣にいる薫先輩の額をピンっと指で弾く。お決まりのデコピンだ。


「雪美、薫。姉弟喧嘩はやめなさい。とりあえず……いらっしゃい、桜子さん。どうぞ上がって」

「あ、はい! 失礼いたします――」


 薫先輩が何か言い返そうとしたところで、お母さまの注意がお先に入る。お綺麗なお母さまにすごく緊張しながら、桜子は玄関から上がっていった。





「――それで? これまでも話は聞いていたけれど、本気で結婚なんてするつもりなの? 薫」

「ああ、そうだ。俺は、一生をかけて桜子ちゃんだけを愛する。もう決めたんだ」


 話をしているうちにわかったことだが、花咲家はお母さまのほうがお強い感じのおうちらしい。話し合いをガンガン進めていくのは、お母さまだった。


「初めてできた恋人だものね、舞い上がってしまう薫の気持ちはよくわかるわ。ところで、桜子さんのご病気? か何かのことはどうなったの?」


 薫先輩は、桜子と同棲する許可をご両親から得るにあたって、ちょっとした嘘をついたらしい。


『身寄りのない恋人がいるんだけれど、彼女の余命は一年ほどらしい。三月末まで生きられるかどうか……。彼女とできるかぎり一緒にいたいから、姉貴のマンションでふたりで暮らしたい』みたいな嘘を。


 私と彼は顔を見合わせて頷いて、ここは私が答えることにする。


「そちらについては、おかげさまで治りました。心因性のものでしたが、薫さんと一緒に暮らしていくうちに、病状が良くなっていきまして。薫さんは、私の命の恩人です。その節は本当に、ありがとうございました。もう普通の生活が送れる程度に回復しております」

「そうですか、それなら良かったです。結婚については、どうお考えで? わざわざ、薫が十八歳になってすぐに入籍する必要性は?」

「それは――」


 なぜ、彼と私は結婚にこだわっているのか。どうして契約にこだわるのか。


 それも、ふたりで話し合って、結論は出している。


「後悔をしたくないからです。まだ大人になりきれていない私たちは、偉そうなことを言えた立場ではありませんが……愛するひとと結婚し、家庭を築くことは、私たちの共通した夢であります。今まで死にそうな目に遭うことは、ふたりとも何度もありました。夢を叶えられずに死んでしまうかもしれないという恐怖を、ふたりとも知っています。

 私たちはお互いに愛し合っていますが、たしかに絶対に離婚しないという保証はできません。でも、いつか想いが変わって別れることになろうとも、今の私たちが生きていたこと、愛し合っていたという証拠をこの世に遺す術があるならば、ぜひとも遺しておきたいのです。叶えられる夢なら、叶えておきたいのです。いつ死んでしまうか、わからないから。

 ……私には、親もお金もありません。薫さんをとても愛していて、彼と一緒にいればなんでも頑張れる。それだけしか取り柄がありません。ですが、だからこそ、薫さんを幸せにしたいという思いは強く、諦めるつもりはまったくありません。絶対に、幸せにします」


 途中から、私の想いの話になってしまったかもしれない。隣にいる薫くんが、なんだか照れたような表情をしている。


 目の前にいらっしゃるお母さまの表情も、先程より少し変わっていた。





「とりあえず……風向きは良い感じってところかな? 薫くん」

「うん、そうだね。俺もまた頑張るから」

「頑張るのはいいけど、喧嘩はしないでね」

「はい、気をつけます」


 花咲家をあとにして、ふたりでマンションへと帰っていく。結婚問題はどうなるにしろ、引っ越しはする予定なので、最近はその準備を進めているところだ。


 話し合いの結果は、今日のところは、まずまずと言ったところ。一回話しただけですぐに承諾してもらえるとは思っていなかったから、予想の範疇で、どちらかというと良き方向に進んでいる――というのが私の評価。


 今度行くときは花咲家に泊まることになっているので、そのときはしっかりと良い嫁アピールをできるように頑張ろうと思う。 


「薫くん」

「うん? なぁに」

「さっきはああ言ったけど、私は離婚するつもりないからね」

「うん、わかってるよ。そういえば、桜子ちゃん何組になったんだっけ?」

「D組だよ。紗衣ちゃんと彩奈ちゃんとはバラバラになっちゃった」

「そっか。……ごめんね。せっかくお友だちができたのに、転校することになって」

「ううん、大丈夫。私たちの友情は、ちょっと離れたくらいじゃ壊れないから」


 私がそう答えると、彼は安堵したように「そっか。良かった」と言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る